片付け

 
(2026-2-14)

(2026-3-10)

(2026-5-2)

(2026-5-8)

(2026-5-21)
 
引っ越してから絵が変わった。光がよく入って、風通りのいい部屋。広いから、今まで使ってきたスケッチブックが小さく見える。そんな絵になってきたし、そんな心になってきた。新しい部屋でも変わらず、絵を描くための固定の場所や机は設けていない。絵の具や紙や水バケツは都度片付けて、まっさらな机に戻す。アトリエに憧れていたが、私には要らないようだった。使い慣れた台所と、まっさらな机と、余白があれば、それでいい(それがいい)。

お仕事 /『感傷は僕の背骨』

 
 
 



フォークシンガー・世田谷ピンポンズ(現・品品)さんの随筆集第2弾『感傷は僕の背骨』という書籍に、絵で関わらせていただいています。
やわらかい紙の手触りと色調が美しいです。世田谷ピンポンズさんの素直な眼差しを通して身近な町を思うと、新鮮な気持ちになります。嬉しいご縁をありがとうございました。

5月の下旬に2冊同時発売だそうです。
見かけた際は、ぜひ手に取ってみてください。
 
 🏓
 
『感傷は僕の背骨』
著者:世田谷ピンポンズ
編集:杉江由次
イラスト:市村柚芽
装丁:松本孝一
発行人:浜本茂
発行所:株式会社本の雑誌社
印刷所:モリモト印刷株式会社 

お仕事 / syn magazine 第2号


 
 
 
 
ものすごく遅れたおしらせです。 
京都・龍谷大学の政策学部同窓会チームが出版する雑誌「syn magazine」2号に、描き途中の絵などを使っていただいておりました。今号のテーマは「続けるという営みについて」。

2018年の1年間、『描く日々』という名前の講座につられて、美学校という場所に通っていました。講師は佐藤直樹さん。描く日々を送ったというよりは、描いたり描かなかったりの日々とか、寒い冬にみんなで鍋を食べた記憶の方が濃く残っています。
1週間に1回、夜の授業が1年間。振り返ると、それよりもっと長い時間を一緒に美学校ですごしたような気がします。各々の「続ける」が交錯して落ち合ったあの場で流れる時間はとてもゆっくりだったのかもしれません。贅沢な時間でした。
今号では、今もなお描き続けている佐藤さんのインタビューも掲載されています。興味深すぎて読みたくない的な謎の気持ちが渦巻いて、わたしはいまだに通して読むことができずにいます。ちなみに、デザイナー・浦川さんともこちらの講座で知り合いました。嬉しいです。

素敵なご縁をいただき、ありがとうございました。
どこかで見かけることがもしもあれば、ぜひ手に取ってみてください。 
 
デザイン:浦川彰太

花火 / 祈りがささくれないように

 
 
描きはじめはほとんど青だけ、時々きいろを混ぜ、青とみどりで埋める。何層も青を重ねて、そのあとは思い切って黒をさす。はじめの黒はいつも緊張する。青を壊すことの後ろめたさも。気にしていたらいつまでも絵が進まないから一々止まらないけれど。
いつか止まるときがくるのかな。青い花火はきれいだった。
 
ふとしたとき、無性にかなしくなることがある。今がそう。わざわざ誰かに話すようなことではないが、すでに傷ついた部分をもう一回針で刺すような、たしかな痛み。その痛みは自分の意思ではどうしようもないもの。うれしいこと、やさしいこと、好きなものを思い出す。
 
コンビニで、郵便局で、書類のことをわたわたとしていた時、店員さんは「ゆっくりで大丈夫ですよ」と、ゆっくりと言ってくれた。コンビニでも、郵便局でも、それぞれの担当の方が。それはわたしがよっぽどパニックになっていたからかもしれないが、その一言で目のぐるぐるは半分くらい解け、安心した。平常心で作業をすれば、わたしにだってできることがたくさんある。できないことばっかりのわたしにも。こういうまなざしのことをやさしさって呼んだらいいのかなあ、なんて、帰り道に考えた。少し泣きそうになった。
 
このあたりの夕暮れどきは、以前よりもずっと好きな景色を見せてくれる。空が広くて、静かで、誰の目線もない、この時間は宝物だ。暮れかけた、影まで青にのまれた時間。 
  
新しい家の近所のスーパーには、知らなかった野菜がたくさん並んでいて、最近、浮かれているのか、よく手にとる。なかでも「サラダセロリ」はすごくおいしかった。家の雰囲気に乗っかって蒸篭も新調したから、最近は何を蒸そうか、どの食材を使ってみようか、何をつくろうかと、ごはんのことばかり考えている。本屋で右往左往して選べなかった料理本も、最近コツを掴み、買えるようになった。家で読んで身の丈に合ってないと思っても別に落ち込まなくなった。(身の丈、なんてないのだろうし、なりたいようになればよいのだろうし、)だれかひとりを、どれか一冊を、芯から信じようとするから絶望するのだ。わたしは多分、「信じる」という行為が、からだに合っていない。信じるのではなくて、色んなものや人や風景のすてきなところを勝手に吸収して、勝手に楽しく生きていくのが、きっとよい。きっと当たり前の話だが、わたしはようやくわかったのだった。

内緒話

 

窓辺で内緒話
新しいちいさなともだちと 

サザンクロス

 

少し前、真夜中なのに部屋が明るい。窓をのぞくと、光りすぎていた月。
 
今日もまた花を描いている。前の家では場所がなくてしまっていたスツールを、引っ越してから設置できたので、スツールも見て描けるようになった。木目や花瓶の反射を伴ってちゃんとそこにある。ずっと空想を描いていたのでその現象がおもしろく、最近は花よりスツールばかり追っている。描いているあいだは花をあまり見なくなった。多分、意識的に見ないようにしている。

頭で処理した花の輪郭をそのまま紙に写しとることは果たして観察なんだろうかと疑問に思う。細い茎を描くためにわざわざ鉛筆を尖らせて2本の線を引くことは、なんための作業なのか。他でもない、色を塗る時の自分の保険でしかない。私は生活でも絵でも保険ばかり張っている。そしてそれをよく観察だと勘違いしている。嘘なく記録することをなんとなく誠実なような気がしている。多分、実際は、誠実とは遠いもの。手放しても大丈夫なものを不安で手放させずにいるだけ。
 
先日、好きな絵描きのNさんの展示に伺った時、『ゆめちゃんの展示にも伺いますよ』と言われて、弱気になった。きっと興味もないだろうし、まあ、冗談だろう、と思って油断していたら、本当に来てくださった。なにがあったわけでもないが、私は緊張で心臓が止まるかと思った。きっと約束を果たすためだけに来てくれたのだから、申し訳なくもなる。けれど少し嬉しかった。誠実も執着も観察も正解も最近の私はよくわからない、でもこういう小さな約束を大切にする心が私にはまぶしく見えた。

小さな窓

 
 

昨年から展示を一緒に作ってくれている熊谷さんが、この活動についての文章を書いてくれました。興味あれば、ぜひ読んでみてください。
✈️ (クリックでとびます)



花を繰り返して描いてしまうのは、花を描けた気がしないからだと思う。その時見ていた花の像を、そのとおりに捉えられた日はない。いつも少しあきらめている。自分の目は頼りなく、ちゃんと描くことなどもしかしたら不可能なのかもしれない。
いつからか、高望みすることはやめ、自分にできることをできるだけやれたらいいと思うようになり、伝わることより続けていきたいと願って描くようになった。

花というモチーフは、自分の内側の、唯一の窓のような存在だ。だから、と言い切っていいのかは分からないが、この窓を塞いでしまったら、自分は人間じゃなくなるんじゃないかと思っている。
そんなことを時々想像しつつ(ほとんどは呑気にだが)、繰り返して描き、見る人をもしかしたらおいてけぼりにしながら、絵を展示させていただりしている。

熊谷さんとは、2021年に大阪で花の絵を見てくださり、メールを送ってくれたのがきっかけで知り合った。メールをいただいた後、都会の真っ黒な湖の前で初めて会って、凍えながらも長い時間話をした。
彼女が赤い服を着ているとき、自分は青い服を着ている、なんてことが多かったり、食べ物や歌の趣味も全然違ったりだが、気がつけば5年に近い付き合いとなっていた。
長い関わりの中で、私の窓が塞ぎかかったとき、熊谷さんが上記の活動について提案してくれたのだった。

晴れの日も雨の日も強風の日も窓を開け、風を通す。汚れた窓を拭くための雑巾を渡してくれたのは熊谷さんだった。
むずかしいことや大変なことは解決されていないし、わからないも増幅している気がするが、それでも陽気でいられるのは、自分にとって奇跡のような成果だ。

絵というものが、社会や人や動物や時間などの、無数の波が渦となって出現するものなのだとしたら、私はそれを、やれるだけ、できるだけ、ちゃんと写しとっていきたい。
 

『あしたのジャム』のこと

 
 

うれしいおしらせです。
『あしたのジャム』という商品が完成しました。
突然の宣伝となってしまいましたが、あしたから展示会場のるすばんさんに並ぶ予定です。

ジャムは、長崎県大村市にあるお菓子とパンの店「ほとり」さんが、展示にあわせて製造してくださいました。
本商品には、宝石のように美しい二種類のジャム(いちご・はるか・キルシュ / せとか・ゴールドキウイ・レモン・ローズマリー)がひとつずつ入っています。
また、ジャムとともに、小さな花の絵のカードが同封されています。裏面には、ほとりさんのことばが書いてあります。

箱やいろいろなものの設計、デザインは浦川彰太さん。
とにかくみんなでいろんなことを相談させていただいたのがるすばん荒木さん。
長崎まで出向いてくれたり、みんなを繋いでくれたのが熊谷麻那さん。
ほかにも書きたい名前がちらちらと浮かびますが、とりあえずここまでといたします。
すばらしいものができて、本当にうれしいです。

たのしい夜でも、もやもやな夜でも、きっとあしたの朝が楽しみになるジャムです。
数量限定ですが、会期中に追加納品もしていただく予定です。
ご縁あれば、贈り物にも、ごほうびにも、ぜひ。

以下は、ほとりさんより、ジャムの味についての説明です。



❉いちご・はるか・キルシュ❉

画集『花』の表紙をひらいたところにある、やわらかな赤をおもって作りました
いちごの甘さに、ごく穏やかな風味の柑橘「はるか」を優しく重ね、最後にさくらんぼのお酒をふんわりふくませています


❉せとか・ゴールドキウイ・レモン・ローズマリー❉


みずみずしく甘い柑橘「せとか」、華やかなゴールドキウイ、まんまるな酸味のレモン、春風のようなローズマリー
すべてがやわらかくとけあうようだけれど確かにすべてそこにある、香りよいジャムを目指しました

 


『あしたのジャム』

ジャム・言葉|ほとり
絵|市村柚芽 
企画|熊谷麻那
デザイン|浦川彰太
協力|えほんやるすばんばんするかいしゃ

🏠展示についてはこちら→

透明な鳥が

 


長いのに速い毎日。
気づかないうちに数え切れないさよならがあったと思う。
寂しさにも気づかない速度。 
新しい家では本が読めた。
きっと大好きな家になる。
 
高校生の頃、団地からマンションに引っ越したとき、しばらく落ち着けなかった。わざわざ書き留めもしないようなささやかな思い出たちでも、忘れるのが怖くて、上書きするのも悲しくて。不安だった。団地の周りに子供の心が漂っていた。幽霊みたいに。
20代前半までは、そんな心を引きずってか、断ち切れなくてなのか、後ろを振り返る絵ばかり描いていた。今は、さよならができてなくても気づけてなくても、私も荷物と一緒にちゃんと運ばれてきた気がする。手放したくないものたちを、手放していきたいとも思う。
 
少し前、中野真典さんの展示を見に行った。
DMをいただいて、『花守り』 という展示名と絵がずっと心に残っていた。
中野さんの花を見る視点は、自分のそれより、遠く遠くにあった。それはわかっていたことだったが、思っていたよりはるかに遠かった。
いつかそこに行こうとか、ついていこうとか、そういうことは、思わなかった。ただ純粋に、感動する。これまでに描いてきた花たちのこと思い出しながら眺めていて、ありがとうと思った。
 

「家守り」。新しい家も前の家も守ってくれる。

磨いて錆びて / 嘘の花

 


錆を放置していた真鍮の髪留めをクリーナーで磨いたら、何層か剥がれたように輝きだした。こんな輝く人だったんだ。かわいい缶の中には一生使いきれないんでないかという量のクリーナーが入っている。引越しのためにホームセンターに行き、便乗して買ってしまった。こんなことをしているから荷造りが進まない。引っ越せるのか。
 
.
 
個展にて、在廊が苦手になったのは、何を優先したらよいかわからなくなったからだ。でも、全然違う感動とか、知らないまなざしで感想を教えてくださったり、絵を見る人の背中を眺める時間は幸せなもので、多分、そのおかげで辛うじて社会と関わることができている。からっぽの心に入道雲ができて、やがて雨を降らせてくれる。

感動も 後悔も 虚しさも 
いつのまにか 花になる
嘘の花 ぱっちり咲いた
 
展覧会のはじまる前に頭の80%くらいは停止したまま捻り出した言葉が、最近の心によく響く。これでいいかという気持ちでなげやりに考えたフレーズ。
夜にお客さんと店主と三人で話していた中で心に残ったこと。〈ある偏った角度から「あなた」が作り上げた架空の「わたし」、架空の「わたし」を疑いようもなく美しいと思える「あなた」、私は現象に対して敬意を持つ、私はその「わたし」を守る〉
私にはできない。誤解を解きたくなってしまうから。魔法にするほど覚悟はないし、呪いは怖いしで。いつまでもこんな自分のままなんじゃないかと思う。でも、何も語らず堂々としている花の絵は、嘘を突き通してただの花になっていて、堂々の見た目その通りの堂々になっている感じがする。閉店して絵の前を歩いている時にふと思った。意識せずとも、いろんなものが、ちゃんと花になっているのだから、絵たちはできていた。花は花として守られている。私はすでにぼんやりだが、もっともっとぼんやりしてしまっていいのかもしれない。

折り込みチラシのこと

 
 
 

きのうから始まった展覧会でユニークな試みをしてくださったのでご紹介です🗞️
今回はDMの他に、かっこいいチラシを作っていただいていました。裏はぬりえになっています。誰か塗ってくれるでしょうか。こちらは2026年4月1日の朝の新聞(新聞社も配布地域もばらばら)に折り込んでもらっています。 デザインは古本実加さん。進行・発行などをしてくれたのは熊谷麻那さんとるすばんさんです。

DMを発送するときには、お手紙を送るように手作業で住所を入力したり切ったり貼ったりしていましたので、数日かかったこともあります。なので、実感がないまますごい部数がすごい世帯へ一瞬で配布されている状況が新感覚でした。  
初日にはこのチラシを見てきてくださった方もいたとのこと。インターネットではないつながりから知ってくださることも新鮮です。嬉しいです。関係者のみなさまに感謝です。 

絵の外側

 


昨日から展覧会のための価格表の製作に取り掛かっている。二日がかりで作ることとなってしまった。別にいいのだけど、なんだか、恥ずかしい。
絵に価格を設定したら、価値を付けたみたいで怖くなる。 意味づけとか、魔法とか。本にすれば、少し紛れる。これは、然るべき苦しみ。
 
何かを絵にするときに、紙の上では私が目の前の事象に意味を与えているのかもしれないと思っていた。それは逆で、絵にすることで目の前の事象が私に意味を与えていたのではないかと、さっき、うずくまりながら気づいた。花も空も、私が虚しくならないように。ありがとうとさようならは、儀式のような、必要なこと。
誰かにとって大切な時間となるような、展覧会になりますように。 

嘘本当の景色

 

好きな絵描きの中野さんが送ってくださったDM。嬉しい、美しい。乱用している新しいノートに入れてみる。お守りみたいで心強い。展示の名前は『花守り』。
 
今日、暗くて手もとが見えなくなった時刻は18時。長く集中して作業ができた。晴れにありがとう。窓から見える桜が少しずつ咲き、顔をあげるたび元気になる。絵は終わらなかった。
 
どこまでの本当を描くべきなんだろうと悩む。
目の前に黄色のラナンキュラスあり。今描いているのは肖像(という設定)ではないから黄色くする必要もないのだが、黄色くしないという選択をしようとすると、何かにひっかかる。が、ひっかかりを解明する前に、桜にひっぱられて薄桃色に塗ってしまった。
 
自分は嘘を描くのが下手ということを何枚も没を経て実感。逆に、何も見ずに描けるようなものはすべて心の内にある本当の景色なんであろうこともわかった。では、嘘をつくことが必要な場合に正しく嘘をつくには(正しいなんてないのかな)どうしたらいいんだろう。心の内で、嘘を本当にすればいいんだろうか。技術とは、こういうことをいうのだろうか。うーん。こうやってずっと踠き続けるのでも、別にいいような気もする。技術、私に必要だろうか。 
とにかく今の絵がちゃんと完成できることを祈る。 

太陽待機

 
絵がうまくいかなくて焦る。良し悪しの判断もできない。だいじょうぶか。今日は一日曇っていて部屋が暗くてそれだけで打ちのめされたような気持ちになる。心が常にワナワナしている。せめてものタンパク質として鶏肉と大量の野菜と豆のカレーを作る。ターメリックライスも炊く。みじん切りしている時間が今日一番楽しかったな。チラッと作業机を見るとさっきと何も変わってない絵があった。怖。朝は余りりんごと余り生地でアップルパイを焼いた。あまりにも部屋が暗くて描けなくて(言い訳か)。50分の焼成時間が本当に一瞬に感じられて怖い怖い。
 
夢。
この年で大学に入学することを決意。奇跡的に受かったもののどの大学に入学するんだか忘れる。勘で向かったら当たっていたのだが、校内に足を踏み入れた瞬間帰りたさMAX泣きそうになる、入学式も出てないけど中退のことを考え始める。

不安と安心の青

 

好きな街の大きな木と夕暮れ空。
小さな分岐がたくさん。途方に暮れるが美しい。あと、これくらいの時間の青はやっぱり好きだ。不安と安心がいいバランス。まんなかの青。

絵は、今日もうまくいかなかった。なんだかパッとしない。手応えはまったくない。春のせい、というわけでもなさそう、単純に未熟。それでも、まあ、描き終わったかな、というところで、コップのほうじ茶をぶちまけた。大惨事なのに心になんのダメージもないことを自覚、残念に思う。それでも反射的に拭いて乾かす。絵も無傷だった。
絵はむずかしい。とてもむずかしい。誰かや、なにかのための絵はとくにむずかしい。自分は絵が下手だ(描きたいものを描きたいときに自由に描けないという点で)。でももう上手になりたいとも思わない。練習なんて必要ないといつからか思い始めたが、それは、近道も遠回りもしたくない、と根っこの方で思っているからかもしれない。
都度ごめんなさいと言う(思う)。情けないし、うざったいだろうが、自分なりの優しさであって、。だからまあしょうがないのだ。
しょうがない。しょうがない。しょうがない。いろんなことがしょうがない。
できることをがんばる。小さすぎることでくじけるのをやめれたらいいな。

個展「花」 / えほんやるすばんばんするかいしゃ

 

 
春の展覧会のおしらせです。
東京・高円寺「えほんやるすばんばんするかいしゃ」さんに花の絵を飾ります。
るすばんさんで花の絵の展示をさせていただくのは2回目。古かったり新しかったりの本とともに、楽しんでいただけたら幸いです。
広島の木工屋さんの素敵な額や、長崎のお菓子屋さんの大好きなジャムなど、旅のおみやげのようなお楽しみも計画中です🧳
春のおでかけに、ぜひお越しください。 
 
 
市村柚芽「花」
 
会期:2026年4月2日(木)-5月25日(月)
休み:火・水
時間:14時-20時
(〒166-0003 東京都杉並区高円寺南3丁目44-18) 
 
DMデザイン:浦川彰太さん
チラシデザイン:古本実加さん 
展覧会の企画:熊谷麻那さん 
 
🗞️チラシについてはこちら→

逃亡者

 

私の朝は、蝶のようにはたはたと逃げられる。信じ込むことで存在するもの。暗いなあ、と思っていても朝。朝は朝!…と言い張りつつ、年々苦しくなってきている。
夜になると肩の力がふっとぬけるのも事実。安心して料理とか掃除ができるようになる。追いかけては逃して、安心しての毎日。疲れたよ。
整えねば。


喫茶ですごくおいしいカレーを食べた。びっくりした。サラダもコーヒーも夢のようにおいしくて。
深夜一時すぎ、四合分の根菜の炊き込みをおにぎりにする。救済。まだまだ我に返っては、ならぬ!

途中の人

 
 
ここ最近、悪夢を見なくなった。
数年前までは、毎日のように見て、一日引きずって過ごしていたのに。
関わる人たちが気持ちの良い人ばかりで、それも支えになっていると思う。
人間なんてほとんどはいい人で悪い人を探す方がむずかしい(接してきた社会がぬるま湯なのか、頭がお花畑なのか、とにかくごく一部しか知らない自分が語っていいことではないのかもしれないが)。いい悪いではない部分で他者のことを思い浮かべたとき、そう受け取れるのが一番だ。自分が社会と関わるとき、どういう姿でありたいかと考えるならばそういう方々を思い浮かべる。気持ちの良い人とはどんな人なのか考える。
楽しかったり、楽しいだけではなかったり。ほどよい深度と、ほどよい約束?拘束?後腐れないこととか。 
  
少し前の途中の花。
茎のみどりを黒で塗りつぶさずにとっておいたが、最終的に塗りつぶした。こうしてトリミングして眺めると途中段階のこれはこれで悪くないと感じるが、今でもこれを完成とすることは許せない。花の、生きている感じとか。ポジティブな感じとか。わかりやすすぎるくらいにわかりやすく感じる。そういうことを表現したいために花を描いているわけではないんだと思う(いつからか自分でもよくわからなくなって描いている)。黒に塗りつぶす以外に選択肢がないくらい。未完のままに止まったような絵に憧れるが、自分が描くには完成させないと気が済まなくなる。だからか少しコンプレックスだ。いつかそれも変わるのか。

日々滅裂

 

 
少し前。スキマだらけのお弁当と、かわいいチョコレートケーキ。
このぼんやりは春由来なのか、まあまあいろんなことがまとまらない。  
開かないだろうと思ってた蕾がどんどん開く。 
棚から自転車のカゴが脚に落ちてきて激痛・苛立ち。
無事を祈りながら10枚の絵を広島に送る。
帰り、大きな肉を買う。
夢で行った沖縄の海は空を反射して青紫。
カメラには映らない色。自転車でぽこぽこ思い出す。 

 
(2026-1-23)
 
(2026-1-30)
 
(2026-1-31)
 
 (2026-2-4)
 
花屋で、茎のうねりや蕾がかわいい、絵になりそうな花を選んだ。「絵になりそうだから」という理由でモチーフを決めるのはまったく悪いことでないが、自分の制作においてはどうしてか後ろめたさがあり、結局、後日選び直した花を描いた。描かなかった花は、静かに窓辺で咲いている。かわいい蕾は開かない。葉は少し縮れてきた。もう数日したら枯れるんだと思う。血がたれるみたいに花びらが散る。 

胡麻をする音

 
 
匿名で相談して、回答してくれた中に書いてあったおすすめの本を探す。探しても探しても発見できなくて、存在しない本だと分かった。回答者がAIだったことに気付き始める。ショック。自分で本を探してみるも、なにを買ったらいいかわからず体力が尽きる。
その昔、インターネットが好きだった。温度が好きだった。最近では、よくわからなくなってしまった。いつのまにふるい落とされたのか。悲しいな。
なんというか、老いだし、置いてかれてるし。
 
不安でいっぱいになったことは、今までたくさんあった。その対処法について何回も考えてきた。でもわからないまま。現実の世界では、何かが起こったら受け入れる以外の選択はないようなもので、そこには「大丈夫」しかないことはわかっている。あきらめればいいものを、どうしてあきらめられないのか。抵抗したくなってしまうのは、これもまた、あきらめるしかないってことなんだろうか。あきらめることって、「あきらめなさい」と頭に言葉で命令した途端に、難易度が急激に上がる気がするが、どうなんだろう。言葉にしてしまう前に、意志になってしまう前に、気づかれないように、ほどいていけたらいいのだが。
 
母から誕生日にもらったすり鉢で胡麻をすった。夜中の静かな台所で、胡麻をする音だけ響いた。ぷちぷちつぶれる感触が手に伝わる。だんだんと香り立つ。めん棒についた衣を味見。甘くてしょっぱくて香ばしい。

2026CALENDAR

 

打たれ弱くしょっちゅう寝込む「ダイヤの兄弟」というキャラクターの12コマ漫画をもとにして(もう1月も終わりかけですが)2026年のミニミニカレンダーを作りました。
遊ぶように作れて、楽しかったです。
よかったらのぞいてみてください📅

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