2023-01-28

虹の指標

 
宇宙船に乗ってもなお 地球のことばっかり気にしてる、なんていう人生がそろそろ終わったっぽい。
目に映る景色を、この身で感じたい。頼りなかった自分の身体を信じたい。
(意識は眠ってもらう。)
あなたがいたこの世界はどこを歩いても美しい。
そう思える事が、嬉しいんだ。幸福の中にいる。私はどこへでも行けたみたい。
悲しみは友達で、喪失感は宝物だということ、また思い出す。
 
実家に帰ったら、やっぱり居なくて、完全に不在だった。
笑えるほど寂しい。いなくなるって、寂しすぎる。
流れ続ける時間の中で、心が時間に追い越される。
そろそろ歩き出す。歩きながら(時間の流れに身を任せながら)泣けばいいのだと気づく。
 
掌に反射したこのひかりをにぎりしめる。
これから、確認する必要はない。 

心のなかで頭を撫でたら、ふわふわしてた。
父は早朝、鳴き声を聞いたという。
母は昨日、寄り添う猫の夢を見たという。 
毎日寂しい。

2023-01-20

個展 空想の窓辺


うれしいおしらせがあります。
 
だいぶ長い事準備してきた展覧会が、ようやく開催されることとなりました。
東京・高円寺の古道具屋、「背骨」さんにて、2月より。
展覧会に伴って自費出版の本も刊行されます(作り中です)。
在廊日は決まっていませんが、初日はお店にいると思います。
 
絵は一人で描いてきましたが、こうして本を作るのに関わって頂いたり展示場所を作って頂いたりすると、もう自分だけのものとは言い難い気がしてきます。
展示される10枚の絵はすべて昨年描かれたもので、今の自分の心からは遠い存在となってしまいました。失う事が怖くて仕方なかった頃、生も死もないような、また美しい夕暮れの景色だけがのぞめる空想の窓辺を作って、絵を描いたりものをならべたりして遊んでいました。今回かざる絵は、そのときに描いたものです。 今私はこの空想の窓辺に住んでいません。だから私もなつかしく鑑賞することが出来ます。それが嬉しくもあり、とても楽しみでもあります。
背骨店主の吉田さん、デザイナーさんの浦川さんには大変お世話になっております。
「背骨」という奇跡みたいなお店も、堪能してもらえたら良いな。
たくさんの人に見て頂けたら嬉しいです。
 

 
愛する猫が天使になってもうすぐ一週間、
あれだけ失うことを恐れていたというのに、私は大丈夫です。
それは猫から与えられたものに気付き信じられたからというのもあるかと思いますが、身近の遠くの、皆さんのおかげでもあります。
ありがとうございます。
こうしてお知らせ出来るのも、本当に嬉しいんです。
まだまだ日常に還って来た心地はしないのですが、悲しみの沼に呑み込まれる訳にはいきません。今年はものすごい、頑張る事に決めました。
目を開いて、まっすぐ前を向いて歩こうと決めました。
 
よろしくお願いします。
 
市村柚芽

2023-01-18

やさしさと愛と幸福の答え

 
17日の昨日、25歳の誕生日でした。
こんなにたくさんの人にお祝いのことばや贈り物を頂いたのははじめてな気がします。
どうもありがとうございました。


天気予報通りのくもりの日の朝、晴れてもなく 雨降りでもない、普通の天気。多分一生忘れない日となった、2023年1月15日。
手術をしてから子猫のようにかわいく元気な姿であるいたりごはんを食べていた私たちの大切な猫が、天使になりました。

その日私は、夢の中で眠っていたから、なかなか目覚められなかった。夢の中でもたくさん起こされたのに、起きれなかった。
遅くに起きると枕元のケータイに不在着信が13件と、留守電が2件入っていた。
留守電からは落ち着いた父の声と、母のすすり泣く音がいっしょに聞こえた。

術後の検査結果は数値的にも顔つき的にも、良好だった。
(猫の名はクリと云います)
昨晩はたくさんごはんを食べて、いつもの通りに歩き回ってトイレをして、おやすみってあいさつして眠って、
朝方に父に発見されてからは、家族が必死になりながら、病院に運ばれた。獣医さんは必死に心臓マッサージをしてくれたのだそう。

なんの予兆もなかった。
なんの予感も感じられなかった。
離れた家に住む私は、クリが死んでしまったことにも気付けず、ずっと眠っていた。
正月に会ったきりだった。

クリの調子が悪ければ私の調子も悪くなり、何にも食べれず横になって過ごすこともあった。クリの手術が決まって電車のなかでおろおろ泣いたこともあった。生きていて、元気なときから死んでしまった時の事を考えて何度も何度も不安でいっぱいになっていた。

いつも花を描くときに訪れる駅前の花屋で、クリのために花を選んで買った。
白っぽい猫なので白い花を選ぼうかと思ったけれど、記憶のクリに似合う花は白じゃなくて、やさしい桃色だった。
家から実家まで鈍行の電車で向かう。一刻も早く会いたい気持ちと、現実を受け入れたくないちぐはぐな気持ちでいっぱいで、道中はとてつもなく短くとてつもなく長く感じられた。

なきがらは眠ってるのと変わらない穏やかな顔つきで、この世でいちばん愛らしく可愛かった。
寒かろうと家族に毛布をかけられ、造花や大好きだったおもちゃが眠るクリの横にそっとおかれていた。家族みんな私と同じくらいクリを大切に想っていた。あたたかさに何故だかほっとする。あんまりにも自分勝手だけれど、よかったね、良かったよ、と思う。
私は花を、そっと、そばに置く。
曇っていたけれど、つんと厳しい白い空ではなく、少し日差しがあった。夕暮れ時にはやさしいひかりがふりそそいだ。
その景色が夢みたいに美しかった。いつまでも、ずっとこうしていたかった。
幸福そのものという感じがした。

生きてるころから天使みたいに美しくてやさしかった。
今朝も、クリの目やにをとって それから たくさん撫でさせてもらったことを思い出し(起きてすぐに)、寂しくて泣いてしまいました。
その景色は当時からあんまりうつくしくて、幻のようだと思っていて。幻みたいなのに現実だから彼女をただの猫だと思えてたのに、思い出すともっと幻みたいな情景になってしまってあれが猫だったのか天使だったのかわからないです。

一緒にいた13年間という時間は短すぎるけれど、与えられたものはきっと私たち家族の一生分をはるかにうわまわるほどで、本当はもうなにも求めることなどなく、
きっと何百年一緒にいたとしても同じくもっと一緒にいたかったと感じるだろうから。

家族みんなでたくさん泣いて、みんなでなきがらを囲んで泣いて、撫でてお腹にうずくまってにおいを嗅いだりキスをして泣いて、かわいいね、かわいいねと話した。
二度目の腎臓の手術の跡、まだお腹の毛が生えていなかった。
私たちはクリと少しでも一緒にいるために、過酷な手術も受けさせた。
精一杯頑張らせてくれた。もう出来る事は多分なかった。ああ、ほんとうにやさしい。
クリはけづくろいを丁寧にして、暗い部屋でも日の当たるところを自分で見つけて日向ぼっこするから、いつも体から太陽みたいないいにおいがする。
なきがらになっても同じだった。
嗅ぐと安心する、いちばん好きなにおいがした。

体の中に大きな滝が出来たみたいに寂しさと悲しさがザーーーーーーと流れる。
失って、欠けるものなどやはりなかった。心に大きな傷ができたけれど、そのいちばん痛いところはすでにクリのやさしさで回復させられていた。
存在と心配と愛情のかわりに大きな大きな喪失感が私の背中に乗っかった。
今は悲しみを排除するのではなくて、そこに頭まで浸ってみる事にしています。

家族全員ものすごい泣いたけれど、妹があんなに泣いているのをはじめて見た。
母は、クリのことを1日でもかわいいと言わなかった日はないなあ、と呟いた。
本当にそうだった。子猫のときからなきがらとなってもなお、かわいい。落ちた毛も影も足音もごはん食べる音もかわいく愛しく汚いところなんてなかった。

今日まで生きてこれたのは、大げさではなくクリが居たからだった。何度も人生をあきらめようと思って、死んでしまおうかと考えた事もあった。そんなとき、気付いたら横に佇んでいて。私が不在の部屋の前で、待っていてくれて。清掃員としてはたらいていた時は、早朝私が身支度をするのを洗面台にすっぽりはいって見守ってくれてた。

寂しいなあ、と思ってあふれだす涙と震えの底のほう、あたたかくて安心するふわふわがいる。クリに関するどんな感情でも愛しくて、本当に、本当に寂しいけれど、触れられなくたって良いんだ。
今はすごい早さで動いてく時間が怖くて、あのだいすきなにおいやなでた感触を忘れるのが怖くて仕方ないけれど、忘れてしまっても大丈夫な気がする。自分次第で、いつでも撫でに帰れる。
そこに在ったということ、それだけで私はもうずっと大丈夫のはずなんだった。

クリを失うことがずっと怖くて、もう何億回心配したかわからなくて、クリが死んでしまう悪夢も数えきれないほど見て、そのたび嘆いて。
これまでの全ての不安と心配は、今日という日にすばらしいさよならをするための予行練習だったのかもしれない、と思った。無駄なことなど何もなかったし、愚かでもなかった。はじめてこんな自分のことを褒めたくなった。
今だったら過去の自分を抱きしめられる。それに今、未来の自分に抱きしめられているのを感じる。もうなんもかんも大丈夫なんだ。幸せになる事も恐れない。

ほんとうの最期は想像してた景色より穏やかで美しく幸せなものだった。
また会いたい、また撫でたい、また心配させてくれと、これからずっと思うだろう。けれども悔いることは、何にもない。もう後ろを向く必要はない。全部、身体が覚えてる。
私もクリのようにやさしい心を持って元気に暮らすと決めた。
想う為に今日も明日も元気に生きると決めた。
別れがつらいからって出会わなければよかったなどと思わない。生まれてから最期まで見れたこと、撫でられたこと、それがいちばんの幸福。
やさしいやさしいさみしさで、私はずっと満たされていられる。

こんなに幸せなさよならができてよかった。
また明日もあさっても、とめどなく涙が溢れる時間はあるでしょうが、それも贈り物と思って、噛み締めて暮らします。 
もう私はこんなうつくしい涙のほかは、流さないんだ。
今日まで生きてて良かったです。この美しい星で、世界で暮らせて本当に良かったです。


1月16日 実家にて、朝の会話。
母、「思い出しちゃうなあ」すすり泣きながら
父、「思い出して良いんだよ、いっぱい思い出してやろうよ」

父「悲しい時には、いっぱい泣いた方がいいんだ」

私、「いなくなっちゃったなあ」
父、「いないんじゃないよ、そのへんに、いるんだよ」

父のことを、私はこの日とても尊敬した。




昨日の今日で、文章におこすか迷っていたのですが今の気持ちを残しておきたいと思い、殴り書きですがアップしてみました。
泣いちゃうので、しばらく読み直す事もしないと思います。
写真をつけようと思って見返してたらまたうるうるしてしまいました。
なんかもう、笑えますね。
昨日の誕生日には、色んな人から祝ってもらって、本当に嬉しくて。(泣いたり笑ったり喜んだり、いそがしい人です)
メチャメチャな文章だったらすいません。
そして、つらい気持ちにさせてしまったらすみません。
でも、みなさんに何でも大丈夫なんだって伝えたいと思って投稿した文章でもあります。
とにかく、とにかく。読んでいただいてありがとうございます。

すべてのひとにやさしいひかりがふりますように。
私は元気です。みなさんも元気でありますように。
また、愛するものと、最期には、すばらしいさよならができますように。

2022.01.18.


- - -
P.S.
身近な方へ
しばらく、急に泣き出したりして驚かせてしまったらすみません。
なるべく泣かないようにつとめます。
もし泣いてしまっても、何かを求めているわけではないのでそっとしておいていただけますと、幸いです。(10分ぐらいメソメソするとだいたい1、2時間復活します。ほんとにスミマセン)

2023-01-15

no title

 
家についたと同時に降ってきた雨、やさしい。 
風邪引いた時うどん作ってくれて、やさしい。
横断歩道にて大荷物抱えすぎてかばんが壊れて荷物が道路にころがったとき拾って来てくれた人たち、やさしい。
居てくれて、やさしい。
描き終わるまで枯れないでいてくれた花、やさしい。
淋しさを教えてくれて、やさしい。
知りたい事、何も答えないでいてくれて、やさしい。
圧倒的なただしさとやさしさを見せつけられたとき、けれども、つらくなる。
全然正しくないであろう姿で、人を傷つけた事何度も思い出して考えてもやっぱりわからずどうにもできないまま、背負いこんで茫然と生きているあなた、やさしい。

晴れてもない 雨降りでもない あんまりにも普通の天気の朝、突然姿をけしたあなたに、いちばんのやさしさを感じた。
ありがとうって、何度も唱えた。

2023-01-12

no title

 


 
広い砂漠の真ん中で水を求める者が目の前にひとり居たならば、旅人である私は迷わず水を渡すだろう。でもその後ろ、また後ろにも水を求める者が居たとしたら。餓えた子どもの目の前で水が尽きてしまうなら、はじめから誰にも水を与えない方が良いんじゃないかとも思う。
そのような状態になった時にはじめてその人の本質みたいなものがあらわになるのではないかなと思っていて、自分の本質を探る為、時々空想の砂漠を歩く。
本当の正しさなんて月も神様も気付かないくらい些細な事なのかもしれなくて、目の前にあらわれた選択肢なんて、ただの気分だろう。
大切なのはそんなわかりやすいものじゃなくて。
どろどろの濁った絵具が塗られたキャンバス、目をつむって洗い流す。澄んで美しい色の重なり。ひとつぶの人間である私は本当に小さく、宇宙でもある私は全部答えを知っている。 
精神だけでもいいから、宇宙/時間の網からいつかすっと抜け出して、もっと遠くから私を見つめたい。そうすれば、身を以て解る。
会いたい人になんて会わなくていいのかもしれない、と思った。
自分が送ったメッセージや、頂いた言葉たちを読み返していて、恥ずかしくなりながら、またほんとうに懐かしくなりながら、そう思った。