なかなか売れず仕事も少ない、でも尊敬する絵描きがいる。妥協をしないので、ものすごく時間がかかる。売れるように、みんなが気に入るように 喜ぶように取り繕って描くのをいやがる。
芸術活動をしていれば、何かに揉まれて棄てられた、落としてしまった宝物が、多くの人にはあると思う。彼はそれを守りながら歩き、落としたらその都度回収してまわっている。ほかの誰かが落とした宝物まで回収して保管しているようにも思える(…)
世間がよろこぶ絵を描けば(それだって簡単なことではないけど)売れて生活が豊かになるけども、その選択肢を素通りしてでも自分の大切な物を守る姿勢は、なかなか難しい。
(誰かによろこばれるように描くことが間違いとか、ひとつの思想を持ち続ける事だけが正しいと思っているとか、生活のために描く絵の意味が無いとか、きらいだとか、そういうふうに思っているわけではありません。)
私は、表面的なうつくしさだけではなく、絵にも散らばるそんなやさしさがとくに好きで、尊敬している。
私には、芸術家として、正しい道を通って来ているように見えるのだけど、現実では、なかなか観てすらもらえない。そんな状況がやりきれない。
説明とか、解説とかを受けて見るんじゃなくて、自分の感性だけで何かを観る考えるという事が大切な気がするけど、すぐに投げ出されてしまうのだろうか。
…それは、そうさせないために、こちらが譲歩するべきなのかもしれない。そうしないとなにも始まらないのかもしれない。
コミュニケーションってむずかしい。
頑張ろう。正しいことをしている人たちが、報われるように うまいことやりたい。
いつも私の絵を見てくださっている方々は、本当にありがとうございます。絵に代わって私が。絵を観てもらえるって本当に幸福なことだと思う。自分しかいない星に生まれたら、心のどこかでいつか誰かの目に触れる事を信じて絵を描く気がする。
いや、実際そうでもないのかな?(…)