2024-04-25
逃避と忘却
2024-04-22
2024-04-21
愚直ダッシュ
2024-04-17
リボン
2024-04-15
打ち砕かれて親友とまた会う
2024-04-12
きっとおもいだすころにはわすれてる
2024-04-09
桜と耳たぶ
(桜のある風景の断片)
- 先日、風のない生温い静かな夜に、桜の木の下で自転車を停めた。見上げると、桜の木と花が、神々しく、青白く光ってた。
- いつか川越に、そのとき仲良くさせてもらっていた絵描きの友人たちと桜を見にいったことがある。桜というより白いかたまりが、風が吹くたび、ドッ!!!とくずれていく様子が、凄まじかった。そのときはたしか、親知らずを抜歯した直後だった。だから口の中でずっと血の味がしていた。
- 家の窓から見える桜は、空想みたいだ。少し泣きそうになる。なんでだかはわからない。
どこにでも無断でついてくる
だからおかまいなしの音楽は
おかまいもされずに好かれてる
2024-04-07
On Melancholy Hill
2024-04-01
神田散歩
2024-03-31
うすぐもり
数日前から靄が晴れたように頭の中で言葉が止まらない。お風呂に入ったとき、わたしは無心でシャンプーを泡立てているだけなのに、頭の中がずっとうるさかった。自分と頭がべつの人のような気がする。
今日も絵は描かず、荒れた家を少しずつ片付ける。古いスケッチブックの間から、棚の奥から、カゴの底から…使いかけのノートが出てくる出てくる。わたしは文字の形や絵のひとふででも気に入らないと破って捨てる癖があるので、ほとんど真っ白。時折決意表明が書いてあるものもあった。すっかり忘れている。すこし前から始めた「自分見つめ直しノート」も続かないだろうと改めて思い知らされる。続かないだろうと思いつつ何気に続けられたらうれしいな。なるべく破らないようにせねば。
「自分見つめ直しノート」に、はじめて「罪」(※ごく個人的な、背負いたいから背負う罪のこと/超極秘)について書いてみた。ここまで自分に正直になるのははじめてだった。これまではノートであっても誰かに見られるんじゃないかと疑って結局よそ行きの文章を綴っていたので。3月に背負ったわたしの「罪」は5個。そのうち、「ゆるせる」ものは1個しかなかった。甘いのかもしれないけれど、白状できたのははじめてなので、それだけでヨシということになっている。可視化させることで罪の重さに気付く(遅い)。だいたいのことはこの罪を減らしていけば解決するんじゃないかと思うほど。
人に話したら「そんなことないですよ」と言ってもらえるのかもしれないけど、自分はほんとに性格が悪い。しかし周囲からはは「いい人」(偏見)と思われているのではないかと勝手に思い込んでいるので、性格の悪さを隠すように振る舞って疲れる。そこで、まずはブログにて性格の濁った部分を具体的に日記形式で書いてしまったらいいんじゃないかと気付き、今に至る。きれいな人だと思われたとて、べつにうれしいことはない、ではないか。
2024-03-30
きれいな外 / 銃声
2024-03-24
20分前
2024-03-17
ずっといちばん大好きな歌
やりとりをしていたときのことだったので、青森まで本気で行こうかと思った。
片道5時間、2万円。行けないこともない。でも諦めた。
それは先のことを慮ってと言うよりは、最近の自分の心の動きを見つめて。
後悔するだろうかと思いながら。
ライブの日、開演時間である19時に、私は家でひとり友部正人さんの大好きな曲を聴いた。聴いたと言ってもCDを持っていないので、ユーチューブでライブの映像を見ただけだけども。
○
知らないことでまんまるなのに
知ると欠けてしまうものがある
その欠けたままのぼくの姿で
雨の歩道にいつまでも立っていた
○
2024-03-11
なんでもない日
2024-03-08
雪の日
2024-03-06
「ここにあるもの・室内」展示の記録
2024-03-02
そこに在るということ
これを乾かしている間に、瓶に反射するものをどれくらい描こうか決めようと思っていた。
が、頭の中で言葉が溢れてくるので、ここに書き留めることにした。
絵を描いていた。
ふと、何に対してなのかはよくわからない涙がとめどなく溢れてきた。
私が私でしかいられないことのもどかしさと、自分の傲慢さを、両方同時に実感して、悔しくなる。
世の中にはどうにもならないことというのがあって、そんなものは私にも当たり前にある。
今朝も、「ごめんなさい」と思いながら見ないようにしたものがあった。意識していないだけで、たった一日でも山ほどあるだろう。
しかし、他人のそれをどうにかしたいと思うことは、とんでもなく傲慢なことである。そんなことも分かっている。それでもどうしても何かしたくなる自分に、苛立ちと虚しさを思う。こういう時にだけすがるようにしてしまう私の薄っぺらい祈りにも、呆れてくる。
瓶は透明なガラスだから、色々なものが表面に反射する。置かれる場所や光の入り方が、大きく反映されて姿を変える。そうでないと、そこに在るとは言えない。
だからこの文章を書き終えたら、瓶に外の雲の映り込みを描くと思う。
私の頭の中で考えることや大切なことは、私を離れた瞬間に、あるいはそれは脅威や悪意になる。何に対しての涙なのか、やっぱりさっぱりわからない。今でも泣きそうになるのに、何も分からない。
それでも自分は恵まれていたなどとは思いたくない。もうこれは意地だと思う。ただ無責任に祈ってしまう。
2024-03-01
卸販売について / 注文書のこと
2024-02-28
あかんべえが聞こえない
その人の日記を読んでいたら私も書きたくなったので、ここに記してみる。
今日は九時頃起きた。
寒いくせに春の嵐のような強風で、危険を感じるほど大きな風が、大量の花粉とちっさいゴミと共に私に吹き付けてくる。両目にゴミというゴミ、全てが入ってくる。これの対策がずっと分からないでいる。瞬きをしまくるとか、目を極限まで細めるとかをやってみてもだめだった。まつげを増やしたりしたら改善されるのだろうか、つけまとか?
皮膚科にて、診察時間3分程度で簡単にアレルギーの薬を増やしてもらう。あまり信用していないので(失礼)こんなにアレルギー剤って併用していいのか、など薬局で詳しく聞く。自己判断で飲もうと決めて注文した漢方の飲み合わせも聞く。(大丈夫だった。一安心!)
帰宅してすぐ、処方してもらった薬を飲み、目薬をさす。
日が落っこちて部屋が暗くなるまで、途中の絵を進める。
昨日買ったラナンキュラスを見ながら描く。花を描くというつもりじゃなく、さりげなく描きたい気持ちがあるのに、ラナンキュラスが美しすぎて、とにかくひっぱられる。茎のうねりと花のうす桃色が本当に美しく、心から美しいと思ってしまうこの身体に若干腹が立つ、くやしくなる。それでも本当に綺麗だった。もう負けたよと言いたくなるくらい。
あんこを炊くのははじめてだったが、本当に意味不明な行程ばかりがあった。結局五時間もかかってしまったけれど、あのわけのわからなさがすごくよかった。またやりたい。
絵を片付けて、注文していただいた方への商品の梱包作業。とても苦手なので、一件一件進める。やたら疲れたと思ったら、夜が来ていた。
夕飯を作ろうと電子レンジをあけたら、緑の光と共にバチッと音がなったきり動かなくなってしまった。
湯を張って、ゆっくりつかる。
それから今、日記を書いている。
2024-02-22
とりとめもない水
また、もう死んだ猫がまだ生きている夢だった。
こういうどうにもならない夢を見る度に、どうしても記録しておかなければと思ってしまう。
なんなのだろう、何に対しての執着なんだろう。
夢の中で猫は、生前よりまるっとして、毛がうすかった。
病気をして、もういつ亡くなるかわからないから、久しぶりに実家に帰ってきたという設定だった。
なんとなくそれが最期の夜のような気がして、私は猫を撫でて目をつむったとき(あとどれくらい一緒にいられるかな)と思った。
そう思ったとき、ひもがほどけたみたいに夢から醒めてしまった。
夢から醒めたその瞬間に、また会えない日々がはじまることへの悲しみよりも、緊張していた心が楽になったことを強く感じた。
一緒にいれるよろこびよりも失うことへの恐怖ばかりに引っ張られる自分が憎い。
そんなことを考える暇があるのなら、もっとよく見て撫でていればよかったんでないかと思う。どうしようもなく。
起きてしまった後に布団でぼんやりしていてもろくなことがないので、台所で水を飲んだ。
外はまだ真っ黒だった。それでも早朝の時刻であった。
祭壇の前で久しぶりに手を合わせてみたら、涙がぽろぽろ出た。
泣いていたってまたろくなことがないのも分かり切っているので、こうして文章を書くことで深呼吸をはかる。
書いている内に窓の外が青白くなった。
祭壇の前で流した涙は、会いたいなあと思ったらぽろぽろ湧いてきた。
さいしょの二、三滴くらいは、きっと純粋な。
2024-02-19
宮城の記録
宮城へ行ってきた。
新幹線がとても早くて距離感がわからなくなったり・暖冬で雪がなかったせいかもしれないけれど、東京から300キロ離れたそこは、肌なじみがよかった。
大きな山があった。ごつごつした川辺がたくさんあった。きれいな水があった。太陽がずっとまぶしく、空をあまり見られなかった。ひんやりした気温の中でいい風ばかり吹いた。
たった3日の滞在でその土地のことがわかった気になるのは安直すぎるのだろうが、思い出すと崖っぷちに立ったようにひやひやする。あの場所が失われたらとても悲しい。そんなふうに思うのにびっくりした。
友人にくっついて、活版印刷をしている工房へ伺った。そこでは文字に重量があった。文章を書くという行為があまりにも物理的で、それにすごく安心した。ずっと読めなかった活字が、久しぶりに読めた。
友人が生まれ育った故郷を歩いて、心がざわざわとした。彼女が持つ原風景のようなものと私のそれは、その距離通りの遠さなんだろう。どんなにたくさん喋っても、根はそれだけ遠い場所にあること。一緒にいて全然つかれないから、それが少し淋しいような気すらしてしまった。
2024-02-14
花の絵が包装紙になりました
ひろげるとこんな感じで、巨大なポスターのようになります。
duftさんは松陰神社前から梅ヶ丘へ移転されました。
旦那さまの営む古着屋fernwehさんも同じ店舗内にてオープンされました。
近所の羽根木公園では梅祭りが開催されているそうで、駅周辺はにぎわっていました。
お近くの方、ぜひいってみてください。
duftさんで買った花は、普段自分で選んで描いている花とは全然違うなあと 家に持ち帰って眺めていて感じました(今回、お花を店主ちえみさんに選んでもらったりしたからかもしれませんが)。
花瓶にさして飾っては、一本抜き出して描こうかと一瞬思いましたが、やはりこのままで鑑賞していたく、描かずに飾っています。
同じ花だというのに、この魔法にかけられたみたいな気持ちはなんなんだろう?と考えます。店主ちえみさんのまなざしや、姿勢を思い出したりしながら。
東京都世田谷区梅丘1丁目33-9
モンド梅ヶ丘ビル2F
2024-02-08
怖い夢の中で
わたしの不安と恐怖がつまったみたいな夢を見て明け方起きる。久々に悪夢を見た。
窓は彩度の低い青をしていて死を連想させた。幽霊が飛び回っていそうな空気でもあった。じゃあ会いたい幽霊飛んでないかなとか思ってみたりするも、すぐ悲しくなって楽観的になるやり方を全然思い出せない。
たくさん描いた絵が、全部妄想の中で描いた虚構のような気がしてくる、私は本当に現実を生きていたんだったか。生きているのか。心臓の鼓動の音は幻聴ではないのか。私が幽霊ではないか。などと、悲観(?)的になると目はどんどん冴える。
しばらく動けず、目を瞑ったまま見た夢を文章にする練習をした。文章にすると、ほんとうのこともまるで文章にしたいために作られた嘘のように感じられ、少し助かる。(発見だった)
また夢にひっぱられ、今度はその夢の分析をはじめる。だんだんその夢は何かが起こる前触れのような、運命的なものに思えてきてまた震える。
身体が不安でいっぱいになるのを感じた。金縛りにあったようにすっかり動けなくなる。
自分の心だけを見つめていると、怯えの中にちいさく灯るなんかほわほわしたのがあるのに気づく。さっきの夢の中で、その不穏な世界の中で、とてもかわいくてとてもやさしいものにふれたような気がしたことを、ようやく思い出す。姿も声もないし認知すらできなかったけれど。
穏やかになってくる。息ができる。
わたしがわたしでいる限り、あるいはわたしからわたしが去ったとしても、この悪夢より怖い現実が訪れたとしても、忘れたとしても、変わらない(変われない)ことがあるような気がして、それは、冷静な頭で考えても、きっと不安なことじゃないと思った。
2024-02-04
冊子「ここにあるもの・室内」のこと
●著者:市村柚芽
●サイズ:約185×152mm
●ページ数:本文32ページ
●仕様:20枚のスケッチを本体に手貼り
●製本:中綴じ(カバー付き)
●刊行:2024年2月1日