なんでも大丈夫だと思っていても、ほんの些細な出来事で、せっかく巻いた糸落としてまた巻き直さないといけないみたいな状態になったりする。確かなことなど、一個もなくなる。そんな時に感じた答えのないもやもやしたものの記録。

 
何かに対する激しい批判と、更にそれについての批判を目にするとくたびれる(それが自分の思想と同じものであっても。)選挙には行くけど、自分の意志を外に出すのはしなくなった。そういうのを言葉にするのは、今はとっても難しいというのもあるけど。

絵と社会に対して思ってることが、ある。が、まだ上手く言葉にできない。絵に対する、断片的な悲しみ、虚しさを、どこでもよく見つける。自分も、無意識のうちにやってしまってる事だとも分かる。
私はまだ芸術に憧れているし夢見ている。だから悲しいだけ、個人的な悲しみである。
でも、どんなにどんなに汚い背景があっても美しいものは美しいのに、とは、声に出して言いたい。悪いことが悪いだけ、作品そのものに罪はない。
こっちは小さい声でしか言えないけども、それは、人間に於いてもそうだと思ってる。(信じている。)

町、人通りのあるところにひょっと顔を出すと、水族館のマグロのように、人々が止まらずに動き続けていた。うしろ振り返る隙もないみたいな、もっとゆっくり歩こうとも言えないような忙しい雰囲気が大嫌いだ。
今の自分の心情はその風景そのままみたい。どうにかしてそこから出れないものか。

…謝罪、罪、感謝、建前、本当にいいこと、本当はわるいこと。溢れかえっている。
何もかも早すぎる、情報が多すぎる、目が回る。みんなよくがんばってる、みんなやさしい。みんな悪いしみんな悪くない、本当に。
具体的な不安事がないときにまで、ただ生きることが窮屈に、ふとしたとき恐ろしく思える。胸がきゅうっと痛む。

地球のあんまり人がいないところで、内緒でこっそり住むための穴を掘って暮らしたらいいかもしれない。眠れない人はみんなその穴に入って、安心で眠ろう。
ほんとにそんな穴、作れたらいいが。
 
今はなーんにも解決できないけど、こういうもやもやは、覚えておくのが大切だと、尊敬する人に教わった。 だから、書いてみた。