そこに在るということ

 
 
今は絵の具の乾き待ち。
これを乾かしている間に、瓶に反射するものをどれくらい描こうか決めようと思っていた。
が、頭の中で言葉が溢れてくるので、ここに書き留めることにした。

絵を描いていた。
大切な友だちと、つい先日話したことを思い出した。
ふと、何に対してなのかはよくわからない涙がとめどなく溢れてきた。

私が私でしかいられないことのもどかしさと、自分の傲慢さを、両方同時に実感して、悔しくなる。
世の中にはどうにもならないことというのがあって、そんなものは私にも当たり前にある。
今朝も、「ごめんなさい」と思いながら見ないようにしたものがあった。意識していないだけで、たった一日でも山ほどあるだろう。
しかし、他人のそれをどうにかしたいと思うことは、とんでもなく傲慢なことである。そんなことも分かっている。それでもどうしても何かしたくなる自分に、苛立ちと虚しさを思う。こういう時にだけすがるようにしてしまう私の薄っぺらい祈りにも、呆れてくる。

瓶は透明なガラスだから、色々なものが表面に反射する。置かれる場所や光の入り方が、大きく反映されて姿を変える。そうでないと、そこに在るとは言えない。
だからこの文章を書き終えたら、瓶に外の雲の映り込みを描くと思う。

私の頭の中で考えることや大切なことは、私を離れた瞬間に、あるいはそれは脅威や悪意になる。何に対しての涙なのか、やっぱりさっぱりわからない。今でも泣きそうになるのに、何も分からない。
それでも自分は恵まれていたなどとは思いたくない。もうこれは意地だと思う。ただ無責任に祈ってしまう。