2024-03-31

うすぐもり

 
 
今日も日記を書きます。

数日前から靄が晴れたように頭の中で言葉が止まらない。お風呂に入ったとき、わたしは無心でシャンプーを泡立てているだけなのに、頭の中がずっとうるさかった。自分と頭がべつの人のような気がする。
今日も絵は描かず、荒れた家を少しずつ片付ける。古いスケッチブックの間から、棚の奥から、カゴの底から…使いかけのノートが出てくる出てくる。わたしは文字の形や絵のひとふででも気に入らないと破って捨てる癖があるので、ほとんど真っ白。時折決意表明が書いてあるものもあった。すっかり忘れている。すこし前から始めた「自分見つめ直しノート」も続かないだろうと改めて思い知らされる。続かないだろうと思いつつ何気に続けられたらうれしいな。なるべく破らないようにせねば。

「自分見つめ直しノート」に、はじめて「罪」(※ごく個人的な、背負いたいから背負う罪のこと/超極秘)について書いてみた。ここまで自分に正直になるのははじめてだった。これまではノートであっても誰かに見られるんじゃないかと疑って結局よそ行きの文章を綴っていたので。3月に背負ったわたしの「罪」は5個。そのうち、「ゆるせる」ものは1個しかなかった。甘いのかもしれないけれど、白状できたのははじめてなので、それだけでヨシということになっている。可視化させることで罪の重さに気付く(遅い)。だいたいのことはこの罪を減らしていけば解決するんじゃないかと思うほど。
人に話したら「そんなことないですよ」と言ってもらえるのかもしれないけど、自分はほんとに性格が悪い。しかし周囲からはは「いい人」(偏見)と思われているのではないかと勝手に思い込んでいるので、性格の悪さを隠すように振る舞って疲れる。そこで、まずはブログにて性格の濁った部分を具体的に日記形式で書いてしまったらいいんじゃないかと気付き、今に至る。きれいな人だと思われたとて、べつにうれしいことはない、ではないか。
それに、わたしはあるいは人よりもだいぶ信頼できない。だれからも信頼されるべきではないとも思っているので、ここで独白します。ずっと前に点滅社さんの「鬱の本」という書籍に文章を載せていただいたのですが、今はその文章と全然ちがうことを思っている気がして、情けないことにちっとも読み直せません。その後ろめたさから、一切の宣伝をできておりませんでした。すみません。自分の文章を束ねた「絵・日々・言葉・生活」という本も、まったく読み返せる気がしない。あれをよかったと言ってくださる方がいても、苦笑いしてしまう。すみません。もしこれを読んでくれている方がわたしと関わることがあったら、ぜひわたしを疑ってください。わたしもわたしを疑い続けています。

文字が小さく読みにくく、なんの足しにもならんであろうこのブログの文章を読んでくださっている方は、ありがとうございます。多分、読まれているから続けられています。(続けてしまっている、かもしれない)そうそう、そんな気持ちを持ってすこし前からインスタグラムで「台所の記録」というのをはじめました。つくりたいときにつくったとき / あじわえたとき / 撮れたら撮る ということを目標に時々アップしています。これは<裏アカ>ってやつなのですが、やはりこれもある程度の人に見られている自覚がないと続けられないだろうと思い、インスタグラムの「市村柚芽」のアカウントで、24時間で消える<ストーリーズ>というコーナーで少しの間紹介して、その間にフォローしてくれた人だけが、今もフォローしてくださっているという状況です。数十人からフォローしてもらった直後、一瞬後悔しかけましたが、他者の目はやはり大事そうなのでよかったと思っています。このブログからインスタグラムに飛ぶ人はいないんじゃないかという気がしますが、興味がある方よかったら。(→☁︎
 
今日の投稿は、めっちゃ時間かかるレシピだということに気付かずに作り始めてしまい、出来上がったのが夜12時近くのキーマカレー(ののこり)。

2024-03-30

きれいな外 / 銃声

 

↑上、nakabanさんのDMはがき
↖︎左、後ろ姿が私ににている、といただいたポストカード
↗︎熊谷隼人さんの絵。三つの絵ともこの絵に似てるみたいに見える。
 
5月の展示のための絵が描き終わり、展示前の打ち合わせも完了。心は少しずつ落ちついてきた。今日は絵を描かず、たまってきた雑務をして過ごした。 3月分の領収書を整理したり、自分見つめ直しノートに最近のことを書き加えたり。こういう時間はなんとなくでなく、確実に毎月とった方がよさそう。お昼ごはんには、昨日の残りのロールキャベツを食べた。ロールキャベツが一晩たってもっとおいしく変身していた、感動。ありがとう。
日が暮れてから、散歩がてら近所のスーパーへ。外はとてもきれいだった。家から見る外よりも、外から見る外が、一番きれいだと思った。青い夕暮れの空を背に真っ黒い木の枝が細かく分かれているところを、こんなに美しい風景があるんかと思いながら見た。もうすこしがんばって、どんなときでも外に出られるようになったらいいのかもしれない。散歩をしたい。
 
自分見つめ直しノートに、戦争について思うことを書き加えた。それについて使った言葉はどのページよりも多くなって驚いた。
すこし前まで、私は戦争の「せ」の字も見られなかった。目を背けていたという訳ではない(と自分は思ってる)。最近になって少しずつ調べている。調べるほど、それに関連する言葉については気をつけなければならないと感じる。今も、とても気をつけて書いています。
私に(あるいは私たちに)できること/したほうがいいことというのは、冷静ではいられないような状況であっても冷静でいるように努力することではないだろうか。
誰かを批判したい気持ちは決してない。全ての人の全ての想いを赤の他人の私が否定する筋合いはないから。しかし肯定しなくたっていい。そのままでいることは悪いことではないと、そう思いたいから思う。だからそういう角度から見てもやはり冷静さは必要。急ぎつつも冷静に。冷徹さも必要かもしれない。つまりは冷たさが必要だと思っている。粛々とできることはあるし、している人もいる。そこに愛情の有無はなんの関係があろうか。どんな視点から見ても戦争は嫌だ。恥である。当たり前に反対である。それを本当に当たり前に掲げながら、なるべく冷たくいたいと思っている。個人的な話で言うと私はこれから先<寄附ができない>とか<なにもしてあげられない>ということで罪悪感をおぼえないし、謝りもしない。わたしは「いまそこで起きている状況」にずいぶんひっぱられ、こんなに時間がかかってしまった。
すこし前に夢で日本でも戦争が始まった。銃声には、3日で慣れた。私はずっと逃げていた。 冷静で冷徹だった。自分と自分の大事な人だけが助かればいいと本気で思いながら、死体を横目に逃げた。いつものぼんやりはどこに行ったのか、覚醒していた。それ以外のことがあまりにもどうでもよく、ただ助かりたかった。それしか生き残る術はないと思った。

2024-03-24

20分前



仕事の前/約束の時間の前/展示の前、には、いつもソワソワとして落ち着きがなくなる。今は久しぶりのバイトの直前であり、大きな目で見ると展示の前(約一ヶ月半前)でもあるので落ち着きがあるわけがない。展示中と展示後はどんよりするか覚醒状態になる傾向があるので、先日展示が終わり、ようやく落ちついてくるはずなのにソワソワしていいて心が忙しい。
 
ソワソワだけならまだ良いものの、その期間中は変な行動をしがちなので怖い。急に新しいことを始めたくなって大きな買い物をしたり(後悔する)、誰かに連絡して約束をしてしまったり(後悔する)、自分が何か病気にかかっている気がして病気と病院のことばかり調べてしまったり(不毛)。今は←これだったので、とにかく別のことで気を紛らわせようとパソコンをつけ、文章を書き始めた。
 
ひとつきっかけとなる出来事があり、その日から自分見つめ直しノートを制作しはじめた。左側には出来事ととった行動を・右側には本音を記入する。
一通り記入していくと、行動と本音の距離がずいぶん離れている箇所が多くあり、また、いやな出来事に直面して消耗するより、その距離自体に罪悪感を抱き自滅することが多い印象があった。

今日こうしてパソコンの前に座れたことは、多分このノートのおかげ。このままバイトの時間ギリギリまで病気の症状を検索していたって夜眠れなくなるだけなのだから。
そういえば病気恐怖と葛藤する前、展示に向けて描きおろす絵の最後の1枚を描き始めた。予想の一ヶ月半早い。絵の進捗状況がものすご順調。私はこの性質に恩恵を受けている。が、つらいのでやはり不要だとも思う。


(バイト後追記)
アルバイトに向かうために自転車に乗ろうとしたらなぜか動かず、仕方なく小走りで向かった。完全に遅刻だとテンパりつつ向かうと結局20分前に着いた。一番ちょうどいい時間。
 

2024-03-17

ずっといちばん大好きな歌

 

青森の本屋さんが、友部正人さんのライブを主催されていた。
やりとりをしていたときのことだったので、青森まで本気で行こうかと思った。
片道5時間、2万円。行けないこともない。でも諦めた。
それは先のことを慮ってと言うよりは、最近の自分の心の動きを見つめて。
後悔するだろうかと思いながら。

ライブの日、開演時間である19時に、私は家でひとり友部正人さんの大好きな曲を聴いた。聴いたと言ってもCDを持っていないので、ユーチューブでライブの映像を見ただけだけども。
この曲のことは、よくわからない。
歌詞も耳で聴いて把握しただけなので合っていないかもしれない。
この曲の詳細を知らなくても音源が手元になくてもいいような気がして、いつもそんな雑な聴き方をしている。
いつかCDを買う日が来たりするんだろうか。

この曲は18歳くらいのときから、反復して聴いている。1年に1回くらい聴いてはまた思い出したときに聴く、というような。こういう聴き方をする曲は、他にない。

その日もしばらく聴いていなかった。
聴くとあんまり胸が震えるから、避けていたかもしれない。
久しぶりに聴けたその曲は、変わらず大好きだった。
ライブに行けなくても、友部さんに会うことがなくても、私は満足な気がする。
この詩のことは、生きてる限りはずっと何回でも思い出すだろう。



知らないことでまんまるなのに
知ると欠けてしまうものがある
その欠けたままのぼくの姿で
雨の歩道にいつまでも立っていた


2024-03-11

なんでもない日

今日も、なんとなく日記を書いてみる。
 
起床。
顔にべっとり花粉がついているような気がして、猛烈に洗う。
湯を沸かしつつ、身支度をすませる。
黄土色のシャツと、青みがかったグレーのロングスカートを着る。
青い陶器のイヤリングをつける。
いつもより色がある。
春が近いからか、そんな気分だった。

昨日製作した、「琥珀糖」の経過を観察。
昨日の夜から、朝になるのが楽しみだった。
少しだけ、表面がパリッとしてきたような。
これは、結晶化してきたってことなのか。

紅茶を淹れ、ビスケットといっしょにいただく。
郵便局へ向かう。
香川の本屋さんへの発送をすませ、
青森の本屋さんに送る荷物に使う梱包材を買う。
郵便局の向かいにある和菓子屋さんで苺大福を買って家に戻る。
 
帰宅し、洗濯物を干す。
パソコンの前に座る。
自転車を漕いでいたとき、今日は日記を書こうと思った。
それで今、こうして打っている。
 
次は夜、追記する。
 
 
昼過ぎ、お世話になっている本屋さんへ向かう。
ここはずっと前に、初めて個展を開いた場所。
今はそこが本屋さんになった。
差し入れに苺大福を渡す。
尾形亀之助さんの『美しい街』という詩集を買う。
少しおはなしさせてもらう。

帰宅して、おやつに肉まんを蒸す。
描きかけの絵を進める。
小さな花の花びらがどうしてもうまく描けず、日が暮れてしまった。
うまく描けないと、知らぬ間になげやりになっている。
絵の具が乾いていないのに上から重ねてしまったり、水が濁っていたり、パレットが色で埋まっていたりする。
とにかく落ちつかなければだめだと、
絵の具の乾くのを待つことにした。
その間に、『美しい街』を開いて読んでみた。
この詩が、目に留まった。


「うす曇る日」
 
私は今日は
私のそばを通る人にはそっと気もちだけのおじぎをします
丁度その人が通りすぎるとき
その人の踵のところを見るように
 
静かに
本のページを握ったままかるく眼をつぶって
首をたれます
 
うす曇る日は
私は早く窓をしめてしまいます
 
 
読まずにとっておいた『双紙いのちかたり』も開いてみる。
森友学園問題でお亡くなりになった赤木俊夫さんの命日である3月7日に、妻の赤木雅子さんの願いが叶うことを願い、小熊昭広さんが制作/発行されたもの。 
小熊さんは、宮城で活版印刷所を営まれている。
その本の中に掲載されている、熊谷麻那さんの文章に添える黒い丸を担当させてもらったご縁で、数日前に実物をいただいたのだった。
 
先月宮城へ行ったとき、小熊さんの活版印刷所へ、熊谷さんにくっついて訪れた。
そのときの光景や感じたことは、あまり言葉にして残しておきたくない。
多分、熊谷さんに対してもそう。
自分でもよくわからないけれど、大事な感情がある。
尾形亀之助さんの詩集を買ったのも、小熊さんと熊谷さんを思い出してのことだった。
 
『双紙いのちかたり』のことも、あまり言葉にしたくない。
わからないが、今回もまたそう思った。
ただ、この本から漂うインクのにおいが、活版印刷所へ訪れたときと似たような、胸がぎゅっとするような感覚になること。 
それも多分、大事なもの、なんだろう。


忘れたくない大好きな存在や景色がある。
けれど、それを強引に引き止めることなど
きっとしなくていいんだろうと思わされる。
そいうことが、ここ最近、よくあった。
 


なんにもない、と言えば、
なんにもない1日だった。
なのに、気付けばとても長い文章になった。
 
 
今日は3月11日。
これは追悼なのだろうか。
 
わからない。
おぼえておきたいから?
 
多分、ちがう。
でも、よくわからない。
 
○ 
 

○ 
 

○ 
 
さっき完成した絵。
すこし前まで蕾だった花が咲いてきた。
絵の中で、雪が降りだした。

2024-03-08

雪の日


眠くて眠くて二度寝したら、また夢を見た。
私は久々に実家に帰っていて、猫がいた。
思っていたよりずんぐりむっくりしていて、
毛羽立った古いぬいぐるみみたいな毛をしていた。
なでたら、ごそごそ、って音がした。
むかしはもっと艶があって、絹みたいに光っていたんだけども。
しかし、毛艶がなくなって姿が変わったとしても、目の前に居てくれるだけで、こんなにも心が喜んでいる。それを母に伝えたりして、家族と団らんする。
 
ホットカーペットの上で、布団をかぶって三角みたいな形になりながら、遠巻きに猫を見ていた。ふと、母に話しかける。「あ、おもいだした」。私はまた思い出した。
夢の中で思い出すの何度目だろうか。
私は泣いていないのにすごく泣いていた。ふと母を見ると、母も泣いていた。
 
 
起きたら、窓から見える景色が真っ白だった。
一晩で、 雪が積もったらしい。その雪が太陽を反射して、白く光ってる。
私は雪が降ったことすら知らないで、たくさん眠っていた。
 
日常に戻っても特に泣いたりはせず、普通にゴミをまとめて外に出る。
すんとしている。雪がそばにあるとき、空気がきれいな気がする。
照りつける太陽で、雪はすごい早さで溶ける。滴る音があちこちで鳴る。

部屋に戻って窓を見た。
カーテンが、黄金色にひかっている。
こうして積もった雪も、この天気じゃすぐに跡形もなくなるだろう。
あんなに真っ白なのに、どこいくんだろうね。

2024-03-06

「ここにあるもの・室内」展示の記録



きのう、東京・高円寺のるすばんさんにて開いていた個展が終わりました。
その、展示の記録を、記憶が遠くに小さくなる前にここに貼っておきます。
(read more...をクリックすると表示されます)
いつもはホームページに記録していたのですが、訳あって更新できなくなってしまいました。
公開はしているので、今までのいくつかの展示に興味がある方は、ホームページも見てくれたら嬉しいです。
 
今回の展覧会についてのこと。
言葉にしない方がいいことと、言葉にしてもいいようなことがある気がしています。
書き残しておきたいことを慎重に考えて、写真の後においておきました。
読みたい方は、読んでくれたらうれしいです。 
 
展覧会にお越しくださったみなさま、気にしてくれた方々、会場であるえほんやるすばんばんするかいしゃさん、あたたかな時間と、よい空気を、どうもありがとうございました。

2024-03-02

そこに在るということ

 
 
今は絵の具の乾き待ち。
これを乾かしている間に、瓶に反射するものをどれくらい描こうか決めようと思っていた。
が、頭の中で言葉が溢れてくるので、ここに書き留めることにした。

絵を描いていた。
大切な友だちと、つい先日話したことを思い出した。
ふと、何に対してなのかはよくわからない涙がとめどなく溢れてきた。

私が私でしかいられないことのもどかしさと、自分の傲慢さを、両方同時に実感して、悔しくなる。
世の中にはどうにもならないことというのがあって、そんなものは私にも当たり前にある。
今朝も、「ごめんなさい」と思いながら見ないようにしたものがあった。意識していないだけで、たった一日でも山ほどあるだろう。
しかし、他人のそれをどうにかしたいと思うことは、とんでもなく傲慢なことである。そんなことも分かっている。それでもどうしても何かしたくなる自分に、苛立ちと虚しさを思う。こういう時にだけすがるようにしてしまう私の薄っぺらい祈りにも、呆れてくる。

瓶は透明なガラスだから、色々なものが表面に反射する。置かれる場所や光の入り方が、大きく反映されて姿を変える。そうでないと、そこに在るとは言えない。
だからこの文章を書き終えたら、瓶に外の雲の映り込みを描くと思う。

私の頭の中で考えることや大切なことは、私を離れた瞬間に、あるいはそれは脅威や悪意になる。何に対しての涙なのか、やっぱりさっぱりわからない。今でも泣きそうになるのに、何も分からない。
それでも自分は恵まれていたなどとは思いたくない。もうこれは意地だと思う。ただ無責任に祈ってしまう。

2024-03-01

卸販売について / 注文書のこと

 

(お店屋さん向けのおしらせです)

卸販売について、おしらせです。
最近更に商品が増え、卸していただくことも増えたので、もっとお取引がしやすいように「注文書」をつくってみました。
こちらに数量を記入し、それをメールにて添付して送っていただければ、文面でのやりとりなくご注文いただけます。
 
文面で見た方がわかりやすい方は、こちらを参照ください
 
「注文書」は裏表あります。裏に送料無料の条件など書いてありますので、ご一読ください。
(下記データをダウンロードして、印刷してご利用ください。画像をクリックすると、Googleドライブにとびます)
 
いつも気にかけてくださるみなさま、本当にありがとうございます。
つくったものが、自分の行ったことのないような場所にまで届いてくれることが嬉しいです。
 
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