2024-03-06

「ここにあるもの・室内」展示の記録



きのう、東京・高円寺のるすばんさんにて開いていた個展が終わりました。
その、展示の記録を、記憶が遠くに小さくなる前にここに貼っておきます。
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いつもはホームページに記録していたのですが、訳あって更新できなくなってしまいました。
公開はしているので、今までのいくつかの展示に興味がある方は、ホームページも見てくれたら嬉しいです。
 
今回の展覧会についてのこと。
言葉にしない方がいいことと、言葉にしてもいいようなことがある気がしています。
書き残しておきたいことを慎重に考えて、写真の後においておきました。
読みたい方は、読んでくれたらうれしいです。 
 
展覧会にお越しくださったみなさま、気にしてくれた方々、会場であるえほんやるすばんばんするかいしゃさん、あたたかな時間と、よい空気を、どうもありがとうございました。



 








 














 
 
 
 
私にとって、自分の絵の展覧会というものは、お葬式 / お通夜のようなものだとずっと思っています。今回もまたそうでした。
しかし今回飾った絵たちが、自分の中で<スケッチ>に分類されるものだけだったためか、搬入をしたときにも実感が湧かず、また終盤になってもいつも感じるようなさみしさをおぼえませんでした。
その代わり、またはそのおかげで、在廊中は冷静にこの会場にいることが出来ました。
 
私が描いた絵たちを、ぼんやりした照明とぼんやりした音楽のもと、私もぼんやりして眺めてみると、私が知らなかった / 知りたくもなかったような、いろんな意志を持っているみたいに見えました。それが並んでいるこの空間は、怒りや祈りや反発や、どっちつかずのかたまり、矛盾、などが空気に混じって充満していて、少しやるせないような気持ちにさせられたりしました。
それでも見てくれるお客さんの反応は様々で、その感想に喜んだりおもしろがったりできるのでした。
いろいろな気持ちになったけれど、どれも全部ほんとうの気持ちなのだと思います。この空間も自分の心も混沌としていて、狂っていると思いました。
 
最終日から1日前、ひさしぶりに在廊しているとき、絵を眺めては帰っていくお客さんを見ていて、絵は石に、お客さんのまなざしは波のように感じました。
私の狂気がゆっくりと遠のいていくような、さわやかで気持ちのよい感覚がありました。
絵の上にさざ波が立って、小さな波紋が広がっていくうちに、私の石がしずかにまるくなるのを想像します。
ぼんやりと。
 
何が言いたいのか、なんてはっきりしたことはもはや、ない、のですが、とにかく今の自分にとって、他者に絵を見てもらうことはとてもよいことなのだと思ったのでした。また、もしかしたらこういう透明に近いことを続けていけたらいいのかな、とも思ったりしました。

みなさま、ありがとうございました。