朝の色と夜の色 ・・深夜の色

 



二枚とも一つの絵。夜の絵をつぶしてまたバスの絵を描き始めた。
朝八時と夜八時の写真。
描き始めには暗い中で絵の具を置くみたい描くと上手く進んだ。


たった今。深夜二時半。ものすごい変化…。


ムーバス

 

廃材を受け取るために吉祥寺の友人の家に向かった。その時、はじめてムーバスに乗った。ムーバスとは駅から住宅街を循環するコミュニティバスの事。外観が丸っこく可愛らしいのだが、停留所には 【ポケット広場】【ねむの木通り】【かくれみの公園】【すずかけ小路】・・といったとても可愛い名前まで付けられていた。昔から呼ばれてきたのかな。ずっとそのままで居て欲しい。そんな可愛い名前の停留所近くの友人宅に着くと、なんと大気圏を突破したーーー誰もいない東京の高速道路を延々走り、グアムの砂漠を逆走し、宇宙に行って太陽を動かして、宇宙から地球を見下ろしたり、星達を眺めた。太陽を地球の境界線のギリギリにして地上に戻ると、綺麗な夕暮れが見れるのだった。ダ・カーポの歌が流れてきそう。Coming Home To … ーーー 壁にぶつかりそうになったところで現実に戻る。(VRゲームをやらせてもらった話です。) ムーバスは循環せず、宇宙に連れていってくれた。

◆画像は烏瓜の花。この植物を教えてもらってからは隙間があるとよく探す。

花の絵



18歳の時、通っていた美術予備校では試験のため、石膏像や静物画を毎日描いていた。静物画のモチーフは机に置かれている。果物やレンガや瓶、花など。
花を描く時が一番退屈だった。枯れる前に完成させなければ、皆と同じように描かなければ、とそればかり考えて描いていたからかもしれない。 
いくら塗り重ねてもだいたい許容され、咲きも、枯れも、動きもしないレンガを描くのが、私は一番好きだった。
 
22歳の今。あれから花を描くという事はしないでいた。予備校を半年で辞めてしまった後は、本当に必要なものだけを描こうと思った。その頃からしばらくは、忘れたくない記憶の数々をよく描いた。しかしそれが自分に必要なものなのか、よく分からなくなっていた。
 
夏のある晩に、散歩をした。ふと、住宅街で、甘い匂いがする。生々しく、少し毒々しいような匂い。辿ると、そこには鮮やかなオニユリがあった。駐車場のフェンスにからまった蔦の中に、しずかに咲く烏瓜の花を見た。また住宅街の中で突然に植えられていた、枯れてうなだれた大きな向日葵を覗き込んだ。触れたら崩れてしまいそうだったから、ただ見ていた。その晩、私ははじめて花の美しさをわかったような気がした。
 
翌日、花屋に向かった。切り花を選び、一束買った。花瓶に生けて、スツールに置く。意味の有無など関係無しにただ写生してみる。花と私以外誰もいない部屋の中で観察する。
私の内には無いもの(見つからないもの)が目の前にある。花びらは繊細で、柔らかく、壊してしまいそうだと思った。
描き始めてから数日経ち、蕾だったのがゆっくりと咲き出す。咲いていた花は、少し萎んだ。そこに、祝福と、不安とがあった。ああ、こんな気持ちが恋なのかもしれないと思った。

マイスター・ホラ


ある店を訪ねた時の作文。

その店はまったく別の場所に居る二人から教えてもらった店で、二人とも是非行って欲しいと言っていた。向かえないまま月日が経ったが、やっと叶った。
店主と話すと、自分の中でとても意外な事が発覚した。交わるとは思わなかったその二人は、店を介して、一つの線の中で繋がっているらしい。
物理的にも職業的にも遠い場所に居る人達だったので、そこが繋がるとは予想していなかった。その影響で、二人の周囲の自分に関わる人や物や場所 今一緒に暮らしている人までもが ポンポン・ポンポンと結ばれて行き、巨大なサークルが出来た。
店には来るべきして来たのかも知れない。更には自分の今までの選択も、ここに来るために取ったものなのではないか。と考えた。サークルを思い浮かべていると、こうも考えられた。何を選んでいたとしても、その巨大なサークルからは逃れられなくて、全ては出会うべくして出会ったものたちであり、どのような選択を取っていても出会わなかった人など居なかったのではないか、・・・と。壮大な考えを持ち始めた。その日なんとなしに買った宝物(▲画像)もそれを象徴しているような・・気がしないでもない。
店主は祖父母くらいの年齢なのに、話しているとその事を忘れるのだった。その店はモモの、「どこにもない家」のようで 私は「モモ」で店主は「マイスター・ホラ」のようだと、夢想した。ああ、感化され過ぎ/夢見すぎか。差し入れした焼きたてのクッキーを全部食べ終わる頃には二時間近く経っていた。そんなに話していたのか、と驚いた。品物を買う時、何でもタダ同然で受け渡そうとして来て下さった。そんな所も、エンデの世界を思わせた。もしかすると、あの店にくる人は誰でもモモになるのかも。
・・知らんけど

(店名出さなくてすみません あなたも何処かで繋がるかもしれないので、それで向かってみて欲しい)

団地/灰色男

 

夜中、何も描くものが思い付かないので、困ったなと思いながら読書をした。最近は文章を読むのが困難で、途中で放っぽり投げていたのだが、その晩はいっぺんに物語の真ん中まで読めた。少し散歩をする予定だったが(散歩をすると描きたい絵が浮かぶ)、本を閉じた後そのまま眠ってしまっていた。そして不思議な夢を見た。

夢の中では、美しい写真を見た。それは雨が上がり陽が射してきた冬の団地のエントランスの写真だった。通路の写真もあった。ドアは水色と緑色をしており、自分の住んでいた団地12号棟とよく似て不思議だと思った(それは夢だからであった)。フィルムは恐らくKodakが使用され、空の反射した地面の青とドアの青が美しく映っていた。

夢の中の自分もブログを書きたくなり、団地についての作文を書いた。以下思い出しながら。

ゆめちゃーんとドアを叩いてお裾分けをしてくれたお隣のワタナベさん。いつもニヤニヤして少し怖い印象があった向かい側の優しいオイカワさん。(亡くなった。)左脇の優しく可愛い姉さんのあーちゃん。向かい側の左脇の小学生の時にお父さんを亡くしたなっちゃん。向かい側の右の奥のみなみちゃん。・・ 今、そういうご近所さん付き合いは全く無いので、その距離感を懐かしく思い出した。人見知り内弁慶の私は当時居心地が悪かったように覚えているがそれは理想的な環境だったのかも知れない。父がギター弾いて母は丸パン焼いて赤いカーテンから射す日光も綺麗だったような。不思議なもので思い出は良いように記録されているのだった。というか良い部分の記憶ばかりが日付も消え断片的に残っているのだった。

夢の中で過去の事を思い出すのは覚えている限り初めての事で、まるで時間旅行してるみたいだった。 起きてから急いでごみを出しシャワーを浴びた。すると頭の中で描きたい絵が形にならずに留まっていた。思考しなくても寝ているだけで沸いてくるのは驚いた。 

ちなみに読んでいた本は、ミヒャエル・エンデの「モモ」。昔に一度読んだ事があった。 そして夢の中でも作文を綴っていたのは意外だった。自分の中でそれは重要な役割を持つようになって来たらしい。 誰が読んでも面白いとは言えないような文章を、読んでくれてありがとう。ところで毎日同じ人が読んでくれているみたいですが、一体誰なんだろう。正に、灰色男にいつでも介入されてしまいそうな思考回路を持っているために、私の事を嫌いな人達が何らかの理由で来ているのではないかと思ったが、人に話すとそんなわけないやろうと言われた。別に、そうでも良いのですが。そして私も灰色男にならぬよう気を付けます。

方向音痴

 


自宅から近い銭湯に行った。霧雨の帰り道、住宅街で迷った。暫く歩いていると先程の銭湯に着いた。気づかない内に曲がり曲がり、一周していたようだった。携帯の位置情報機能のお陰でどうにか帰ることが出来た。中学生の時だったか、一人で吉祥寺の駅前の画廊に行った時同じ道を繰り返し歩き二時間位迷った覚えがある。何度も通った道なのに、中々気づけないのだった。新しい道に来た気になるのだった。高校生にあがってから同じ画廊に、今度は友達数名と向かったが、その時も皆を巻き込んで長時間迷った。地元の商店街では、店に入った時までは正常な方向感覚を持っていたのに、出た瞬間にどっちが家か分からなくなっているのだった。家から土手をひたすら歩けば着く筈の祖父母の家にたどり着けなかった事もあった。私の方向音痴は、迷惑極まりないので確実に短所ではあるのだが、私は迷っている事に気づく瞬間が好きだ。その一瞬だけ、異世界に来た心持ちになる。見慣れた全ての物が遠い場所の物の様な気がするのだった。ただ、気づいてから少し経つと、新鮮な景色への探求心よりも不安感が圧倒的に勝り、いつも、家を一心に探してしまう。このまま迷子になり続け、不安感も無くなれば私は本当に何処かに行くのかもしれないなと思った。