2024-01-28

こころをあらう

 


 
猫が11階の家から落っこちそうになっているのに気付き、とにかく捕まえようと身を乗り出して猫に手を伸ばす…という夢をみて(ふだんは高いところが怖い自分も、猫が落ちるかも!ともなれば全然怖くなかったのだった) めっちゃびっくりしながら起きたその一分後に、ずん!という地震が起こってまためっちゃびっくりした(震度4)
 
ようやっと製本作業が終わったので、祭壇をきれいにし、お花を買ったり、肉と野菜を買いに出た。ささやかなお祝いで、今日はポテトグラタンを作るのです。
外、日曜日は人が多く、太陽もまぶしく、くらっとする。
早々に帰宅し、きれいにした祭壇の前で、ひさしぶりにお骨の前で手と手をあわせてみた。それで、心の中にいる猫を撫でた。
そうだそうだ、彼女はずっと安全な場所にいてくれるのだったと思い出す。
穏やかになる。
すこしだけさみしい。
(これは無限に湧いてくるただの欲である)←心の声
 
昼は調子にのってじゃが芋をたくさん食べてしまった。
そのために血糖値が爆上がったのか、夕方、眠気に耐えきれず寝てしまった。
そのときに見た夢の幸福なこと、家族の夢だった。いろいろな別れの、あとと前の私たちが混在していまの家に団らんしていた。 
こんな夢ばかりだったら良いのにと切実に思う。 
こんなかんじだったのでその他の仕事は全然捗らず…夜にやろう。

たくさん製本作業をしたけれど、これは何ができたのだろう。
本らしき紙の束。本というより、図録と呼んでくれたらしっくりくるが、本になってしまったとも思う。 文学として消費してくれたら、それもうれしいのかもしれない。
 

▲製本のためにつかったテープのり(替と本体)と100均のホチキス。
今回はこれだけつかった。気軽に作るつもりではじめた今回の本(的なもの)。
重い、とても、重い。

2024-01-25

完全度70%のホットケーキ


製本作業の日々。
絵はしばらく描いていない。
進捗状況としては、ようやく80%程度は完了したのではないかという段階。
6000枚の絵を手貼りする作業が終わったので、山場は越えた気がする。
あとはカバーを折り/接着する行程と、OPP入れ。ここで、もうおわった!と油断すると心がすぐに折れるので(折れても進めなければいけないのだが)まだ全然終わっていないぞという心持ちで作業を続けます。
 
数日前からやたらとホットケーキが食べたくて、それもおいしいホットケーキが食べたくて、さっき作って食べた。10年くらい前の、まだニコニコ動画が活気に溢れていた気がする頃に「完全なるホットケーキ」という動画を見た。それを思い出して食べたくなったんだと思う。
動画を調べてみるとまだ残っていたので、動画内で作られたホットケーキのレシピを参考に作ることができた。<生地にバターを少量混ぜることがポイント>らしい。かすかに憶えていた。
その人はシロップから手づくりしていたので、たしかにあれは「完全なるホットケーキ」だわと思った。自分のはとってもおいしかったけれども、その人に言わせれば、市販の蜂蜜だし材料もあるもので製作したので、【70%】ぐらいの完全さだろうか。

70%でもとっても美味しいので、皆さんもぜひ。
  
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【完全度70%のホットケーキ】
 
・バター:5g
・砂糖:20g
・ベーキングパウダー:5g
・卵:ひとつ
・牛乳:150ml
・薄力粉:100g

①バターを練り 砂糖を加え 混ぜる
②ベーキングパウダーを加え 混ぜる
③卵黄を加え 混ぜる
④牛乳を加え 混ぜる
⑤薄力粉を加え さっくり混ぜる
⑥卵白を泡立て メレンゲにする
⑦メレンゲひとすくい分を生地へ落とし よく混ぜる
⑧残りのメレンゲと生地をあわせ さっくり混ぜる ( あまり混ぜないこと )
⑨フライパンを弱火にかけ バター ( 5g ) を溶かし広げ 生地を流す
⑩表面に穴がたくさんあいてきたら 裏返す
⑪弱火で片面をゆっくり焼き 完成

2024-01-22

個展 ここにあるもの・室内


「ここにあるもの・室内」
会期:2024年2月1日(木) - 3月4日(月)
    ※火・水休み
時間:14 - 20時
 
展覧会のおしらせです。
去年の9月-12月までのちいさなスケッチたちを飾らせてもらうことになりました。
同タイトルの、本のようなものも(懲りずにまた、)つくり中です。
手にとっていただけたらうれしいです。 

市村柚芽


 
 

 
すこし前、誕生日だった。
猫の命日のすぐ後なので、誕生日の存在感が以前に増して薄くなった。
 
私の、<誕生日どうでもいいわぁ>の逆をゆくように、まわりのひとから思いがけずお祝いのことばや贈り物をいただいてしまって、胸があたたかくなった。
(それは圧力もあるのだろうけれど)
手づくりの本、手づくりのケーキ、手づくりの額(!)、大量のじゃが芋、花柄のワンピース、大好きな猫に似たかたちのイヤリング、ストレッチするクマの置物と小瓶、などなど。
わー!!となるメッセージもいただいた。 
毎年プレゼントを交換しあっている友人は、今度あうとき、良いモノあるよ!とのこと。
 
自分が人にできることなどなんにもないのではないかと思うことが昔よりずっと増えた今だけど、みなさんのまごころがほんとうにうれしく、それにだいぶ励まされた。
この気持ちだけは、何度も思い出そうと思った。
 
これを読んでくれているあなたの存在も、私にとっては贈り物です
みなさん、ありがとうございます。 

(▲画像は、一昨日買ったおきもの・背骨さんにて。目があってすぐ手にとってしまった!)

2024-01-15

ここにあるもの


今日は私にとって1年でいちばん大切な日。
大好きな猫と別れてからまる1年が過ぎた。
きのうから実家に帰り、今日まで家族で過ごした。

母は昨晩、猫のことを考えてしまって中々寝付けなかったという。
最近食生活を整えてから寝付きが少し良くなった私は、電車に疲れたからかぜんぜんかなしくならないですっと寝た。

命日だからそのへんに居たりしないかなと思うけれど、やっぱり居ない。
さみしいが、悲しくはない。
振り返ればそこに、手触りのある/においの遺った、思い出があるから。

全部忘れたころに、きっとまた会える。
しかし会いたいと思ううちは、きっと会えない。
私はとても長い時間をかけて、私と猫のあいだにあるものの、供養をする。
それは出会うためとか猫のためとかそんなんではなくて、いつか死ぬときの私へ贈る、命日プレゼントみたいなもの。
 いつか、死にたい(もちろん、当たり前に死ぬだろう)。ちゃんと(完璧にとかじゃなくて、後悔なくとかじゃなくて、じゃあなんだろう?わからないけれどもちゃんと、)死にたい。 だから、生きたい。しがみついてでも生きたい。

 
午前中のまぶしい光の中、自分の足からのびる青い影を見ながら歩いた。
一歩一歩が、精巧なアニメーションのようにドラマチックだった。
そのひとコマひとコマが投げやりだったりていねいだったりしながらも、一瞬で次のコマに進む。

その連なりが歩くという動作をしていていたことを、それに引き込まれそうになりながら思い出す。
日陰になったから、影を見るのをやめて、駅の方を見た。
駅前の自転車置き場とか、券売機とか、電車の音とかが、思った以上にはっきりとくっきりとしていた。

このようにして、実家から抽象的に確実に遠ざかった。
無自覚な私の心は、もうおぼえてもいないすべてのコマの上にまかれた。
いつかこの連なりが線になったとき、きっと自由に歩けるようになると信じてもいいだろうか。
それとも、ヘンゼルとグレーテルのパンくずみたいに、食べられてしまうかな。
それでも、強くいたい。
堂々と、ただ歩くことだけ。


ずっとだいすき、ただそれだけで良いような、ちがうような
しかし今は、そんな気がする。

2024-1-15

2024-01-07

ゆらゆら

 気づけば粗を探すように他人の無自覚な悪意を感じてばかりいる
よくないこと
祈りという言葉がうさんくさく感じてしまうのも私がいま、よくない証拠
ただ粛々と生活をしなさい、と自分に言い聞かせる
町は多分いつだって、悪意とやさしさにみちていて、今の私に見えるか、見えないかというだけ
昨日はふと、いつかわすれてしまうであろういろいろな事柄に対して、突然さみしさがやってきた
一昨日は大丈夫だった気がするのに、
多分そんなもの。




最近この曲ばかり聴いています

少し前に「羊羹のブルース」をすすめたお友だちが、ライブに足を運んだとメールをくれてうれしかったな

今日は髪を切って、きっと清々しい絵を見に行く
みなさんも良い1日を。