2023-06-26

絵・言葉・日々・生活 / 本についてのこと

 
現在、SUNNY BOY BOOKSさんにて開催中の展覧会「絵・言葉・日々・生活」に伴い、同タイトルの本も刊行しました。

その絵を描くまでのこと、描いていたときのこと、描きおわったときのことを言葉で綴り、絵は途中・または完成としたときの写真を載せ、綴じました。
あとがきとして添えた熊谷さんの言葉がうれしい。

カバーのみ、手製本で制作しました。
紙を選び、せっせと折り、タイトル部は薄い紙に印刷し、手貼りしました。
本をつくるということの罪深さのようなものを、出来たものを見ながらひしひしと感じながらも、ささやかではあるけれど製本作業を経た効果なのか、何度もの熊谷さんとのやりとりのおかげなのかは分かりませんが、今では作って良かったなと思っています。
 
読んでいただけたら嬉しいです。
きっかけを作っていただいた鷹取さん・サニーさんに大感謝です。
表紙に行き詰まったときに助言をくれたえほんやるすばん・荒木さんにも感謝です。
 
現在、SUNNY BOY BOOKSさん、またそのオンラインショップにてお買い求めいただけます。(→

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タイトル:絵・言葉・日々・生活
著者:市村柚芽
編集:熊谷麻那
装丁:鷹取愛
サイズ:約210×150mm
ページ数:28P
製本:中綴じ(カバー付き)
刊行:2023年6月
*100部限定
 




2023-06-15

個展 絵・日々・言葉・生活

 

「絵・日々・言葉・生活」
会期:2023年6月24日(土)ー7月6日(木)
   ※月・金休み
時間:12-19時(最終日は18時まで)
場所:SUNNY BOY BOOKS
 
東京・学芸大学前にあります本屋さん・SUNNY BOY BOOKSさんにて、絵や言葉の展覧会を開催させていただくこととなりました。
展示に伴い、本も制作中です。
お近くの方、興味のある方、見ていただけたらうれしいです。

二ヶ月ほど前に、「日記のような展覧会をしてくれませんか」とお誘いいただき、本展のための制作がはじまりました。
そこから特に展覧会のことは意識せず、ただ自分に必要だと感じた絵を描いては文章を書き、暮らしました。
この展覧会でかざる絵たちのほとんどは、その間に描いた静物画たちとなりそうです。
本には、その絵を描くまでのこと、描いているときのこと、描き終わったときのこと、を綴りました。
絵よりも文章を書いていた時間の方が多いような気がします。言葉にすることで、たくさんの気付きと失望がありました。それもきっと、必要なことだったのだなと今は思います。

ご縁をくださった鷹取さん・サニーさん、本の編集を担当してくれた熊谷さんに心から感謝しています。
 
 
市村柚芽
 

2023-06-10

わからないことをわからないままに


休憩に、インターネットを見ていた(疲れるので、休憩になっていない)。昔は飛び込むようにもぐっていたつもりだったけど、今はすっかりはぐれた。いつの間にかついていけなくなって、わからない側の人になっていた(わかる・わからないの世界ではなく、もっと細かな段階にわけられるとは思うけれど)。
さっぱりわからないなあ、と感じるとき、また意味のわからない涙が溢れそうになることがある。

透明な大人たちがさんざんうたっていることは、わたしが、わからないな、と思う若者(といっても、自分と同世代・また自分のある側面もそこに含まれる)に、浸透している気がする。私たちの祈りや後悔は、ちゃんと次世代に反映されているように感じる(局地的かもしれないけど)。それは、あるいは安心だ。
しかし、わからない、と感じることが、誰かにとっての生きづらさでもあるのだろうと想像すると、今度はわたしが生きづらいな、と思うのだった。

心の病気にかかることは、わたしは個人の責任ではないと断言したい。実体のない、大きなもののせいだと思っている。それに名前をつけることはしなくていい。
しょうがないんじゃないか、と、頭によぎる。ただ無責任に。
わたしはいつでも狂いそうだ。でも、自分がもう狂っていることを、自覚している。じゃあ、「狂いそうだ」 と思っているときの先にある状態は、正常ってことなのだろうか。
だとすれば、正常であることは、間違いなのか。わたしは、そうではないと思いたい。
健やかさとはなんなんだろう?

平穏に普通に暮らしたいけど、すべてはわたしの空想なのかもしれないと気付いた。
みんな、それぞれがそれぞれの必要なことしか必要ではない。これは、とても大きな事実。
「他人事」が「自分事」になる瞬間はいつなんだろう。
今って、詐欺師にとってずいぶん生きやすい世の中なんじゃないかなあ、なんて、もしかしたら妬みとか嫉妬からかもしれないけれど、ふと。
 
先日行った狩野岳朗さんの展覧会では、狩野さんが「わからないことを大切にしようと思うんです」と話されていて、よかった。

2023-06-07


文を書くことは、あまり好きじゃないみたい。最近気付いた。それでも書いてしまうことがあるのは、心配性だからか。心配性は直ったと思っていたけど、いつの間にか元通りの生活。夜眠る前、不安ごとで心臓がドクンとなる。あまりにドクンとするので、心臓の病気が心配になったりもする。朝に電話がくるんじゃないかとか、これから大地震が起こるんではないかとか、そんなことを考えては、中々眠れない。とにかく死にたくない。忘れたくない。みんな元気でいてほしい。
 
初めて行った病院は真っ白で、輪郭をカッと晒されてるみたいで居心地が悪い。壁にはシミ取りや整形に関するポスターばかりが貼ってあった。ビフォーとアフターの違いはまったくわからない。けれども、どんなことでも、一目瞭然のものはあてにならないような、だいたいはわからないものだったりするのかもしれないね、あれやこれも、或いはそうだね、…なんてもくもくと考える(暇)。日本人だと思っていた先生は中国か韓国あたりの出身らしかった。抑揚がなく、ぎこちない日本語の音はうつくしく、気持ちよかった。
 
古いSDカードをパソコンにさす。探してたデータは見つけられず、当たり前すぎた日常の写真が画面いっぱいに何枚も表示される。居ないって、ほんとに居ないってことなんだよ。そんなの抱えきれないに決まってる。こうしてどうしようもなく立ちすくむ日が、多分いくつになってもあるんだろう。そのたびに私は、乱暴な線を引いては責任転嫁して、消耗して、いっぱい寝るだろう。で、悪夢を見るだろう。ばかばかしいけど、仕方がない。
 
今日は夕暮れがすごくきれいでよかった。
きれい、とか、こわい、とか、かなしい、とか、いつまでも、呟きたい。
夕飯はハンバーグかつくねか、どっちかにする。モチーフとして買った大量の青りんごも食べないと。