心をまとめる鉛筆とがらす

 

  


 


 

 


duftさんでの展覧会は今日がおわったので、明日が最終日です。
この画像のなかの最初の数枚も、かざってあります。
 
嘆き

今日は休みだったけど、なんだか気が滅入ってしまい、何もできなかった。パソコンをみては、ぼーっとするだけの一日になってしまった。
何を語ろうにも自分をきれいに見せようとしてしまっている気がしてそんなことは今発信する必要はないだろうと考えたり いやでも、自分をきれいに見せようが見せまいが、主張はしたほうがいいに決まっているのではないか などと ぐるぐる ぐるぐるとしていた
戦争ではなくても 日頃から声をもっと大きくして訴えなければならないことや 本来であれば考えなければいけないこと 私はいろんなものを知らないうちに殺しているのに 
きれいな人に見えるように こう、汚く生きている それも自覚している
こうやって目に飛び込んで来たニュースだけに反応して悲しんで 募金も何にもしてないくせに ああ、都合のいい人間だと感じる
絵は、やはり絵でしかなく
絵で誰かのおなかを満たす事も 絵で誰かを守ることも 出来る訳がないのだった  
こんなに無力なやつが 戦争反対と言って良いのだろうかと思ったり
そういう直接的な言葉にたよることは良い事なのだろうかと思ったりした
(そんなことは関係なしに、言う事しかできないのなら言ったほうがいいだろうと今は思う)
一日中 もう嘘かほんとかもわからないようなニュースをパソコンでみているなかで
さすがに更新がとまって暇すぎたので今まで描いた花の絵のデータを見ていると 確かにこれは何にもならないけども 何かを美しいと思う心は人間に必要な価値観だなと思った

 

味噌汁

エアコンをオンにしてもすーすーつめたい風しか吹いてくれないまま 極寒の日や雪ふる日などを越え 重い腰を上げてやっと大屋さんに連絡すると、冷え症で寒がりの私を心配してすぐにガスストーブをよこしてくれた。そしてエアコンは業者の方が来て一時間ほどで直って部屋はあたたかになった。部屋ようやく暖かいけれど 外はもう梅が咲き始め 春のにおいがする。

このあいだお味噌汁を作ったとき 土井善晴を思い出して好き勝手入れてみた。にんじん ブロッコリー 卵 油揚げ 青葱 あと何か

最近ネットの通知機能をピピッと切ってみたらずいぶん見る頻度が減った。
私はテレビも新聞も読まないので いっさいの世の中の現実を知らないでいられた。
あったかいお茶飲みながらひまつぶしにネットを見てたらどうやら本当に戦争がはじまっていた もうよくわからなくなって単純なこころもちで平和を祈ること出来ない自分がいた。もちろん戦争には 言うまでもなく 言いたくもないほどあたりまえに反対です。いろんなところを性格悪く無視してしまっていることを自覚しました。心底都合よく 涙が出た。自分は醜いと思った。

戦争のしらせと一緒に春の知らせ

いつまでも寒いのは終わらないような気がしてたのに東京はあしたから春の温度らしい

この間の味噌汁の味を思い出した 
味噌汁をすすりたくなった

なぜなんだろうと無責任に思うことしかできなかった

静物/絵のなかで家を建てた


私は一度しっくりくるモチーフに出会うと同じモチーフで何枚も描いてしまう。
最近もそんな感じで机上に置かれた物を組み直して構図を決めて描いている。飽きたわけではないし描きたいし描けるのだけども、異常にしっくり来ないのが続いていた。
その期間は発酵の時間だったらしい。
発酵終わったころにはすいすい描ける。不思議。失敗する度にもう二度と絵を描けないかもしれないなんて思う。絵を描くのとパン作りが似てること しょっちゅう忘れる。


最近ご縁あって昔の絵本と接する仕事をさせてもらうようになった。
 絵本からいろんな事学び そして少しずつ興味も湧き すこしだけ好きになってきた。表紙からは想像もつかないような色彩と構成と展開が楽しい。裏切りの連続で、コーヒーを飲んでない、眠たいボケーとした日にだって容赦なく感性を刺激される。昔、編集者の土井さんに絵本を描きたいなら絵本を好きになりなさいと言われた事があった。私は絵本を作家名からえらんでは、その作家の作品に惚れ惚れしていた。が、そのような姿勢は、絵本ではなくその作家が好きなのであって、絵本が好きと言う事じゃなかったんだなと今ごろ気づく。(あのときはそれが絵本を好きということだろうと履き違えていた)好きでもないものを強制的に好きになる必要は無かったし、出会いはタイミングがとても大事な気がしているので、あのとき描いた絵本のラフの数々を見せて苦笑されたのも理解できるし、あのまま無理やり絵本作家デビューを目指さなくって良かったとも思うし、なにより最近の自然な流れのなかでの純粋なまなざしを通しての「好き」がうれしい。
今はもう絵本作家になりたいとは思わない(思えない) けど、いつか絵本を描けたら良いなとぼんやりと思う。
たくさんの昔の絵本によって(日本のものも読めない外国語のものからも)自分は絵の中では飛ぶこともピアノを弾くことも出来るんだった、という事を思い出した。それから日々の足取りは少し軽くなった。生きる場所は自分で選ぶことが出来たんだった。絵のなかにも家が建てられた。
子供の眼差しをすこしだけ取り戻してまず楽しかったのはこんな絵を描けるようになったことです。

 



展覧会 はじまってます

 


 
先日おしらせしました、松陰神社前駅 duftさんにて個展がはじまっております。
会場はギャラリーではなくお花屋さんですので、お花がいっぱいあります。
 
 

 
私の絵がお花をつつむ紙にもなってます。
一枚いただきました。壁にはるとポスターにもなります。かっこいい!

個展なんだけど会場に滞在しない、という展示ははじめてなので、会期中はソワソワしつつ家で制作してます。感想などいただけたら嬉しいので、気軽にメールください。

ご来場の際は念のためduftさんのインスタグラムにて、営業時間を確認のうえお越し下さい。
(二月の土日のみ、お昼ごろからの営業)
インスタグラム→● 
 
まだ展覧会としては二日目が終った所ですが 私の絵を見る為に足を運んでくださった方もたくさんいると聞いてます。ここに書いて届くかは分かりませんが、こんな時期なのにわざわざ来てくださってありがとうございました。
のこりの会期も、無理のない範囲でよろしくおねがいします。



展覧会の搬入の前の日の夜 
いままで描いた絵をマットにはめて、固定して、額に入れて、紐をくくる
買ってくれた人への手紙を封筒に入れて
星 つくって貼った

絵の価値など 私はたぶんずっと分からないけど
売れるのがちょっとだけ惜しいので
ちょっとだけ価格を上げてみることにしてみたり

売れたらいいけど 売れなくてもいいな
いっぱい見てくれたらいいけど
だれも見にこなくてもいいなあ

なんて
心底しあわせなやつだと思う
おやすみ