2021年 暮れ
メリークリスマス
最近の夢の記録
微熱
コロナウイルスのワクチンをアルバイトが偶然休みで次は夕方からの勤務だった日にぬるっと受けてみて、そうしたら申し訳程度に副反応が出た。ここちよい微熱だった。そのなかで描く絵も最高だった。さすがに疲れて、休憩としてほったらかしにしてたホームページの更新でもするかと思い進めていると、ヒートアップしてしまい気づけば何時間もパソコンの前に座っていた。完全に改装してしまった。えらい疲れた。ワクチン打った箇所の痛みも、アルバイト後に発生する異様な右肩の痛みと比べるとぜんぜんだった。
チョコレートようかん
右肩かじるおばけ
シェルター
コーヒーと時間の話
くつした
秋晴れ
数ミリのはなし
サイドテーブルの夢
家/映画のひと/穴のあいた石
ネガ
引っ越し作業のため、いろんなものを捨てまくっている。そのなかで、写真もたくさん捨てた。・・・が、ネガは全部のこした。ネガのほかに、データ化してもらったCDもちゃんと全部、整理してファイルにしまって、のこした。好きとか嫌いとか、まったく関係なしで、ただすべての思い出が手放せられない。実家には、幼稚園のころに母と描いた絵とかも捨てられずにいっぱいしまわれてる。しらないうちに捨てて欲しい。そうでもしないと捨てられない。本当は全部おぼえてるんだから、形がなくても大丈夫なのに。だめな人間です。
最初のころにカメラで撮った写真のほとんどは、撮りたいものにピントがまったくあっていなかった。あとは、だいたいつぶれているか。でもそういう写真の方が、その時の温度やにおいがものすごくリアルに思い出される。逆に最近、ちょっとだけうまくなってピントがちゃんとあった鮮明な写真のほうが、嘘みたいに思える。なんでだろう、不思議。
たまに、いつ撮ったんだろう?なんていう日付のない写真がでてくる。それがあんまり良い写真で、あー。となった。それは名残惜しい気持ちとかではなくて、あのときはまぎれもない「今」だったのが、本当にいつのまにやらすぎさった「思い出」になっていたことへの、さみしさ。これはちょっと病的かもしれない。ちゃんと処理、というか供養みたいなことが、できてないのかもしれない。私は絵を描かないと、だめだな。などと思う。写真家は、すごい。写真って、せまって来すぎて痛い。
この家では、永遠みたいに長かった年月を、永遠が一瞬と思えるほど短かった年月をすごした。さようなら。さよーならー。
うそのまちで生きてたあの子
石ころぼうし
(今日の絵は、だいぶ前に描いた石と、だいぶ前に描いた人でした)
あ、先日、「いま、どこにいる?」というリレーエッセイに参加させていただきました。面白いエッセイがリレーになってます 私のも含めてよかったらよんでみてください。
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個展 花の記録
インターネット版個展開催のおしらせ
遠いともだちへ
穴
なんでも大丈夫だと思っていても、ほんの些細な出来事で、せっかく巻いた糸落としてまた巻き直さないといけないみたいな状態になったりする。確かなことなど、一個もなくなる。そんな時に感じた答えのないもやもやしたものの記録。