空の下

 

少し前、階段の壁にくつわ虫。
 
宣伝は何回やっても慣れないし、展示の前は何回経験しても不安になる。設営をお任せしてしまったことに後ろめたさを感じていたが、素敵な空間になったとご連絡をいただき、ほっとする。なんて頼もしくありがたいのだろう…。夜、買い出しに出たら寒くて凍える。帰ってから、鶏肉をトマトとワインビネガーで煮た。にんじんピラフも炊いた。

朝、窓辺の絵のイメージで作っていただいたジャムをトーストにのせて食べて、感動する。
朝と夕暮れのそれぞれの時間が、あの夏の日が、ちいさな瓶にたっぷり詰まっているようだった。夏の朝、爽やかな明け方の光。滅多に早起きできないから、わずかな記憶だけど、鮮明に覚えている。もっと昔、子供のころの夏の朝のことも思い出された。風味の中に、夜の甘い余韻が少しだけある。そうそう、この光!となった。夏の夕暮れ。今年の夏は夕暮ればかりみていたのに、もう懐かしくて、ちゃんと切なくなった。全部が赤色に包まれる時間。甘くてこっくりした空気にはもう夜が混じっている。

今まで描いてきた窓辺の外側のことを想像する。想像できるだけの、たくさんの鍵をもっている。空想の世界では描けなかった外の風景が、今なら見える。窓辺で見ていた空は私だけの空だった。まるで心象のような空。けれど、外側の空は、みんなが見上げている、大きなうつわのようだった。私の今年の夏はなんでか淋しく、花や空や雲間からさす光に救われていた。それらが穴を埋めてくれることはなかったけれど、夜を越すときに、あったら、少しだけ嬉しい存在だった。なくても生きてはいけたけど、決して、ないものにはできないようなものたちだった。そんな気持ちも、無視されることなく、余すことなく、瓶の中に入っているようだった。

どこにいても何をしていても、一人は一人、だけど、心の風景が接続されたり共有できたと感じたとき、あるいはそれをとても大切に抱いてくれたとき、とても一人とは思えないような気持ちになる。