絵を描いていて、窓を見ると、いつのまにか白鷺が電信柱の上に立っていた。椅子から降りて立ったときに目線の高さが揃う。そんな高いところにいるんだね、とふしぎな気持ちになる。鷺も自分も。机のほうに目をやって、しばらく作業をしていると、音もなく、いなくなっていた。
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誰かの日記を読んでいたら眠くなった。うたた寝の夢。
二人で青森を訪れていた。打ち合わせが終わったのが昼頃だったので、山のほうへ向かって、いいお宿に泊まれるのではないかと、冒険心が湧いてくる。それを同行者に共有する前に、もうひとりの人物があらわれた。三人でしばらく喋っていると、乗らなければいけない電車が来てしまった。その電車は混んでいて、会話する余裕がない。ならばひとつ電車を見送って、目的地をはっきりさせてから乗車したほうがいいのではないかと思い、そのつもりで目配せした(つもりだった)。しかし同行者は、颯爽と電車に乗っていった。かたまっている自分と一瞬目があったが、この駅で別れる知人にむかって手をふるばかりだった。
呆然としながら、「とりあえず電車に乗ります」とだけ連絡をし、ひとり取り残されて次の電車を待った。ひとりになると、急に電車が怖くなる。乗車方法にしても、切符の入れ方にしても、どのあたりに立っていれば他のお客さんの邪魔にならないかとか、この土地のルールを何一つ知らず、準備できておらず、そうなったときに考えればいいとはいえ、不安は募った。また、たとえばこういう不安から過呼吸になりそうになったとき、それを伝える相手がいないと思うと、恐ろしくてたまらなくなるのだった。私はこれまで、どれだけ彼に、身近な人に、助けられてきただろうと思う。
動悸がひどくて仕方がないので窓を見る。さっきまで晴天だったのが、真っ白な空に、雪まで降っている。しかも大雪。真夏なのに、ギョッとする。外とは、知らないことばかりだった。こんな天候で山のほうまで行くと遭難するのではないかと思い、少し栄えた駅で降りた。携帯を見て、メールを確認するが、返事は来ていない。ああ、『銀河鉄道の夜』に出てきたザネリって子は、今の私のような、こんな心情だったんじゃないかなとか思う。私はジョバンニにはなれなかったのだ。伝えられなかった感謝は、伝えられていたら、良かったのだろうか。でも、私の感情を、歪まないでそのままの姿で伝えることなんか、できるのだろうか。認めたくなくても、そんなのはもう関係なく、ひたすらに無限に湧いてくるこの後悔は、先手を打って対処しておけば、良かったのだろうか。でも、今までだって、できることをできるだけやってきたのではなかったか。何も何もわからなかった。
栄えた駅に着くと、みんな一斉に降り出した。自分も群れに混じって下車できた。この土地のことをわかってるふうな、当たり前のような顔をして。擬態に成功した。こうやって少しずつ成功体験を積んでいけばいいのだ。失敗と成功が同じくらいになれば、きっといつか人並みになれるだろう。これくらい信じていないと生きていけないよ。本質的な成功じゃなくともいいのだ。
空を見ると雪は止んでいて、虹が架かっていた。青森では雪の後の晴れで虹が架かるのかあと、びっくりする。住宅街のひとつの家に、虹のはじまりが見えた。駅を降り、せっかくだから写真を撮ろうかと思う。リュックからカメラを探すが、見つからない。肝心な時に、いつもカメラは見つからない。後から写真を撮りにきた人の邪魔になったようで、「どいてくださーい!」と声をかけられる。意志の弱い自分は、撮ることよりも退散を優先した。歯食いしばって外に出る。また失敗体験が…と思いかけたとき、いやここからでも撮れるだろうとカメラを空に向けると、もう真っ暗だった。刺すような漆黒で我に返り、また現実の不安が戻ってくる。寒いし。雪で濡れた靴が冷たいし。突然遠くで花火が打ち上がった。それは目覚まし時計の音だった。
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うたた寝の直前に、人の日記はいいものだと、また思った。たまに分からなくなっていたけど。読むならブログがいい。本物の日記帳とか、本の日記は、自分は、あまり読めない。本物の日記帳はみてはいけないものな感じがするし、本はどうしても編集とか推敲が入って、日記より少しだけ強くみえるからだ。ブログも人の目を意識されていると思うが、その意識があるから、読みたくなるんだと思う。無関係な誰かの人生を見て安心するんじゃなくて、そのひとつの線で、むしろ関係し合っているから安心するのだ。言葉を発して、気持ちを抱いて、沈黙を貫いても、それがどこにも作用しないなんてありえないだろう。
何年続いてるんだというブログを見つけると嬉しくなる。あなたが重要に思ったことを、あなたにしか伝わらなそうな言い回しで書いてあるのを見つけるたびに、ありがとうって思う。なんでだろう。