自宅から近い銭湯に行った。霧雨の帰り道、住宅街で迷った。暫く歩いていると先程の銭湯に着いた。気づかない内に曲がり曲がり、一周していたようだった。携帯の位置情報機能のお陰でどうにか帰ることが出来た。中学生の時だったか、一人で吉祥寺の駅前の画廊に行った時同じ道を繰り返し歩き二時間位迷った覚えがある。何度も通った道なのに、中々気づけないのだった。新しい道に来た気になるのだった。高校生にあがってから同じ画廊に、今度は友達数名と向かったが、その時も皆を巻き込んで長時間迷った。地元の商店街では、店に入った時までは正常な方向感覚を持っていたのに、出た瞬間にどっちが家か分からなくなっているのだった。家から土手をひたすら歩けば着く筈の祖父母の家にたどり着けなかった事もあった。私の方向音痴は、迷惑極まりないので確実に短所ではあるのだが、私は迷っている事に気づく瞬間が好きだ。その一瞬だけ、異世界に来た心持ちになる。見慣れた全ての物が遠い場所の物の様な気がするのだった。ただ、気づいてから少し経つと、新鮮な景色への探求心よりも不安感が圧倒的に勝り、いつも、家を一心に探してしまう。このまま迷子になり続け、不安感も無くなれば私は本当に何処かに行くのかもしれないなと思った。