夢の窓辺



  
数日、長い時間眠った。不思議な夢をたくさん見た。
誰かの手術跡をなぞる夢や、理科室で地球を作り直す夢、掌で虹色のジェリーボールを転がす夢。最近こげるようになった自転車に乗るような疾走感をもつ、何かよく分からん乗り物に乗って雪降る地方へ行き、雪をにぎって雪玉にして建物のかたすみにそっと置く夢とかを見た。
あとは、昔の実家で、自分は小学生くらいになっていて、家族と雑談中になにげなくのぞいた窓から見えた夕暮れが、私が描く空想の窓辺に似ていた。その風景は、遠くのほうには真っ黒な山が連なっていて、近くには何にもない土地が途方もなく続く丘があり、雲は薄い紫色でぽつぽつ出ていて、空は蜜柑色だった。日は真っ白だった。山は紫とか緑とかに発光していた。自分の描く空想の夕ぐれよりうつくしい景色だった。なんだかそれが嬉しかった。
あれが心の風景だとしたら、とてもいい。



理不尽な事に対する行き場のない怒りは、きっとこれから先山のようにあるだろう、私がやり場のない怒りの所在になることだってあるだろう。
きっとすてきな絵を描ける。
正直に丁寧に、適度に自分を嫌いでいたい。
明日はパンとカヌレとコーヒーがある。活版印刷の、最近買った詩集もある。今日は夜が不吉じゃない。
おやすみなさい。朝まで眠れーー

ばらの花



最近は暑すぎて頭の片側が痛い。冷房にあたるとひどくなる。急に全部の自信がなくなって、投げ出しそうになったりもする。無関係のさまざまな物と相対的に自分をはかっている。
空想に浸るには、何かを決めるには、白黒どちらか判別するには、あまりにも日が浅すぎるような、もう十分なような。どちらも行き来して、結局わからない。
夜には主に、死ぬことなどを考えてしまい、眠れない。せめて不眠症だったらよかったのに、ちゃんと7時間くらい眠る。そのせいで毎日寝坊する。朝が来ると安心するのに、昼に起きると絶望する。
何かいい方法ないのかなあ。。

あんまり空想が描けなくて、仕方なく花屋で花を買うと、ひさしぶりにときめいた。現実と空想とを交互に描くのがいいのかも。描いているところを映像にしてみたり、もしてみました。近い内に公開できたらいいな。
それにしてもばらは、なんてかわいい花だろう。とげやちくちくする葉っぱに大事に守られた花の花弁は案外頑丈だった。前に描いたカーネーションのほうが花弁の質感が繊細に思えた。カーネーションの葉っぱはピヨピヨしていた。ばらのようにワサワサトゲトゲしていない。
種類によるのだろうか。

早く夏が終わってほしいなあ。
皆様も健康でいられますように。
熱中症には味噌汁がよいらしいです。

台風/余韻/先生


今日は台風で頭がぼんやりしている。
北村太郎の詩集が届いた。絵がうまくかけないから寝転んで読んでいて、さて作業に戻ろうと机に向かったらそこにはそんなにかっこよくない絵があってちょっとがっくりした。

展覧会の搬入のお手伝いをしていて、一週間くらいずっと一緒にいた人が、帰ってから毎晩夢に出てくる。その余韻は心地よいもので、だから毎晩嬉しい。

人の行動や言動に、えぇ、とかうーん、とかやだよー とか、はぁ、でも…、とか思ったりすることがたくさんあって、ありすぎてて、もうよくわからない。
優しさとはなにかとか正しさとはなにかとか、そういう事は、やっぱりさっぱり分からない事が、最近よく分かってきた。
自分の加害性の方こそ知っておかなければダメなのにと、頭では反省している。(体はいつも、引っ張られている)
泣き寝入りでも攻撃でもなかったことにするでもなく とりあえず今は空にためいきをたくさん飛ばして今日生きる。誰かを変えることよりも自分が変わることの方がきっと早い 、そんなようなことを誰かが言っていたような気もする。私も気持ちいい余韻の人になりたいからがんばりたい。

いろんな人からたくさんいただいた桃は、最後はパイにしたらとてもおいしかった。パイを食べてくれた小さな女の子は、失敗しても大丈夫だよと言いながら絵を教えてくれた。おかげでその日はちょっと絵がうまくなった。ありがとう。

カラスが集る


優しい人になりたいと何年も思ってるのに、なれず、消えたいと感じるときがある。それなのに、誰もいなくならないでほしいと嘆く。ほんとに全然ダメなまま。すごく すごく欠けている。
悲しいこと(やるせないこと)と嬉しいことは交互にやって来てくれる。
もらったお手紙や、桃や、誘い、お菓子、想い、もし生きているうちに食べきれなかったら、一緒に燃やしてほしい。みなさん、有難う。人生はあと何分あるだろう、、
私という人間は、どこまでもばかばかしいなあと、思っては眠れない。眠いのにばっちり目が開いてる。明日も暑いだろうな。