小さな窓

 
 

昨年から展示を一緒に作ってくれている熊谷さんが、この活動についての文章を書いてくれました。興味あれば、ぜひ読んでみてください。
✈️ (クリックでとびます)



花を繰り返して描いてしまうのは、花を描けた気がしないからだと思う。その時見ていた花の像を、そのとおりに捉えられた日はない。いつも少しあきらめている。自分の目は頼りなく、ちゃんと描くことなどもしかしたら不可能なのかもしれない。
いつからか、高望みすることはやめ、自分にできることをできるだけやれたらいいと思うようになり、伝わることより続けていきたいと願って描くようになった。

花というモチーフは、自分の内側の、唯一の窓のような存在だ。だから、と言い切っていいのかは分からないが、この窓を塞いでしまったら、自分は人間じゃなくなるんじゃないかと思っている。
そんなことを時々想像しつつ(ほとんどは呑気にだが)、繰り返して描き、見る人をもしかしたらおいてけぼりにしながら、絵を展示させていただりしている。

熊谷さんとは、2021年に大阪で花の絵を見てくださり、メールを送ってくれたのがきっかけで知り合った。メールをいただいた後、都会の真っ黒な湖の前で初めて会って、凍えながらも長い時間話をした。
彼女が赤い服を着ているとき、自分は青い服を着ている、なんてことが多かったり、食べ物や歌の趣味も全然違ったりだが、気がつけば5年に近い付き合いとなっていた。
長い関わりの中で、私の窓が塞ぎかかったとき、熊谷さんが上記の活動について提案してくれたのだった。

晴れの日も雨の日も強風の日も窓を開け、風を通す。汚れた窓を拭くための雑巾を渡してくれたのは熊谷さんだった。
むずかしいことや大変なことは解決されていないし、わからないも増幅している気がするが、それでも陽気でいられるのは、自分にとって奇跡のような成果だ。

絵というものが、社会や人や動物や時間などの、無数の波が渦となって出現するものなのだとしたら、私はそれを、やれるだけ、できるだけ、ちゃんと写しとっていきたい。
 

『あしたのジャム』のこと

 
 

うれしいおしらせです。
『あしたのジャム』という商品が完成しました。
突然の宣伝となってしまいましたが、あしたから展示会場のるすばんさんに並ぶ予定です。

ジャムは、長崎県大村市にあるお菓子とパンの店「ほとり」さんが、展示にあわせて製造してくださいました。
本商品には、宝石のように美しい二種類のジャム(いちご・はるか・キルシュ / せとか・ゴールドキウイ・レモン・ローズマリー)がひとつずつ入っています。
また、ジャムとともに、小さな花の絵のカードが同封されています。裏面には、ほとりさんのことばが書いてあります。

箱やいろいろなものの設計、デザインは浦川彰太さん。
とにかくみんなでいろんなことを相談させていただいたのがるすばん荒木さん。
長崎まで出向いてくれたり、みんなを繋いでくれたのが熊谷麻那さん。
ほかにも書きたい名前がちらちらと浮かびますが、とりあえずここまでといたします。
すばらしいものができて、本当にうれしいです。

たのしい夜でも、もやもやな夜でも、きっとあしたの朝が楽しみになるジャムです。
数量限定ですが、会期中に追加納品もしていただく予定です。
ご縁あれば、贈り物にも、ごほうびにも、ぜひ。

以下は、ほとりさんより、ジャムの味についての説明です。



❉いちご・はるか・キルシュ❉

画集『花』の表紙をひらいたところにある、やわらかな赤をおもって作りました
いちごの甘さに、ごく穏やかな風味の柑橘「はるか」を優しく重ね、最後にさくらんぼのお酒をふんわりふくませています


❉せとか・ゴールドキウイ・レモン・ローズマリー❉


みずみずしく甘い柑橘「せとか」、華やかなゴールドキウイ、まんまるな酸味のレモン、春風のようなローズマリー
すべてがやわらかくとけあうようだけれど確かにすべてそこにある、香りよいジャムを目指しました

 


『あしたのジャム』

ジャム・言葉|ほとり
絵|市村柚芽 
企画|熊谷麻那
デザイン|浦川彰太
協力|えほんやるすばんばんするかいしゃ

🏠展示についてはこちら→

透明な鳥が

 


長いのに速い毎日。
気づかないうちに数え切れないさよならがあったと思う。
寂しさにも気づかない速度。 
新しい家では本が読めた。
きっと大好きな家になる。
 
高校生の頃、団地からマンションに引っ越したとき、しばらく落ち着けなかった。わざわざ書き留めもしないようなささやかな思い出たちでも、忘れるのが怖くて、上書きするのも悲しくて。不安だった。団地の周りに子供の心が漂っていた。幽霊みたいに。
20代前半までは、そんな心を引きずってか、断ち切れなくてなのか、後ろを振り返る絵ばかり描いていた。今は、さよならができてなくても気づけてなくても、私も荷物と一緒にちゃんと運ばれてきた気がする。手放したくないものたちを、手放していきたいとも思う。
 
少し前、中野真典さんの展示を見に行った。
DMをいただいて、『花守り』 という展示名と絵がずっと心に残っていた。
中野さんの花を見る視点は、自分のそれより、遠く遠くにあった。それはわかっていたことだったが、思っていたよりはるかに遠かった。
いつかそこに行こうとか、ついていこうとか、そういうことは、思わなかった。ただ純粋に、感動する。これまでに描いてきた花たちのこと思い出しながら眺めていて、ありがとうと思った。
 

「家守り」。新しい家も前の家も守ってくれる。

磨いて錆びて / 嘘の花

 


錆を放置していた真鍮の髪留めをクリーナーで磨いたら、何層か剥がれたように輝きだした。こんな輝く人だったんだ。かわいい缶の中には一生使いきれないんでないかという量のクリーナーが入っている。引越しのためにホームセンターに行き、便乗して買ってしまった。こんなことをしているから荷造りが進まない。引っ越せるのか。
 
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個展にて、在廊が苦手になったのは、何を優先したらよいかわからなくなったからだ。でも、全然違う感動とか、知らないまなざしで感想を教えてくださったり、絵を見る人の背中を眺める時間は幸せなもので、多分、そのおかげで辛うじて社会と関わることができている。からっぽの心に入道雲ができて、やがて雨を降らせてくれる。

感動も 後悔も 虚しさも 
いつのまにか 花になる
嘘の花 ぱっちり咲いた
 
展覧会のはじまる前に頭の80%くらいは停止したまま捻り出した言葉が、最近の心によく響く。これでいいかという気持ちでなげやりに考えたフレーズ。
夜にお客さんと店主と三人で話していた中で心に残ったこと。〈ある偏った角度から「あなた」が作り上げた架空の「わたし」、架空の「わたし」を疑いようもなく美しいと思える「あなた」、私は現象に対して敬意を持つ、私はその「わたし」を守る〉
私にはできない。誤解を解きたくなってしまうから。魔法にするほど覚悟はないし、呪いは怖いしで。いつまでもこんな自分のままなんじゃないかと思う。でも、何も語らず堂々としている花の絵は、嘘を突き通してただの花になっていて、堂々の見た目その通りの堂々になっている感じがする。閉店して絵の前を歩いている時にふと思った。意識せずとも、いろんなものが、ちゃんと花になっているのだから、絵たちはできていた。花は花として守られている。私はすでにぼんやりだが、もっともっとぼんやりしてしまっていいのかもしれない。

折り込みチラシのこと

 
 
 

きのうから始まった展覧会でユニークな試みをしてくださったのでご紹介です🗞️
今回はDMの他に、かっこいいチラシを作っていただいていました。裏はぬりえになっています。誰か塗ってくれるでしょうか。こちらは2026年4月1日の朝の新聞(新聞社も配布地域もばらばら)に折り込んでもらっています。 デザインは古本実加さん。進行・発行などをしてくれたのは熊谷麻那さんとるすばんさんです。

DMを発送するときには、お手紙を送るように手作業で住所を入力したり切ったり貼ったりしていましたので、数日かかったこともあります。なので、実感がないまますごい部数がすごい世帯へ一瞬で配布されている状況が新感覚でした。  
初日にはこのチラシを見てきてくださった方もいたとのこと。インターネットではないつながりから知ってくださることも新鮮です。嬉しいです。関係者のみなさまに感謝です。