地獄と言葉

 

描くためじゃなく買った花の、枯れて茶色くなった部分を切り落として、小さな花瓶に生け直した。枯れたものの、いつまでも花が咲いていて捨てどきがわからなかった花は、思い切って捨てた。新しい花をそれぞれの花瓶に生けて窓辺に揃えたら、荒んでいたというわけでもないけど、心が平らになったようだった。

しばらく描きたいという気持ちが湧かない。なぜだかはよくわからない。でもたぶん描いた方がよいのだろうという見立てがあり、描かなくなるのは違うだろうと思い、一応、描いている。でも、進まない。求められているわけでもないのに私はなんのためにやっているんだろうという気持ちになる。それは、ごはんを食べたり洗い物をしたり部屋を片付けたり、どうせ伸びるのに髪を切ったりどうせいつか死んでしまうのに病院に行ったりするときに感じることと、すごく似ている。いつも何かの病気なんじゃないかと不安を抱えて病院に駆け込み、病気じゃありませんようにと祈りながら診察を受けるけれど、しかし同時に、何か病気であってくれ、病名をつけてくれ、不安を終わらせてくれと祈る自分もいる。

窓辺の花は私が明日を生きる目的にはならなかった。もう根がないのだからあとは枯れていくだけだろうと薄情な気持ちで花瓶に生けている。いつからか、そこに申し訳なさも感じなくなった。仕方がないことだと割り切るようになったからだと思う。枯れるのを待つだけなのに、それでも、少しでも長く持ちますようにと水を換えたり延命剤を使ってみたり、反射的に祈ってしまう。一瞬で矛盾する自分のことはよくわからない。わからないけど、もしかしたらそういう反射のほうに私の本体があるのかもしれないと考える。言葉にできるようなことなど信用しないほうがいいのかもしれないと。