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花を繰り返して描いてしまうのは、花を描けた気がしないからだと思う。その時見ていた花の像を、そのとおりに捉えられた日はない。いつも少しあきらめている。自分の目は頼りなく、ちゃんと描くことなどもしかしたら不可能なのかもしれない。
いつからか、高望みすることはやめ、自分にできることをできるだけやれたらいいと思うようになり、伝わることより続けていきたいと願って描くようになった。
花というモチーフは、自分の内側の、唯一の窓のような存在だ。だから、と言い切っていいのかは分からないが、この窓を塞いでしまったら、自分は人間じゃなくなるんじゃないかと思っている。
そんなことを時々想像しつつ(ほとんどは呑気にだが)、繰り返して描き、見る人をもしかしたらおいてけぼりにしながら、絵を展示させていただりしている。
熊谷さんとは、2021年に大阪で花の絵を見てくださり、メールを送ってくれたのがきっかけで知り合った。メールをいただいた後、都会の真っ黒な湖の前で初めて会って、凍えながらも長い時間話をした。
彼女が赤い服を着ているとき、自分は青い服を着ている、なんてことが多かったり、食べ物や歌の趣味も全然違ったりだが、気がつけば5年に近い付き合いとなっていた。
長い関わりの中で、私の窓が塞ぎかかったとき、熊谷さんが上記の活動について提案してくれたのだった。
晴れの日も雨の日も強風の日も窓を開け、風を通す。汚れた窓を拭くための雑巾を渡してくれたのは熊谷さんだった。
むずかしいことや大変なことは解決されていないし、わからないも増幅している気がするが、それでも陽気でいられるのは、自分にとって奇跡のような成果だ。
絵というものが、社会や人や動物や時間などの、無数の波が渦となって出現するものなのだとしたら、私はそれを、やれるだけ、できるだけ、ちゃんと写しとっていきたい。