2021-08-31

うそのまちで生きてたあの子


今日見た夢は、恋の夢だった。
新しい家に引っ越して、その隣にすんでいた女の子が私を好きになった。
その子は病気で、もうすぐ死ぬかもしれないらしかった。
毎日私に「告白」をしてくれた。
私は人を好きになる感覚がいまだによくわからないので困ってしまった。
ただその子と一緒に歩いた線路沿いの夕焼けの風景が、自分は大好きだったのはわかった。
起きてからもはっきりと記憶されていて、思い出して胸がじんじんする。

夢を見てから何時間たったかしら。
あの子はもう死んだ気がする。
最初からいない人が死んだときどこで埋葬したらいいんだろうと考える。
とてもかわいい人だった。 
嘘の夕暮れの町だったけど、その中であの子は確かに、1日、1日と、ちゃんと生きていたし、ほんとはないといけないものを、彼女はちゃんと全部持ってた。

2021-08-26

石ころぼうし


 
 
私の好きな、「絵を描く人」は、いつだって、くりぬかれた空白の部分を描くために、何千本もの線を使って描写した。空白をえがくには、何千本もの線が必要だった。
自分にとっては引っかかって仕方のないことが、 多くの誰かにとっては心底どうでもよいことだったとしても、ちゃんと回収しないといけないと決まっていた。
それは、仕事だからだ。生きる為にする仕事。
 
本当に、どうしようもないねえ。でも、そういう人がいないと、多分世の中はどんどん腐る。空白を埋め合わせてくれる係が不在の世界は、きっとすぐに、空っぽになる。誰もそれに気づけないまま、みんな死んだように生きる事になる。
どうしようもない人たちが、どうしようもない事を嘆いて、どうしようもない芸術を作ってしまって、どうしようもないまんま、生きててくれてありがとうと思う。 
なのでどうしようもない人を見ているとき、嬉しくて笑ってしまう。
 

 
 
絵って、完成した!と思って、人に見せた瞬間に、変わる(変わってしまう)。それには木綿のハンカチーフのような愛しさと淋しさが含まれてる。
ボロボロになったり、うさんくさくなったり、ちょっと立派になったり、ブランド物でかためられた人になったり、神様みたいになったりする。本当は、大事な大好きなあなたの絵は、ずっと家のひきだしにしまっておくか、燃やしてしまうのが良いのだ。誰にも見せる必要なんかない。
絵を発表してる人たちは、多分みんなちょっと不健全。絵と一緒にあなたも回復できないほど怪我を負うくせに、見せたいと思う。よっぽど社会に優しくて、人を信じていて、大好きだからしょうがない。 
・・
話がそれるけれども、絵の学校にたいして感じていた違和感の一部分にこれがあった。学校は社会の中にいることをいつも前提とされてて、でも絵に関してはべつに社会の中にいなくたって良いものなのに、社会の中にある絵を描かないと意味がないという空気が漂っていて、それが変だと思っていた。(私が勝手に思っていただけかもしれないけど)
絵を描く悦びは守らないといけないはず。
 



 
(作文については、宇宙船に乗って、宇宙に手紙をビュン!と飛ばしてる気持ちでここに投稿する。ときどきは、見えないあの子に届きますようにって祈りながら。)
 

(今日の絵は、だいぶ前に描いた石と、だいぶ前に描いた人でした)

あ、先日、「いま、どこにいる?」というリレーエッセイに参加させていただきました。面白いエッセイがリレーになってます 私のも含めてよかったらよんでみてください。


2021-08-19

個展 花の記録




先日個展に来てくださって、久しぶりにお会いした人を見た時何故かドキッとした。それはなんの気持ちだ?とずっと考えていた。ろくに話した事もないし、これから先も話すような事はないだろうという人だったし。
しばらく考えて生活を送り、昨日の昼になってようやく、あー、夢の中で秘密の話をした人かもしれんと気付く。そういうことか。
日常が夢に引っ張られている。

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実際の会場での個展が終わってからというもの、時間が過ぎるのが本当に早く、それについていけない。
この速度にのまれないように、もがくように絵を梱包しダッシュで郵便局に預けた。
今まさにウェブ上で展覧会をしているので、ちょっとだけ実際の会場での感想を書く。
 
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今回の個展はひたすら楽しかった。何から何までが自然に発生したような、何も無理がないような感じなので、呼吸がしやすかった。「絵を売る事」だって昔はずっと頭をひねっていたのに、今回の展示ではそれも自然なながれのように捉える事ができた。(何度か緊張で吐きそうにはなったけど)うまく言葉にできないけれど、はじめてお金がきれいに思えた。
私は社会のことが、好きらしい。<社会と絵>という関係も好きらしい。これからはよっぽど健全に、絵を描いて売って、が出来るようになるのかな。
じゃあでも、本当にみずみずしい潔白な絵を描けるのって、死ぬ間際とかになるのかもしれないな。それは嘆いても仕方の無いことだけど。
 
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会期中は雨がふったり晴れになったり風が背中を押して来たり夏なのになぜか涼しかったり、地球がいろんな表情をしていた。それと同じように個展の会期中、私を取り巻く環境も毎日パタン、パタンと変わった。昨日まで敵だった人と一緒にごはん食べてるみたいな、そういう内容のもの。(それが人であったり心の中の人であったり感情であったり)あれなんだったんだろう。多分いい方に変わったんだけど。不思議な一週間だった。
 
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花の絵をえらぶ人を見るのがすごくよかった。その人が選ぶ花は、なんとなくその人に似てる事が多かった。買ってくれた人にたいしては、届くべき人のところに届いた感じがした。それが心底嬉しくて、ためいきが何度も何度も出た。(ありがとう)実は手放したくないと思っていた一番お気に入りの花は、この人に持っていてほしいという人が突如あらわれて、本当にその人が買ってくださった。そのやりとりをしてるときに、こういう感覚って人生であと何回くらい味わえるのかなと考えた。はー、ほんとに嬉しかった、楽しかった。
 
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嬉しかった、楽しかった、ありがとうしかでてこない展覧会にできた事は、これから先のわたしの人生をてらしてくれる灯りになると思う。こんなに希望を教えてもらったから、多分大丈夫な気がする。ほんとにありがとうございました。
 あ、ウェブ版のほう、よかったら見てくださいー。
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インターネット版個展開催のおしらせ


先日まで高円寺pockeにて開催していた展覧会を、インターネット上でも開催することにしました。やはり現物をみていただきたいという気持ちが強かったので悩みましたが、これは自分に唯一できるコロナ対策だと思い、開催を決めました。
pockeでの展示は設営からわたしひとりで行いましたが、ウェブ上での展示も同様に、すべて私が制作しました。(写真(旧・荒川さん)や、DMはがきのデザイン(浦川彰太さん)のご協力をのぞいて。ありがとうございました!)
実際の展示に限りなくちかい空気感をただよわせる事ができたような気がします。
ここなら、発熱があっても、心配事があっても、遠方でも、お越し頂けます。
よろしければご来場ください。
 
↓こちらにリンクを貼ってあります
 

2021-08-04

遠いともだちへ


今日も昼寝をしてしまって 起きるといつも変な心臓の高鳴りがある
でも今日は何か違う、胸騒ぎがする
急に、もう今となってははるか遠いような昔のともだちに会いたくなった
いつかきっと仲良くしようと、あんまりにも上から目線で無責任だけども、ここに、書きたくなった
どうか、あなたも、あなたの大切な人たちもみんな無事で、健康で、幸せに暮らせますように
全部の悩みが解放されて、ただ目の前にある悲しみと嬉しいことだけをばくばくたべて、鮮やかに生きていけますように