個展「ここにあるもの・室内」


「ここにあるもの・室内」
会期:2024年2月1日(木) - 3月4日(月)
    ※火・水休み
時間:14 - 20時
 
展覧会のおしらせです。
去年の9月-12月までのちいさなスケッチたちを飾らせてもらうことになりました。
同タイトルの、本のようなものも(懲りずにまた、)つくり中です。
手にとっていただけたらうれしいです。 

市村柚芽
 

ここにあるもの


今日は私にとって1年でいちばん大切な日。
大好きな猫と別れてからまる1年が過ぎた。
きのうから実家に帰り、今日まで家族で過ごした。

母は昨晩、猫のことを考えてしまって中々寝付けなかったという。
最近食生活を整えてから寝付きが少し良くなった私は、電車に疲れたからかぜんぜんかなしくならないですっと寝た。

命日だからそのへんに居たりしないかなと思うけれど、やっぱり居ない。
さみしいが、悲しくはない。
振り返ればそこに、手触りのある/においの遺った、思い出があるから。

全部忘れたころに、きっとまた会える。
しかし会いたいと思ううちは、きっと会えない。
私はとても長い時間をかけて、私と猫のあいだにあるものの、供養をする。
それは出会うためとか猫のためとかそんなんではなくて、いつか死ぬときの私へ贈る、命日プレゼントみたいなもの。
 いつか、死にたい(もちろん、当たり前に死ぬだろう)。ちゃんと(完璧にとかじゃなくて、後悔なくとかじゃなくて、じゃあなんだろう?わからないけれどもちゃんと、)死にたい。 だから、生きたい。しがみついてでも生きたい。

 
午前中のまぶしい光の中、自分の足からのびる青い影を見ながら歩いた。
一歩一歩が、精巧なアニメーションのようにドラマチックだった。
そのひとコマひとコマが投げやりだったりていねいだったりしながらも、一瞬で次のコマに進む。

その連なりが歩くという動作をしていていたことを、それに引き込まれそうになりながら思い出す。
日陰になったから、影を見るのをやめて、駅の方を見た。
駅前の自転車置き場とか、券売機とか、電車の音とかが、思った以上にはっきりとくっきりとしていた。

このようにして、実家から抽象的に確実に遠ざかった。
無自覚な私の心は、もうおぼえてもいないすべてのコマの上にまかれた。
いつかこの連なりが線になったとき、きっと自由に歩けるようになると信じてもいいだろうか。
それとも、ヘンゼルとグレーテルのパンくずみたいに、食べられてしまうかな。
それでも、強くいたい。
堂々と、ただ歩くことだけ。


ずっとだいすき、ただそれだけで良いような、ちがうような
しかし今は、そんな気がする。

2024-1-15

ゆらゆら

 気づけば粗を探すように他人の無自覚な悪意を感じてばかりいる
よくないこと
祈りという言葉がうさんくさく感じてしまうのも私がいま、よくない証拠
ただ粛々と生活をしなさい、と自分に言い聞かせる
町は多分いつだって、悪意とやさしさにみちていて、今の私に見えるか、見えないかというだけ
昨日はふと、いつかわすれてしまうであろういろいろな事柄に対して、突然さみしさがやってきた
一昨日は大丈夫だった気がするのに、
多分そんなもの。

⬠



最近この曲ばかり聴いています

少し前に「羊羹のブルース」をすすめたお友だちが、ライブに足を運んだとメールをくれてうれしかったな

今日は髪を切って、きっと清々しい絵を見に行く
みなさんも良い1日を。

曖昧なまま


今年は日々が過ぎ去るのがほんとうに早かった。
しかし振り返ると、とてもとても長い。
去年がずっと遠くにある。
昨日、急に思い出して少し涙が出た。

台所にある枯れかかった花は、花瓶にさしたまま飾ってある。
冬は腐敗が遅いのか、ずっとそのままの姿でいる。
水も透き通っていて、時がとまったみたいに見える。
なんとなく区切りをつけたくて、中途半端なものを捨てたりしていたが、
この花はこのままでいいような気がして、飾っておくことにした。

私の心も同じように、年を越す。
もうちょっとだけ撫でたかった気持ちを、そのまま引きずってこのままずっと生きていく。

✤

いつも見守ってくださってありがとうございます。
来年もよろしくお願いいたします。

市村柚芽 / 2023-12-31

あきらめ

 

来年2月に出したい本のことを、今日は一日考えていた。
 
家にある紙見本をあつめてさわってめくってみて、コレだ!という良い紙は高かったり、生産中止になってたりする。なぜなのか。
 
考えうる全てのパターンで自分なりに見積もりを出してみる。
そうすると、金銭面の不安で頭がいっぱいになる。印刷費を紙代をちゃんと払えるのだろうか。そのように考えていると、ああやっぱり高い紙は諦めて、安い紙にしようかと思い始める。
その瞬間、私は私を捻り潰したくなる。
「おいお前!今、妥協したよな?妥協するくらいだったらやめちまえ!」と天使(或いは悪魔)が言う。
「やめない!お金のことはどうにかする!しかし、これは妥協ではない(嘘)!原価のことを考えてのことだ、これは健全なことだ(言い訳)!」と悪魔(或いは天使)が言う。
私の頭の中で、ほんとに言う。 
騒がしい。悪魔(或いは天使)の醜い言い訳には自分でも嫌気がさす。
 
「なんでここまでして本を作りたいんだっけ」と天使でも悪魔でもない私が私に聞いてくる。 お金のためだろうか、絵をみてほしいからだろうか、本を作るのが楽しいからだろうか。
 
どれもそうではあるけれど、どれも違うような気もして、言葉に詰まる。言葉にしなくていいような気もするけれど、これは諦め?

なんにもだめな一日でもグラタンを作る、今日の晩は。