靴と歪み

 

起きた瞬間から瞼が落ちそうで、のろのろ動き休憩、そろそろ昼かなと思ったら夕方。まだ描き始めてもいない。戦争の夢を見たのと(昨日だったか)、気圧のせいかもしれない。数日ずっとこんな調子だ。あまりにも冴えないので、ネットでなんとなく素敵な靴を探していたら、一見とても美しく素敵な靴だが形が完全に範馬勇次郎の靴‥を発見し、思いの外元気が出た。欲しいものができた。そんな感じで回復してきて、夜から描き始めると、案外進めた。

ミュージシャン二人の対談映像を見る。二人ともに全然興味がないので歌も聴いたことがない。けど、おすすめに流れてきたので、作業中に聞いてみる。全然噛み合ってない会話が漫才みたいで面白いなと思った。気まずさもたまらなく、しかしさすがにたまらなく、リタイヤしてしまった。コメントを眺めてみたら、神二人の対談だと言う。二人は神らしい。
天邪鬼である限り二人の音楽を聴くことはないだろうと思う。

神格化は、ようするに認知の歪みの一種なのだろうなと、自分を振り返ってみて思う。尊敬して、視界が狭まって、何にも見えなくなって、目の前で精一杯生きている人間を人間でないものとし、決して対等ではない存在とする。それのなにが尊いことなのか?魔法というか、呪いというか。とてもばかばかしいことのように思えた。私はそんなばかばかしいことを、はずかしげもなく何度もやっていた。今こうして反省できることに本当に安心する。

小さな私

 

真っ白な空。
先日の雲を思い出しながら。
 
髪をほどくと胸くらいまでの長さになった。去年の春から切っていないので、まあ伸びた。鏡を見るとたまに誰だか分からなくなる。離人感みたいな現象が昔よくあって、そんな感じになることもある。当時は不安で、調べて調べて病院まで行ったことがあった。でも今はなぜか大丈夫だ。自分の体は自分じゃないような気もするし、全部自分なような気もするしで、魂抜けても、なんだかんだ大丈夫だろうと思う。私の想像することなどだいたい外れるからな。目的地の真逆の道を自信満々で歩き出すような人間。だからというわけでもないが、私は体のほうを信頼する。
 
絵は体で描いている。
想像力も技術もない私には、正直であることくらいにしか、絵を誰かに見せる理由を見出せなかった。そのためには頭は閉じて/体で描くという姿勢が有効で、それに気づいてからずっとそうしてきた。頭で描くと(これが未熟さなのだろうとも思うが)なにを描いても嘘や気遣いや見栄が混じる。体で描くと、思いのほか純粋でびっくりする。まあ、純粋に見えるだけなのだろうし、実際、完全に消えることなんてないのだけど。絵の中にひそんでいた小さな私に数年後に気づいた時はばったり過去の私と出会ったようで、そのばったりがおもしろいからずっと未熟でいいかなあ。
 
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相棒が不在でもたくましい子ペンギン
背景:意図せず、瓶に入った男 
 
『グラップラー刃牙』42巻読破・『バキ』に突入
✩花山薫が出てくるとつい笑顔になる
範馬勇次郎の言葉が刺さる
✩ずっと刃牙のこと考えてる

たのしいおしらせ / upendo 小さなスケッチ編

 

今日は気圧のせいか頭が痛くて割れそうになっておりましたが、皆様お元気でしょうか。
先日、長崎は大村にあります「upendo」というお店に、小さなスケッチを6点お送りしました。夏至から冬至のあたりまで、のんびり長く預かっていただきます🧳
 
飾ったり、仕舞ったり、自由に使っていただいて大丈夫です、とお伝えしているので、どんな展示になるのか、私もドキドキしています。お越しの際は、見ていただけたら嬉しいです。まだ未定ですが、夏のあいだはupendoさんがお休みになるかもしれないため、その期間は、絵がどこか散歩に出かけるかもしれません..🚃
 
飾っている絵は売っています。
通販希望のかたは、upendoさんにお問い合わせください。
 
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upendo
長崎県大村市田下町406
*upendoさんは不定休です。
 営業日・営業時間はSNSをチェックしてください

企画:熊谷麻那さん

つまらない勝利、すばらしい敗北

 

青森にて。
衝撃的に楽しい瞬間があった。そのたまらなさに、くらっとなった。あまりにも楽しいと、その瞬間には、笑みも出ない。倒れそうになるのだなと知った。
 
刃牙を読んでいると、弱いまま強く、とかじゃなく、普通に純粋に強くなりたいと思わされる。いい勝負をして、すばらしい敗北で終わりたいものだ。
どんな切り口でもいいから、まずは切ること。そして、掘り進める。つまらなかったことが、掘っていけばおもしろかったりする。我に帰るスキマなど、気がついたら消えている。それくらいにならなければ。と、いつもそんなふうに思ってきていたが、青森で、実感があったような気がする。たとえば、東京で感じていた小さな虚無感は、新幹線を降りて、外の空気を吸った瞬間に消失したようだった。まだ小さな虚無だったからかもしれないが。想像できたつもりになっていた知らない場所での誰かの暮らしは、ほんの1mmも当たっていなかったかもしれない、ということで、塞がっていた窓から、またすっと風が吹いていくようだった。自分の小ささを思い知ることは、本当に幸福なことだと思う。

一人行動の時間では、温泉に行こうと思って、ホテルから三十分くらいバスに乗って向かった。バスから降りて歩いている時、人っこ一人いない道と、どんどん暗くなる空に気づき、怖くなった。あと5分くらいの地点だったのに、温泉とは真逆に歩き出し、Uターン、帰宅。光の速さであきらめた。道中あった神社で一応拝み、遠くの岩木山を眺めて、じゅうぶんだったと言い聞かした。私のあきらめと同じくらいのスピードで暗くなっていく夕暮れ、バスを待っている時、うすむらさきの岩木山はやさしい輪郭をしていて、本当にじゅうぶんだったような気持ちになった。私はぬるい。すごくぬるい。今のところ、勝利も敗北もない。楽しかった。