ごむの道
市村柚芽の日々の記録や嘆きのコーナーです
途中の人
ここ最近、悪夢を見なくなった。
数年前までは、毎日のように見て、一日引きずって過ごしていたのに。
関わる人たちが気持ちの良い人ばかりで、それも支えになっていると思う。
人間なんてほとんどはいい人で悪い人を探す方がむずかしい(接してきた社会がぬるま湯なのか、頭がお花畑なのか、とにかくごく一部しか知らない自分が語っていいことではないのかもしれないが)。いい悪いではない部分で他者のことを思い浮かべたとき、そう受け取れるのが一番だ。自分が社会と関わるとき、どういう姿でありたいかと考えるならばそういう方々を思い浮かべる。気持ちの良い人とはどんな人なのか考える。
楽しかったり、楽しいだけではなかったり。ほどよい深度と、ほどよい約束?拘束?後腐れないこととか。
少し前の途中の花。
茎のみどりを黒で塗りつぶさずにとっておいたが、最終的に塗りつぶした。こうしてトリミングして眺めると途中段階のこれはこれで悪くないと感じるが、今でもこれを完成とすることは許せない。花の、生きている感じとか。ポジティブな感じとか。わかりやすすぎるくらいにわかりやすく感じる。そういうことを表現したいために花を描いているわけではないんだと思う(いつからか自分でもよくわからなくなって描いている)。黒に塗りつぶす以外に選択肢がないくらい。未完のままに止まったような絵に憧れるが、自分が描くには完成させないと気が済まなくなる。だからか少しコンプレックスだ。いつかそれも変わるのか。
胡麻をする音
匿名で相談して、回答してくれた中に書いてあったおすすめの本を探す。探しても探しても発見できなくて、存在しない本だと分かった。回答者がAIだったことに気付き始める。ショック。自分で本を探してみるも、なにを買ったらいいかわからず体力が尽きる。
その昔、インターネットが好きだった。温度が好きだった。最近では、よくわからなくなってしまった。いつのまにふるい落とされたのか。悲しいな。
なんというか、老いだし、置いてかれてるし。
不安でいっぱいになったことは、今までたくさんあった。その対処法について何回も考えてきた。でもわからないまま。現実の世界では、何かが起こったら受け入れる以外の選択はないようなもので、そこには「大丈夫」しかないことはわかっている。あきらめればいいものを、どうしてあきらめられないのか。抵抗したくなってしまうのは、これもまた、あきらめるしかないってことなんだろうか。あきらめることって、「あきらめなさい」と頭に言葉で命令した途端に、難易度が急激に上がる気がするが、どうなんだろう。言葉にしてしまう前に、意志になってしまう前に、気づかれないように、ほどいていけたらいいのだが。
母から誕生日にもらったすり鉢で胡麻をすった。夜中の静かな台所で、胡麻をする音だけ響いた。ぷちぷちつぶれる感触が手に伝わる。だんだんと香り立つ。めん棒についた衣を味見。甘くてしょっぱくて香ばしい。



