2022-04-22

ポストカードの卸販売について





●ポストカード 卸販売もおこないます

みなさま、たくさんのご注文ありがとうございます。
昨日までの注文で、入金確認済みのものは、本日すべて発送させていただきました。
本来であれば、生活のレベルをだいぶ下げなければできなかったであろう額を寄付できそうです。ささやかであることや自分の満足のためかもしれないことには変わりないのかもしれませんが、行動をおこせたことはこれからの希望になるかと思います。
いままで、ただただ嘆くことしか出来なかったので、本当にうれしいです。
本当に、ありがとうございます。

みんなが安心して朝を待つことができるようになることを願っています


●卸販売について
1枚あたり税込165円で、卸値が100円になります。
ご購入された段階で、50円寄付出来ることになっております。
(寄付は、ひとまず5月中旬までのお取引のみ)

【卸1枚あたりの内訳】
・お店の利益:65円
・原価と市村:50円
・寄付:50円

お店などで販売して頂ける方は、ネットショップではなく直接ご連絡をお願い致します。(※実店舗の有無は問いません。ネット販売のみでもたいへんありがたいです。個人的な購入の場合は、定価でのお取引となります。)

◆セットでの販売ですが、店頭では1枚ずつでの販売(1枚税込165円)でもかまいません。
◆合計30枚以上のご注文で送料を負担させていただきます。
◆お支払方法はお振込となっております。(お振り込み手数料はご負担ください)
◆価格表
●Aセット(卸)…税込300円
●Bセット(卸)…税込300円

連絡先は、SNSのメッセージでも、メールアドレスでも、どこでもかまいません。
アドレス→mebachiponponmaru@yahoo.co.jp

よろしくお願いします。

市村柚芽

2022-04-18

ウェブショップのおしらせ


 





今日、ウェブショップを開設しました。
花の絵のポストカードを制作しましたので、それを出品しています。
おまけで原画も出品してます。(高いです)
自分で言うのは少し照れますが、花の絵はポストカードによくあってます!
すてきなポストカードになってます。
 よかったら、見てみてください。
ウェブショップ→
 
 
ウェブショップを開設したのは、自分にできるウクライナへの人道的支援を考えてのことでした。今回、とりあえず、5月なかごろまで、ポストカードの売り上げの30%を寄付にあてます。(詳しい事は、これからウェブショップのほうに書いていきます。) 状況を見て、延長していきます。原画の代金については書いてませんが何割か寄付にあてたいと思っています(そのときの自分の生活の状況次第ですが)。

私は貯金もなく毎月ギリギリで暮らしていますが、絵で頂いたお金はとってあります。
この唯一の貯金をどうにかふくらまして 、ふくらんだところを寄付することにしました。
あまのじゃく気質の為、 描いた絵のグッズ化はどうかなあと首をひねっていましたが、花の絵を描き始めた時の気持ちと最近の世界をみていて生まれる気持ちが重なって、花の絵たちがそういう訳ならどんどん使いなって言ってくれてる感じがしたので、ノリノリで作ることができました。
 
数時間前に開設しましたが、すでに11名の方が買ってくれてます。
すごく嬉しいです。ありがとうございます。おたのしみに!
たくさん寄付出来ると良いです。発送頑張ります。
 
お店に置いてくださるという方、いらっしゃいましたらご連絡ください。

2022-04-17

ずっとあるもの

 

 

古い絵本に落書きや記名、メッセージの跡。
時代を見る。私が生まれる何十年も昔に(百年くらい昔もある)発行されている。装丁、挿絵、表紙絵、著者、編者、出版社、印刷会社、...などなどに関わった人たちの名前が、誇らしげに、ずらっと書き連ねられている。(会社単位であるので、関わったけれどそこに実名で記されていない人もたくさんいるけど)
古い本のクレジットは、ほとんどその中のひとりも知らない。本ってこんなに大勢で作ってたのかーと、いまごろ知る。

本は、死んだ人のように何も喋らなかった。
では、それが完成するまでいったいどんな会議やひらめきや葛藤やあきらめや賭けがあったんだろうと、考える。じゃあ、一冊の本が誰かの手に渡るまでの月日と労力と必要なお金はどれくらい?と、考える。そして、今、こんなにきれいな状態で残っていること、について考える。誰かの宝物だったのかなと空想する。

素朴で静かな、だけど少し変わった、引っかかる本があった。その本にはペンでメッセージが書かれていた。
その本の事を教えてもらうと、使われている紙や、大きさ、比率、それらの多くが規格外であったり、あまり使われない素材を使用していることなどを知った。その本は、ある特定の年代の子に、とても大切にされるような特別なものだった。きっと大人になったら本棚のすみにおかれてしまうような、小さくて、主張のないシンプルなデザインの本だけど、その特定の年代の子のため、言い換えると人生のうちとても大切な時間を、ちゃんと大切だと大人達が認識して、こぞってお金や努力をふりしぼって作られたものだと思うと、読む手がちょっとふるえる。

でもやはり本は、死んだ人のように何も喋らない。
みんなの、超、超がんばって出てきた汗をふいたタオルは家に持ち帰って洗濯してまた干した。だから、残るのは、そのものだけ。
とっくに死んでいった、顔も時代も知らない本を作ってくれた人たちのことを考えるとき、その感傷は、滅亡した恐竜たちに思いを馳せるときの心と近いなーと思った。
けれど人間は滅亡していないので、個体は消滅してゆくが、こうして大切に作ったものを守ることができる。
その本のメッセージは異国のことばで読めなかったけれど、きっと大切な人にプレゼントしたんだろう。誰かが誰かの為にこの本を選んで、月日が経って選んだ人ももらった人もみんな死んでしまった。でも本だけは、きれいな形でのこされた。
今目の前にある。
大切な事が、はっきりと分かる。
「良いものを作る」という事だけを考えるのって、むつかしい事だと最近感じる事があった。本当は簡単な筈なのに、大人になるとそれがやりにくくなったりする。 
 
自分の感受性のせいでときどき仕事がのろのろになる。もう少しメカニックになりたい。

2022-04-03






狩野岳郎さんの展覧会を見に渋谷のNIDI GALLERYさんへ。近くで見て、遠くで見て、なるほど!となってからもう一度近くで見る。狩野さんの作品は、抽象的な絵画になったり、具体的な景色になったり、雨音のようなリズムになったり、音楽になったり、物質になったりする。
目にうつるのは物理的に描いた域のみだけど、頭のなかにうつるのは見ている絵の虚像のようなもの。狩野さんの目でみつめる日々を自分の頭の中で再構築したらこんなふうになるのかと思った。しずかな部屋、植物と油のにおい(ウォールナットオイル/胡桃から抽出したオイル.を使っていると教えていただいた。そのにおいを想像する!)で心地いいな。
会場によって絵が変わるという話もおもしろかった。人ってすごいし、おもしろい(語彙、、)。作品に反映するのは、日々のささいな出来事から、因果関係まで、すべてだなあ。社会の問題をテーマに描かなくても無関係ではいられないように、描いてある[もの]だけが描いてある[こと]じゃないということが、裏付けされた感じがしてちょっと安心。絵は巨大な木のような根をはっている。それでも遠くから離れると小さな種となって、また誰かの頭の中で新しい木になり、花が咲いたり果実が実ったりする。
果てしなくて、私の人生なんかちっぽけに思える。
 
最近紙に油彩画を描いている。(狩野さんのスケッチも紙に油彩(!))カンバスに描くのがしっくり来なく、尊敬する画家に聞いて教えてもらって使いはじめたけど、だいぶよい。絵を描く時に腰が重いのが一番よくなくて、それを回避するために紙。保存や強度の事ももちろん大切だけど、それによって気分が消えて行くことの方が大きな損失なので、今は深く考えずやってみている。暮らしとともに描いて行きたいものだ、皆さんはどうですか?
...しかし最近の自分の腰と絵は重い。できた絵、乾いてなくてまだ分からないけれど惜しい感じじゃないかなあ。油彩、めちゃ楽しいけど難しい。色々試そう。

私の家には以前狩野さんからいただいた小さな多肉植物がある。黄緑と桃色のまるくてかわいい小さいのの連なったもの。切り花のような分かり易い変化がなく石のような雰囲気が漂っているので本当に生きてるの?と思っていた。帰って来てそれを見ると、いつのまにか、よくみるとそのまるのひとつが一個増えていたし、その後ろに小さいまるができてた。毎日見てたのに気付かなかった。すごいなあ。

自分の絵について、たまーに窒息しそうな感じになるときがあり、それが今夜やってきた。りんごを描いていたけど、なんてつまらないりんごの絵だと思った。そんな気分になるのは久しぶりだった。狩野さんの絵の立体的な多面的な構造にしびれたからかな。
いつもだったらそれに落ち込むけれど、そういう感覚は詰めて行くと若さゆえの柔軟さがある証拠でもあるので、、大事にしよう。なので大丈夫だと思う。久しぶりにいくつもの栄養まんてんな絵を見れてうれしかったー。


2022-04-01

はなびら

 

 
 
春に雨の夜 めいっぱい空気すったら空気やさしかった
すこしまえから、いつか先生になりたいと思う
それは歪みきったり、屈折しきっての、先生になりたいという夢
でもやはり、今の自分はどうしようもなくてだめだと感じる 
いつか、誰かから先生と呼ばれて自然に返事をできるようになりたい 
今日は桜のはなびらキャッチして、そんなこと祈りました
小さい頃、小さな公園で桜のはなびらキャッチできたら願いが叶うというのを信じて
当時は絵をいっぱい描きたいって祈ったな 叶って良かったな 
部屋の畳の上でたくさんの絵乾かしてるので二畳くらいしか生活スペースがない
その夢については ただ描いていればいつかどうしたらいいか分かる気がするので
描く手をとめずに焦らずにやってこう と思った