2024-05-31

巨大ナメクジと花 / だいじょうぶな人

 



 
トイレスタンプというものをはじめて買って、トイレにスタンプしていた。
ジェルが消えた頃にはスタンプ方法を完全に忘れており、勘でやったら巨大ナメクジみたいにスタンプされてしまった。それに、3日で消滅した。どうやらスタンプの蓋の存在に気づかず、蓋をしたまま全力でスタンプを試みた結果、その隙間から巨大ナメクジの姿となってあらわれたようだった。
さっき落ちついて箱の裏を読みながらスタンプしたら、こんどはちゃんと、花が咲いた。モニュッ…と咲いた。



去年の冬、室内で育てていた多肉植物を植え替えたら枯れてしまった。そもそも光が足りなくて、軟弱に育ってしまっていたようだった。植え替え後は絶望的な姿(もうおわりだよ…)をしていて茎もわたしの心も折れたが、ヤフー知恵袋を信じ、春がくるまで室内のいちばん光のあたる場所に置いておいたら、気根(きこん)が伸びてきた。冬は水をやるとよくないとのことだったので、心を鬼にして放置。一筋の希望のようだった気根は、気持ち悪いよってくらい何本も伸びてきた。
春がきてからは屋外に出し、時々水をやって、基本放置。思い出さないと忘れるくらい、ふつうの存在になってくる。一ヶ月ほど経ったころ、完全復活をとげていた。
 
今日、洗濯物をしていて久々に多肉植物のことを思い出し、まじまじ見つめてみると前にも増してたくましい茎、気根もムキムキになっている。完全に終わったと思っていた鉢には新芽(?)まで。
直射日光は与えすぎてはいけないという文言をどこかで読んで、それに過剰反応してしまって大事に屋内で育ててきた去年とは比較にならぬほど、生き生きと育っている。土から生える植物は強い。図太い。安心する。

その姿は自分の心のようでもあった。(もうおわりだよ…)状態のとき、わたしは全然おわってなんかいなかった。立ち方をいつも忘れてしまうだけで。いつも、たしかに心から気根を伸ばしてまた立ち上がってきたではないか。

2024-05-30

枯れるのを待つ花みたいに

 

昨晩はすごく楽しかったし疲れて眠いのに、布団に入ると不安が次から次へと浮かんでくる夜だった。相変わらず紛らすことしかできない。
 
最近なんでか耳に残って繰り返し聴くようになった曲を深夜にまた聴き返す。こういうとき、音楽を聴くのがよいとどこかで読んだ。
『Starman』
デヴィット・ボウイの声、瞳、表情、身体。怖い顔をしてる。不穏だった。でもなぜか何回も聴いてしまう。泣きそうになる。好きなのかもしれない。わからない言語、ききとれない言葉のまま、無垢で素直な心で聴いてたいとおもうほど大切だ。
彼が生でうたっているところをみてみたかったけれど、今生きていなくてよかったとも思う。生きていることは眩しすぎる。わたしは多分、死んでからやっと出会える景色がある。自分も誰かにとってはきっとそう。あなたに出会い直すために死ぬのを待っていると思えばそれは案外、もはや今より嬉しいことかもしれない。

2024-05-29

窓辺の肖像 ◌ 展示の記録

 

 
きのうで、個展「窓辺の肖像」がおわりました。
会期は5/18-27でしたが、日数は7日なので、あっというまでした。
前の展覧会とはがらっと空気が変わり、澄んでいるような、清々しいような、5月の初夏の気持ちのよい外の空気みたいな空間になったようにおもいます。意図せずぴったりな季節に開催できて、うれしいです。
 
以下は、みなさまへの感謝の気持ちと発見の記録です。追記(Read more >>)に、展示の記録写真を載せています。よろしければご覧ください。
(パソコンが古くてホームページが編集できなくなったため、こちらに載せています)


ノストスブックスさんはアート・ブック中心の本屋さんで、年代/性別/画材、問わず、とにかくいろんなかっこいい絵が収録された本やかっこいい本、美しい本、がたくさん売っています。知識が乏しい自分はそれぞれの本の稀少さや作家の偉大さに気づかないままなげやりに眺めることができ、この絵は好き、こっちはなんも興味がない、とか、これは絵より造本が気になるとか、ていうかこれなんの紙使ってるんだろう、とか想いを巡らせたりして、時々楽しませていただいていました。
そんな、サンドバックにもできちゃうくらい強固な、またちょっと泣きそうになるくらい膨大な、芸術の歴史がぎゅっとした場所で絵を飾らせてもらうのはどんなふうになるだろう、と始まる前から興味深かった(言葉を変えれば不安でたまらなかった)のですが、こんなふうになるとは、よかったです。いい意味で存在感がなくて、いや、存在感がないというより透明に在る感じ..幽霊感がありました。そう思ったのは自分だけかもしれませんが。
最近の展示は毎回お葬式みたいだと思っていましたが、なんと今回それがありませんでした。幽霊なのに。幽霊だから?ふしぎです。
全部の時間がそこにあるような感じもしました。絵は、額のおかげもあって本物の窓のようだったし、本物の窓も大きかったし、風通しがよかったからかもしれません。
 
 
 
うすぐらいところへ隠れがちな自分にとっては、ひらけたこの場所は外のように明るくからっとしていて、在廊していたときはいつも以上にもじもじしてしまったかもしれません。相変わらずどのように立ちふるまったらよいか分からず、じっくり観てくださった方に挨拶もできぬまま帰られてしまい、その後ろ姿をみて(ありがとうございます..)とつぶやくばかりでした。すみません。
絵は自分のために描こうと決めて(断言するようなことじゃないけど、それだけはゆるがないようにしたいです)、だから人がわたしの絵を見て楽しんでくれるか分からなかったのですが、観てくれた方が感想を伝えてくれたり(対面でも芳名帳での感想コーナーでも)長い時間観てくださる方がいて、安心します。
どのように社会と共存するかを自分なりにずっと考えていますが、これでいいのかもしれないと思わせてくれました。..というより、いつも少しずつ忘れて、忘れたころに展示をやって、みなさんに思い出させられているんですね。多分、これでいいんだった。
ほんとうに、感謝しています。
 
 
 
今回も、額を古道具・背骨さんにお願いしています。
1枚1枚絵を見て、デザインや素材を考え製作してくれました。一緒にノストスブックスさんへ赴き、その空間や質感も考慮してくださいました。こんなに楽しいことがあるでしょうか。
巨大ポスターはノストスブックスさんとデザイナーの浦川さんが作ってくれて、それもこの展示を象徴する、かさっ!ざざっ!とした、軽い質感を持っています。
絵がほんとに完成したとき、描き手も一緒になって鑑賞することができるのかもしれない、と思いました。弔いのようでもありますが、灯籠流しみたいに、すっきりした思い出です。

 
 
ノストスブックスさんのウェブショップでは、6/3まで未売却の絵を販売してくださっています。ポスターや花の本も出品してくださっています。
よかったらのぞいてみてください。写真がすごくきれいです..
こちらをクリック→

つぎは夏にちょっとした花の絵の展示を、夏のおわりごろに日々の絵の展示をさせていただく予定です。不安多いですがなるべく負けずにせっせと自己探求しつつ生きていきます。
読んでいただきありがとうございました。
以下、展示の記録写真です。
 
 
 

2024-05-25

Check it up、Funk it up

 

 
去年の今ごろに「絵・日々・言葉・生活」という本を作った。
最近の日常は「生活(お掃除、ごはん、絵、税金、懺悔、不安、暇、排泄)」。
絵は「生活」の一部である。もしかしたら「暇」とか「排泄」とか「懺悔」?と同一かもしれないが、とにかくそれは「生活」に属している。
 
これは重要な分類だ。
絵を「生活」でなくて「絵」としてやろうと思うと、動けなくなる。意志は、石のように、どんと居座る。動いてやらんと言う。全体の生活が崩れていく。すぐにわたしは泥になる。
 
さっき掃除機をかけながら、(描かなきゃ)と焦っていたとき、なにも描けない気がした。そりゃそう。きのう目の上に蕁麻疹が出た。普段はこれを薬でおさえてもらっている。ちょうど薬が切れた時間だった。これが痒くなくて、腫れなくて、おさえる必要のない症状だったら。絵はそんなようなもの。
 
↑ 写真二枚目。自家製クリームチーズを最後に贅沢につかったときの。チーズとお砂糖と卵を混ぜ、パンの上にのせて焼くだけ。うるうるするほどおいしかった。
 
↓最近の掃除のときのバック・ミュージック!
 
 
 

2024-05-23

曇り空

 

ラベンダー色のばら。
 
おとといくらいからまた焦っている。ノートに書いて分析してみてもおさまらない。間に合わない(何に?)と思いながら、とにかくなにかに急いでいる。
それは数ヶ月後にある展覧会と、その先にある展覧会と、更にその先にやるかもしれない展覧会のためかもしれない。わたしは展覧会のために絵を描いているのか。
 (そんなことない)
 
きのう7時間、あまりの眠さにお昼寝をはさんで描いて、きょうは6時間、きょうもあまりの眠さに2回もお昼寝をはさんで描いた。全然きれいだなんて思う暇もなく描き終えた。最近覇気がない。眠い。
 
それでも、そんなのとはおかまいなしにきれいに咲いているので別にいいのだとも思う。この花のことも普通に忘れるだろう。さびしい、とは思うけれど、ごめん、とは思わなくなった。

ほんとうは花を、できるならこんな気持ちで描きたくなかった。それでも、自分に必要なことだと気付いたから、こんなんでも描いていいということになった。今は。誰のためでもなく、ただ自分のために描きたくて、じゃあいいじゃないかと。
 
でもわからなくなる、こうして思ったことを記録して、それ人に見せていることについて。だらだら怠けてひまだひまだと言いながら暮らしているなんにもできないわたしが、少しでもなにか人のためになることをしなければと、そんな理由でやっているかもしれない。不甲斐ない。だったらせめて正直でいたい。いるように努めます。



そんなこんなでメールのお返事がとってもおそくなってしまっています。
申し訳ないです。おまちください。

2024-05-13

 


 雨。

実際の場所・モチーフ / 色やタッチやサイズやディティール / 環境や感傷 / いい・わるい / を超えたところにある、ただの「風景」に出会えたとき、過去に捨てたはずの感情がまたわいてくる。本当に死ぬのが怖くて、でも死のにおいは甘美だった。

2024-05-10

『愛のインゲン』のこと

 

 
『愛のインゲン』という漫画集の、本づくりのおてつだいをしました。
 
ワッペン・平(タイラー)こと、古道具ニコニコ堂店主の長嶋康郎さんの描いた漫画をあつめました。てづくり感(しかない) 満載、誤字脱字いっぱいの、ちいさな本です。
 (「誤字がたくさんありますが、あまり直してありません。よろしく。」byワッペン・平)
わからない部分があったり、難解な漫画については、ぜひ長嶋さんにおたずねください!
30部限定。
 
この本は、東京・武蔵五日市駅にあるニコニコ堂と、わたしのウェブショップで購入できます。興味のある方はぜひ。
 
自分が他人の本の制作に関わることになるとは、想像すらしていませんでした。なんとなくお店に遊びにいったとき、なんとなく漫画を見せてもらって、なぜか本をつくらせてもらうことになりました。とてもふしぎな出来事です。
 
古道具ニコニコ堂
〒190-0163 東京都あきる野市舘谷 220-1  
 
ウェブショップ
 


 

ままならなさをかかえたままおわる

 

また花の絵を。
最近は、ぼんやりしながら描きおわる。
いつか死生観も変わってくるんかな。

2024-05-09

卑屈映画日記

 

アニメ版『シュガシュガルーン』をどうしても見たくて、(ずっと前になにかを見るためにコンビニで買ったのに使わずほったらかしになっていた)一ヶ月分のHuluのチケットを駆使して見ていた。ギリギリ有効期限内だった。
絵、家事、寝る前、休憩、なにをするときにも流していたら早々に全話見終わってしまった。期限内は活用しないともったいないような気がして、いろいろ見漁っている。
 
先日はアニメ版の『ピンポン』を見終わった。
アニメ版『ピンポン』は20歳くらいのときに見て大盛り上がり・大絶賛だった記憶があったけれど、今見ると全然だった。なんというか、どういうふうに見たらいいのかわからなくなっていた。変化は当然なんだろうが、不思議だった。
BGMとアニメーションは最高で、それで燃え上がるなにかはあった。けれど、作中の台詞で「才能」というワードがでるたびにすごい速度で冷めて、全てがどうでもよくなるのだった。
アクマか孔文革が主人公だったら、こんなわたしでも楽しめたのかもしれない。(こういう感覚は、卑屈なのかもしれないと思う)
数ヶ月前に、漫画『東京ヒゴロ』を読んだとき、大きな虚無感をおぼえた。結末が苦手だった。久しぶりにこのアニメを見た心象が、それにとても似ていた。
それでも。昔はたしかに感動して見れていた。そのときはそうだった。
思い出の中のキラキラしたペコとスマイルはそこにいなくて、それで寂しいだけのことかもしれない。または、わたしが<わたしの>現実に、毒されているだけかもしれない。
 
『バトル・ロワイアル』という映画を見て、ほんとうに感動したことがあった。
周りの方が絶賛していたからなんとなく見てみた映画『市子』が、とにかくわたしの感性とすれ違うばかりで、少し落ち込んだことがあった。それでその落ち込んだ空気のまま『市子』明けにぶっ続けで見たのが『バトル・ロワイアル』だった。『バトル・ロワイアル』を見終わった頃には朝になった。朝になっても感動がおさまらなくて、そのまま数時間感想を言い合ったんだった。

『キッズ・リターン』もDVDをほしいと思うほど大好きな映画。
『ピンポン』は若干『キッズ・リターン』的なところがあると思うけれど、どうして観賞後にいだく気持ちがここまで違うのか。『キッズ・リターン』は、人生の敗北のあとで、「バカヤロー、まだ何も始まっちゃいねえよ」と言ってくれるからだろうか。そしてそこでエンドロールが流れてくれるから、大好きなのだろうか。(大好きなのです)

Huluで見れたから見てみた『GO』での最後のほうの掛け合い。
 
杉原『俺は何人(なにじん)だ。何モンだよ。答えろよ。俺は何モンだよ!』
桜井『在日韓国人』
杉原『どうして何の疑問もなく俺のこと在日なんて呼べんだよ!在日って呼ぶってことはなあ、俺がいつかこの国から出ていくよそ者だって言ってるようなもんなんだよ。それ分かって言ってんのか。俺は時々お前ら日本人をどいつもこいつもぶっ殺したくなるよ。お前ら俺が怖いんだろ。名前つけなきゃ不安でしょうがねえんだろ、なあ。じゃあ俺はライオンだ。ライオンは自分のことライオンだなんて思ってねえからな。お前らが勝手につけた名前じゃねえか。調子こいて近づいてみろ。頸動脈に飛びついて噛み殺してやんぞ。名前なんてなんだっていいんだよ。マムシでもサソリでも。エイリアンでもいいよ。だけど俺は自分のことエイリアンなんて思ってねえからな。俺は。在日でもエイリアンでもねえんだよ。俺は俺なんだよ。いや、俺は俺であることすら捨ててやる。クエスチョンだ。ハテナマークだよ。物体Xだ。どうだ怖ェだろ。なぁ。何黙ってんだよ。何とか言えよ。なんなんだよ。チキショウ。うるせーな!だからなんなんだよチキショウ!」』
 
 (これを載せるために映画をもう一度再生しました)
これは、わたしに向けられた言葉でもある。
でも、わたしはよく、いろいろなときに、ほとんど同じ言葉で、ほとんど同じことを、頭の中で叫んでいる。このシーンはすごく好きだった。

2024-05-07

5月のみどり

 
 
久々に絵を描いた、また花を描いた。
前よりもへたになったようで、よかった。
かたちのするどさがなくなって、まるみを帯びた感じ。
5月のみどり。
 


個展 窓辺の肖像

 

 
5月の展覧会のおしらせです。
今年に入ってから、家の窓辺の絵を描いていました。
それで描き上がった10枚の絵を、古道具背骨さんの額に納め、展示させていただきます。
美しい本とともに絵を飾れること、うれしいです。

 
乾いた窓から
悲鳴のような風音が響く
私は水をもとめて窓辺を立つ



「窓辺の肖像」

会期:2024年5月18日(土)-27日(月)
営業日:金・土・日・月
時間:13時-19時
場所:nostos books 
   (東京都世田谷区砧5-1-18 102号室)
 

2024-05-01

人生の暇

 
 

最近はなぜかとてつもなく暇で(こんなことを言えるのはすごいと思う)アニメ「シュガシュガルーン」を見たり、ブックオフに原作の漫画を探しに出向いたりしている。(なんとなく見てみたらすっかりハマり、よく涙目になる)あとは小説を書いてみたり、買ってしまった本を読むためにノートを作って勉強してみたり、お香を楽しんだり。今日はなぜか人の漫画の本を作っている(今も横でプリンターががんばってくれています)。選択肢に<絵を描く>を抜きにするとなにをやっていいかわからなくなって、挙動不審な毎日になっている気がする。
今日は本当は自宅で藍染めをやってみたかったのだった。めちゃくちゃ雨で、調べてみると雨の日に藍染めは「あきらめたほうがよい」とのことだったので、諦めた。暇なのは多分いいことなんだと思う。明日も多分暇なので、今日が雨でもそんなに落ち込まなかったから。
久々に少し読めた本には、「とにかく忘却はいいもの」とあった。多分それに感化されて、やらなきゃいけないことも普通にすっかり忘れている。だから今、やることがゼロなような気がしている。これを書きながら思い出したけれど、そういえば今月、展示がある。このブログでもその告知をしといた方がいいかもしれない。見事に忘れていた。後でやります。なにもかもが終わらない予感がして心配しすぎて、一ヶ月以上前にすべての準備を終えていたために、最近はもうその次の展示(四ヶ月半後)の心配をしていた。ある意味すごい余裕である。焦燥感と不安はどうしても拭えないが多分大丈夫なんだろう。あとは口座残高のことを忘れたらわたしは無敵だと思う。
今作っている本は暇だからという理由だけで製作しているわけではないけれど、なんかすごくよかった。この漫画の作者が自分だとしたら踏みとどまっていたかもしれないことに、気付かずがつがつ歩けてしまう。少し危ない。これは編集ではない、これはコラボだ、と頭に言い聞かせている。わたしは編集なんてできない。
しかし、少しでも暇があるとなるべく有意義に活用したいと思う自分(人間全般そうなんでしょうか?)はなんなのだろう?切羽詰まって焦ってるときの方が無意義に暮らしているような気がしてきた。