連日、真っ白な空。雨も降る。傘に穴が空いていて雨水垂れる。蝉が静か。家から少し歩いたところで、見かけるたびに怖がっていた蜻蛉が亡くなっていた。羽は黒く身体は青かった。綺麗だった。気が早いだろうと思いながら、つい夏の空を思い出してしまう。夏のよさを想ってしまう。暑かったけど、やっぱり、あの空に、あの雲に、たくさん助けられていたんだったとか、回想してしまう。暑かったけど、身体もずっと調子が悪かったけど、晴れてたらそれだけで少し楽しかったし、雲の見事さに嬉しくなったし、夕暮れを見るとなにとも結びつけずに悲しくなれたし、曇り空よりはマシだったのではないかと思う。
実際には、夏は、厳しかった。つい先週くらいのことだから、まだしっかり思い出せる。冷房を、寒くないように高い温度に設定しても、一日中当たっていれば調子が狂う。胃が重くなって食事するたびにもたれるようになる。胃液が上がってきて、吐いてしまうんでないかと怖くなる。ドアをあけるのに大きなパワーが必要になってくる。肩や背中や思考がガチガチになってくる。身体も動かなくなってくる。過去の失敗が暇な私に話しかけてくる。そのへんの空気が失敗に変換されて、部屋が失敗で満ちる。何をしてもダメになる。毎日自分に敗けて、失敗が積み重なって、向き合いたくなくて消えたくなったりする。
「私なりにがんばってきた」。そのがんばりが、他者から見て、がんばりだと見なされなくても、がんばったのだから、がんばった。でいい。なかったことにしなくていい。というかならない。どんなに小さくても、あなたの一歩は一歩だ。違うのか。「どうしたらよかったか」。そんなこと、後から考えれば、いくらでもこじつけることができた。今は、つまり、ただ、無理だったんだということを、受け入れなければいけなかった。現実に対して「成功」とか「失敗」とか、いちいち判決を下す癖。そもそも、判決を下すことは、どういうことなんだろう。だれのためなのだろう。その物差しは、どんな単位で、どんな規則を持っているんだろう。知ったつもりになっただけで、わからない、わけではないのだろうか。すべてのことは、ただの「結果」でもあるということ。そこからいろんなもので飾りつけられて、浮き上がってくるのが悪とか罪だったりするだけで。腹の底にいるほんとの自分は、善も悪も罪も罰も、心底どうでもいいことだと、思わないか。自責や他責の前にある、ほんとうの気持ちは、見えているか。どうしたって見えない視界があるっていうことを、おぼえているか。
多分、私が、あなたが、みんなが、少しずつ足りない。人間には無理なのかもしれない。いつかAIが満たしてくれたりするのだろうか。今は、私から見える私の足りなさを、ただ足りないものとして、わかっておくことくらいしか。






