B'z部屋雑記



B'z部屋雑記。「恋」を切り口に、よく聴く曲を順番に聴いてみたり。

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1992年『恋心(KOI-GOKORO)』では、「忘れない 恋心/いつまでも 恋心」から始まり、「どうしよう うまくいかない恋/こんなとき もっと大人になりたい」と語り「二度とは戻らない時間を/笑って 歌って ずっと/忘れない いつまでもあの恋/なくさない 胸をたたかく痛みを/汗かき 息はずませ走る/日々はまだ 今も 続く」と続く。

1995年『LOVE PHANTOM』では「欲しい気持ちが成長しすぎて/愛することを忘れて/万能の君の幻を/僕の中に作ってた」「がまんできない/僕を全部あげよう」そして「幻をいつも愛してる/何もわからずに」になる。
 
2000年『今夜月の見える丘に』では「たとえば どうにかして 君の中 ああ 入っていって/その眼から僕をのぞいたら いろんなことちょっとはわかるかも」から始まる。 「痛いこと 気持ちいいこと それはみんな人それぞれで/ちょっとした違いにつまづいて またしても僕は派手にころんだ」「傷ついて やっとわかる それでもいい 遅くはない」最後に「いつでもそうやって笑ってないで/かけらでもいい/君の気持ち知るまで 今夜は一緒にいたいよで終わる。
 
2009年『イチブトゼンブ』では、「すべて掴んだつもりになれば/また傷つくだろう/ほんとに要るのは有無を言わせない/圧倒的な手ざわり/愛し抜けるポイントがひとつありゃいいのに」「すべて何かのイチブってことに/僕らは気づかない/愛しい理由を見つけたのなら/もう失わないで/愛しぬけるポイントがひとつありゃいいのに/それだけでいいのに」となる。

2024年『イルミネーション』では、「君の1番好きな/歌を聴きながら進もう」から始まる。「曲がりくねった道をハモり/進む君と僕のハイビーム」…この曲の中で進むのは、<まっすぐな道>ではない。「ホントにあるよねウソじゃないよね/夢で見たイルミネーション/誰かが誰かのために灯す/愛まぶしたセレブレーション」はじめのサビでは不安が込められた疑問形として歌われる。その後は「ホントにあるんですウソじゃないんです」と断言するように2回歌われる。「ガッカリもションボリも丸めて/噛み締めて飲み込んで/ずっと諦めないでいられたら/クライマックスは続く」「ホントにあるんですウソじゃないんです/ユメが萌えるイルミネーション/生まれたこと誇れるように/その心飾るでしょう」となる。

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作詞の稲葉は『恋心(KOI-GOKORO)』で、「忘れない 恋心/いつまでも 恋心」と歌ったが、「恋心」を、いつまでも忘れなかったからこそ歌えたのが『イチブトゼンブ』なのだと思うし、『LOVE PHANTOM』での「(そして私はつぶされる)」…派手にころんでも、『今夜月の見える丘に』で「傷ついて やっとわかる それでもいい 遅くはない」と歌う。『恋心(KOI-GOKORO)』で「こんなとき もっと大人になりたい」と歌った、その「大人」の姿というのは、疑問形ではなく「ホントにあるんですウソじゃないんです」と断言できるようになった『イルミネーション』なのではないか
 
彼の作詞はほんとうに見事で、改めて歌詞を読むたびに驚いている。むずかしい言葉を使っていないのに言語化できないような感情が綴られている。まず、詩ではない、そして、訴えでもない。受け取ったときの感触は、意外と丸みを帯びている。さらにその内容が、研磨しつくされた結果であるとしても、健やかさ、「共に生きていくこと」を絶対に諦めない姿勢を感じる。私にとってはその姿勢をもつことも、貫くことも、まったく容易なことではない。だから、崇高なものとして扱いたくなってしまうが、そのような消費の仕方というのは、惜しい気がする。これは稲葉独特の感情、あるいは、単なる <やさしさ> 、言い換えれば自己犠牲のような精神から生じたものなどではないのだろう、と感じるからだ。受け身の姿勢で聴いてしまう私は、こういう表層に見える稲葉のやさしさにどうしても「やさしいなあ」と感動してしまう。こういう捉え方になると、他人事のようになって、鑑賞者は楽になる。同時に、自己嫌悪の余地が生まれる。稲葉の語ることは、語りたいことは、きっとそんなものではない。魅力や、色気や、ズルさにもなるような「やさしさ」をやっているわけではないんだと感じる。稲葉の詞に感じるやさしさとは、B'zというバンドがもつ姿勢から生まれるのではないか。

稲葉の詞から感じるやさしさを考えると、数年前にアドラーのことを勉強していて知った「共同体感覚」という言葉が連想される。私たちが目指すところらしいが、私は全然理解できていない。それに、勉強したことは、残念ながらほとんど忘れてしまった…。だから、それが具体的になにかと問われても、本をそのまま引用したようなことしか言えないために、意味がないので、省略する。ともあれ、この言葉を思い浮かべると、私はいつも、窓から見える煙のようなものを空想する。ちょうど今描いている絵のような、いつも浮かんでいる、雲みたいなもの。それは、誰でもが見えるものである。稲葉が書こうとしていることの先には、そういうものがあるのではないか。ゆっくりでもいいから一緒に走って生きていこうと、そういう形での「共存」を提案されているような、健やかさがある。太陽のように眩しい。それはそのまま彼らの関係にも言えることではないのか。全然知らないが、私にはそのように見える。だから私はB'zを聴きたいと思うのだし、だから好きだと言っていたいのではないかと、今日もチャゲアスばかり聴いていたが、聴いてしまっていたが…考えていた。のでした。