身体の悲鳴・心の健康

 


 
メンタルブレイクを、根性でなんとかしようとする(なんとかできない)のをやめたいなと思って、最近は栄養のことをよく考える。Googleで検索すると、精神症状にはビタミンB6、カルシウム、マグネシウム、ビタミンE、トリプトファンなどの栄養素が効くらしい。毎日続けられそうな食品としてはバナナ(ビタミンB6、マグネシウム)、納豆(カルシウム、マグネシウム、トリプトファン)、玄米(ビタミンB6、マグネシウム)とか。わかめ、納豆、ヨーグルト、ひじき、切り干し大根とかもよさそう。ぱっと見で健康そうな食品はだいたい良いのだな。我が家は白米を玄米に変えてみて一週間くらい。上手に炊けるようになって、おいしい。調子よくなってきたような。
 
振り返ればわたしはいつも心の不調の原因を環境に押し付けてばかりだった。落ち込んだときの食生活はひどいもので、食べないとか、何の栄養もない好きなものだけ食べるとか。冷静に考えると自分で負の無限ループを作り出していたのか。
刻一刻と残金ゼロが迫っていて、わたしはこれまでゼロになる度大丈夫じゃないくらい落ち込んで動けなくなっていた。ゼロにはなる、なるものはなる。大丈夫じゃないにはなる(なくなりたいけど)、なるものはなる。根性論は無理がある。お金があるうちに栄養がある食材を買い集めておくことくらいはできるかなとか。残金がゼロになったとき連動して心までぐったりにならなければいい話。落ち込んだときでも、玄米が、炊ければいい。
 
ちょっとした胃の痛みの対策をするのも重要だと分かってきた。胃のもたれは、わたしの不安症に火をつける。実際の痛みは小さいのに、妄想で痛みがふくらんで最終的には心まで沈んで動けなくなる。これって無駄だ。
なので最近は、刺激物やコーヒーをあまりとらないようにしている。コーヒーの代わりにココアを。純ココア小匙3、蜂蜜小匙2を小鍋で練って、加熱しつつ牛乳と混ぜる。生姜とかも合いそう。この動作、面倒くさいなと思っていたけれど毎日やっていると楽しくなってきた。ココアは胃がもったりしなくて嬉しい〜。ありがとうだ。
 
それから、靴下の重ね履きとか。首もとをあたためるのを欠かさないとか。とにかく真っ向から身体の悲鳴に向き合う方が、たとえば脳に効くお薬を処方してもらうより根本的な心の健康に近づけるのではないのか。そんなことはないかな。場合によるか。でも、食べるものは重要。
今日も今日とてお金になることなんにもしてなくて「あれっ?」って何かに気づくと心が崩壊する。今日も自分を保つのでせいいっぱい。
 
 

▲切り干し大根の煮物、ひじきと大豆の煮物、この二種は心身の健康にいい。なるべく切らさずいたいけど、早速切らしちゃったし、今日は作る元気なさそうかもなぁ。
皆さんもどうかお元気で。検討を祈ります。元気がない人はちょっと元気になった隙にこの二種類をがんばって作ってみてください。(レシピはインターネットからメモです)
 

第5回更新のおしらせ / 市村柚芽エッセイ『RUN』



すなば書房さんにて連載中のエッセイ、第5回が公開されました。
今回は文字多め。よかったらのぞいてみてください。
 
すなば書房さん(ネット古本屋)、写真が綺麗で商品をながめるだけでも楽しいです。
読みたい本もぜひぜひ探してみてくださいね。
 
市村柚芽エッセイ「RUN」第5回目:☆(クリック)
すなば書房さん:https://sunababooks.stores.jp/
 

花の絵

 
(2025-1-7)

(2025-1-15)

(2025-1-21)
 
昔だったら選ばなかったような花も少し目に留まれば選んで買って、描くようにしている。
それは描けなそうだったから選ばなかったわけだが、描こうと思えば描けてしまうことが分かった。完成に向かって筆を動かしていて、それって消費と何が違うんだろう?
これでいいのか、なんて分からないが、いいわるいどっちかか分かることの方が少ないことは分かってきた。目の前に見えているものを、見えているところだけでもちゃんと描こうと食らいついてみている、最近は。

わからないまま歩く

 


昨日は1年でいちばん大切な日。
2023年にさようならだったから今年で丸二年。ゼェハァしながら たまに動けなくながら なるべく振り返らずに走った、かなあ。
 
大切だったとはいえ、とくになにかすることもないけれど。
ひさしぶりに目を閉じて、2022年の実家の妹のベッドの上で寝てる猫をゆっくり撫でた。頭の上とあごの下がお気に入りだった。たくさん撫でると、ちいさくごろごろ、言ってくれる。あの時間大好きだった。わたしはもう別に泣くこともなく、猫はごろごろあたたかい部屋で、今日もかわいい顔で穏やかに生きている。
 
猫は人間のことばをしゃべれないのに、わたしはずいぶん心を開いていた、幼少期。それってすごいよなーと昨日自転車を漕ぎながらふしぎに関心した。心の友だちのようで、なんでも分かってくれている気がして、依存していたレベルかもしれない。今も変わらずだが、子どもの頃、本当に大好きだった。
 
振り返ったとき、ほんとうだった感情に、思い出せなくてわたしの頭のAIが生成し出した「でたらめ」の思い出が上書き保存されそうで恐れていたけれど、まあ、もう、大丈夫だろう、という気が、最近はしてきてる。ほんとうのこととか、それをおぼえていることとか、そういう純度の高い気がすることは大切だが、今こうして生きている事実には、当たり前にかなわない。だって今ここにいる理由そのものだから、忘れたってかまわないじゃないかと。恐れることはない。恐れることはないけどやりのこしたことはどんどん出てくる、会えるならばいつだって会いたい!
 
うまく描けない花をがんばって描いたら、目の前に咲いてる花と全然ちがっていて、でも完成ということにした。投げやりのつもりはなくて、これが自分のせいいっぱいだと思った。同じ花を描くことは二度とできないけど、きっとまた出会うだろうと、信じることが出来るようになってきた。…出来るようになってきたっていうのは、ちょっと行きすぎかもしれない。信じる、なんて言葉よりもっと気軽な気分が本当はいい。
それにしてもいつだって、進む道が合っているのか分からない。分からない中を歩くしかないんだと思う。

引き続き、あの日から今までのわたしの心の動きをしっかり見つめながら生きます。
いつも見守ってくれているみなさま、どうもありがとう。

2025-1-16
(2025-1-15のための記録)

第4回更新のおしらせ / 市村柚芽エッセイ『RUN』

 

 ♦︎連載のおしらせ

すなば書房さんにて連載中のエッセイ、第4回が公開されました。
中々本を開きませんが、、次回くらいから少しずつ進んでいきます、懲りずにお付き合いいただければ幸いです。

それにしても今日はすごい風でした…🌪️
風邪引いてしまいました。
皆様もどうかお気をつけて!
 
市村柚芽エッセイ「RUN」第4回目:☆(クリック)
すなば書房さん:https://sunababooks.stores.jp/
 

曲がり角で過去とばったり

 

昔には描けなかった花の形が取れて、色を塗ってみようと思ったら夢の中みたいに身体が重い。手を動かしていたら昔の色とばったり出会う。懐かしい色をまた通り過ぎて今に帰ってくる。またな!

ここ数日は、絵を描けないあいだはずっと、自分が生まれる十年とか二十年くらい前の曲のライブ映像を見ていた。タイムスリップしたみたいに昔、昔の映像ばかり見て、ぱつんと閉じて、今のその人の映像を見直したら、ふとしたしぐさや表情に過去が重なって、この人ずっとこの人なんだなあと実感する、そんなことはあたりまえなのだけども、涙が出てくる。「だけで」とは言えない、元気でいてくれて今でも歌っててくれてわたしがこの歌を聴けるまであってくれてありがとう、という気持ちが込み上げてきて、「オエーッ」(感動)となる。
 
歌とはいいものだなあと思う。ずっと昔に作った曲を、何十年も繰り返して歌って、そうやって、歌をつくった人にも、聴く人にも馴染んでいく、大きな時間のこと信頼して、その人の手から離していく(放していく)。その流れは、いいなあ。いいよなあ。
絵でまるまま同じことは自分にはできないから、せめてそんな気分でわたしも花をいっぱい描いてみようかなぁ今年は、なんて考えてます。ミュージシャンみたいに全国ツアーしたいな。
展示の予定はあまりきまってなくて、最近はメールのお返事もできてたりできてなかったりで(いただいたメールはとてもとてもうれしく読んでいます)なんにもしないかもしれないけれど、どこかでお見かけの際は、見てくれたらうれしいです。

第3回更新のおしらせ / 市村柚芽エッセイ『RUN』

 

すなば書房さんで連載中のエッセイ、第3回が更新されました🍂2025年最初の更新!
よかったらのぞいてみてくださいー。

市村柚芽エッセイ「RUN」第3回目:☆(クリック)
すなば書房さん:https://sunababooks.stores.jp/

年末年始



年末は穏やかに過ごした。お蕎麦屋さんで年越し蕎麦を食べたり、携帯の小さな画面での紅白を横目にオセロを観戦したり。が、B'zのサプライズに興奮してオセロどころではなくなった。まさかラブファントムとウルトラソウルまで歌ってくれるとは思わなくて。最高の幕開けだった。未だにちょっと興奮。

年明け実家に帰ったら猫アレルギーと日々のリズムが狂ったことで少し気分が落ちる。でも妹から借りて徹夜で読んだ『スキップとローファー』が素晴らしく、読んでいたら学生時代の自分が何人も成仏した。
それから、録画しておいてもらった紅白を大画面で見た。B'zの場面ではほくほく、でもやはりリアルタイムで見れてよかったとしみじみと。
TwitterではB'zのことを調べたからか、B'zの話題ばかり。紅白B'zを長年のB'zファンが大喜びで見ている動画を見ては、二次的に幸せになった(B'z特集のスポニチもGET!)。

家に帰ってから紅白に出場していたTHE ALFEEが妙に引っかかって調べる。それぞれ違う漫画から出てきたかのような風貌の3人は、結成五十周年を迎えたらしい。大掃除なんてまったくしていなかったから、机と祭壇を掃除をしつつユーチューブで『アルフィーキッチン』の動画を見漁る。最高すぎて掃除をほっぽり投げそうになった(一応終わった)。
祭壇は埃まみれで、毎月大切にめくっていたウィスット・ポンニミットのカレンダーは10月で止まっていた。11月、12月と、わたしは何をしていたんだっけ?写真とか文章とかは残っていて、もうあんまり覚えていないけど生きてたのですね。はあ。気分がぐっと落ち込んでいる時期のことは元気なときにはあまり思い出せない。
10月までは記入できていたスケジュール帳も一切ひらいておらず、祝いたかったお誕生日を完全にスルーしていたことをだいぶ遅れて知ってショックを受けた。ダメだなあ。
カレンダーもスケジュール帳もダメになったら一切見なくなる。今年は買わなくていいかもしれん。

そういえば『アルフィーキッチン』は、素敵な歌をうたうBさんやお世話になっているNさんも同じタイミングで見ていたと聞いて笑った。
『スキップとローファー』と『THE ALFEE』の掛け合いは、どちらも見ていて安心するというか、うれしくなるというか、幸せあふれる。多様性という言葉を使うのがずっと怖かったけれど、こういうことか!とハッとする。最近Amazonを解約して有料会員になったラジオの実況動画グループもそう。

久しぶりに一人きりで暮らす。今日で三日目か。気圧のせいか、実家を引きずっているのか、心がぶよぶよとしてる。セロリをまるまる一袋、その他野菜をたくさん煮込んだミネストローネを鍋いっぱいに作っておいた。これは正解だった、これがなかったらこの三日間はひどい食生活になっていたんでないか。
寝付けないし、朝はぜんぜん起きれない。沈んだ太陽ぶんの焦りが積もっていく。頭には言葉がいっぱい。誰とも喋っていないのに内側でずっと何かが爆発しているようにうるさい。花を買いに行くだけでくたくたになって、それから外に出ていない。花屋では花を決めきれなくて長いこと悩んだ。花なんてどれも絶望的にきれいだと思う。どうやって選んだらいいか全然わからない。
ぎりぎり選んだ二種類の花は(二軒はしごした)どちらも似たようなやわらかさ、淡い色をしている。たぶんこの時点で、わたしの気分はおおいに反映されている。選別、というより、答え合わせのように。情けない。わたしは花を描くとき、男になっている気がする。そういう目で花屋に立つのはどうなんだろうね。
それから描こうとしても花をうまく観れない。下心しかなくて、やつれていて、形をとれるような精神状態でないことに気づく。元気なのだけども。でも気づけてあきらめられるのは成長だと思う。

そういうときやはり経理の仕事は助かる。元気と時間だけ有り余っているとき天国になる。だらだらと入力していたらあっという間に2024年の確定申告の準備が終わった。ハタから見ればけっこう優秀な人なのではないだろうか。実際は違います、やることできず、暇なだけ…。
昨年度のお金の動きのグラフは、見事に感情の動きと連動していた。年収的には自分ひとりくらいはじゅうぶん生活できる額。すごいです。なのにどうしてこんなにしんどいのでしょう。落差だろうな。みんなどうしているんだろう。どうにかしないとそろそろ身が持たないだろうなあ。

今日は朝からずっとチャゲアスを聴いて、ASKAのことを考えていた。そういえばいつだったか夢で、ASKA(ソロ)のライブに行った。シークレットゲストでChageが出てきて「これって実質チャゲアスじゃん…」と震えたんだった。夢じゃなけりゃいいのにな。今日もまたしみじみ思った。再結成があるとして、自分の身体はあの人混みに混じって楽しめるのかは分からないけれど。
ASKAのことを考えていて、胸がぎゅううう、とする。それがいちいち、なんか、すごくばかばかしいような、はずかしい。

B'zもチャゲアスもALFEEも、テレビとか携帯でわぁーっとするときにある隔たりは思ってる500倍くらい大きいだろう。彼らのことをなんにも知らずに、年代のギャップも飛び越えて、わたしは勘違いの延長で泣くほど感動している。すばらしい音楽を聴いて、わたしに描くべきものなんかないと本気で思う。何度も思う。それでも何か残ってしまうものがあるならばそういうようなものにしなくてはと。ほんとうの最後にはきっと何も残らなくて、じゃあ自分の優しさに自信を持ったっていいのかもしれないと思ったり。
アツいスターたちは見た目もすごい。デヴィット・ボウイに最初に打ちひしがれたときも見た目にびっくりしたのだった。その姿は、その主張は、差別じゃなくて喧嘩、という感じがして好きだ。疎外感を抱かせる隙もないような、知らん人が見たらとんでもない風貌。それは自分の、というより、自分の優しさの、自信、の、あらわれなんじゃないかな。

これはわたしの趣味ですが、ASKAの黒Tに青ジャケットの姿が大好きで、大好きで。あの服装をいつか揃えて、個展の初日とかに着こなして在廊とか出来たら…。そんな気持ちを野望のように抱きながら、最近は青い服ばっかりある。

Wi-Fiがつかえず、頭の中で無限に湧いてくる言葉を携帯から放出!でした。

第2回更新のおしらせ / 市村柚芽エッセイ『RUN』

 

 
あけましておめでとうございます🎍
すなば書房さんでのエッセイ第2回が更新されました。
お正月に暇な方、ぜひのぞいてみてください。

紅白B'z、ほんとにほんとに最高でしたね。
とても小さい画面で眺めていましたが、それでも感動してしまいました。
2025年は最高な年かもしれないです。

市村柚芽エッセイ「RUN」第2回目:☆(クリック)
すなば書房さん:https://sunababooks.stores.jp/