私は一度しっくりくるモチーフに出会うと同じモチーフで何枚も描いてしまう。
最近もそんな感じで机上に置かれた物を組み直して構図を決めて描いている。飽きたわけではないし描きたいし描けるのだけども、異常にしっくり来ないのが続いていた。
その期間は発酵の時間だったらしい。
発酵終わったころにはすいすい描ける。不思議。失敗する度にもう二度と絵を描けないかもしれないなんて思う。絵を描くのとパン作りが似てること しょっちゅう忘れる。
最近ご縁あって昔の絵本と接する仕事をさせてもらうようになった。
絵本からいろんな事学び そして少しずつ興味も湧き すこしだけ好きになってきた。表紙からは想像もつかないような色彩と構成と展開が楽しい。裏切りの連続で、コーヒーを飲んでない、眠たいボケーとした日にだって容赦なく感性を刺激される。昔、編集者の土井さんに絵本を描きたいなら絵本を好きになりなさいと言われた事があった。私は絵本を作家名からえらんでは、その作家の作品に惚れ惚れしていた。が、そのような姿勢は、絵本ではなくその作家が好きなのであって、絵本が好きと言う事じゃなかったんだなと今ごろ気づく。(あのときはそれが絵本を好きということだろうと履き違えていた)好きでもないものを強制的に好きになる必要は無かったし、出会いはタイミングがとても大事な気がしているので、あのとき描いた絵本のラフの数々を見せて苦笑されたのも理解できるし、あのまま無理やり絵本作家デビューを目指さなくって良かったとも思うし、なにより最近の自然な流れのなかでの純粋なまなざしを通しての「好き」がうれしい。
今はもう絵本作家になりたいとは思わない(思えない) けど、いつか絵本を描けたら良いなとぼんやりと思う。
たくさんの昔の絵本によって(日本のものも読めない外国語のものからも)自分は絵の中では飛ぶこともピアノを弾くことも出来るんだった、という事を思い出した。それから日々の足取りは少し軽くなった。生きる場所は自分で選ぶことが出来たんだった。絵のなかにも家が建てられた。
子供の眼差しをすこしだけ取り戻してまず楽しかったのはこんな絵を描けるようになったことです。