日々滅裂

 

 
少し前。スキマだらけのお弁当と、かわいいチョコレートケーキ。
このぼんやりは春由来なのか、まあまあいろんなことがまとまらない。  
開かないだろうと思ってた蕾がどんどん開く。 
棚から自転車のカゴが脚に落ちてきて激痛・苛立ち。
無事を祈りながら10枚の絵を広島に送る。
帰り、大きな肉を買う。
夢で行った沖縄の海は空を反射して青紫。
カメラには映らない色。自転車でぽこぽこ思い出す。 

 
(2026-1-23)
 
(2026-1-30)
 
(2026-1-31)
 
 (2026-2-4)
 
花屋で、茎のうねりや蕾がかわいい、絵になりそうな花を選んだ。「絵になりそうだから」という理由でモチーフを決めるのはまったく悪いことでないが、自分の制作においてはどうしてか後ろめたさがあり、結局、後日選び直した花を描いた。描かなかった花は、静かに窓辺で咲いている。かわいい蕾は開かない。葉は少し縮れてきた。もう数日したら枯れるんだと思う。血がたれるみたいに花びらが散る。 

胡麻をする音

 
 
匿名で相談して、回答してくれた中に書いてあったおすすめの本を探す。探しても探しても発見できなくて、存在しない本だと分かった。回答者がAIだったことに気付き始める。ショック。自分で本を探してみるも、なにを買ったらいいかわからず体力が尽きる。
その昔、インターネットが好きだった。温度が好きだった。最近では、よくわからなくなってしまった。いつのまにふるい落とされたのか。悲しいな。
なんというか、老いだし、置いてかれてるし。
 
不安でいっぱいになったことは、今までたくさんあった。その対処法について何回も考えてきた。でもわからないまま。現実の世界では、何かが起こったら受け入れる以外の選択はないようなもので、そこには「大丈夫」しかないことはわかっている。あきらめればいいものを、どうしてあきらめられないのか。抵抗したくなってしまうのは、これもまた、あきらめるしかないってことなんだろうか。あきらめることって、「あきらめなさい」と頭に言葉で命令した途端に、難易度が急激に上がる気がするが、どうなんだろう。言葉にしてしまう前に、意志になってしまう前に、気づかれないように、ほどいていけたらいいのだが。
 
母から誕生日にもらったすり鉢で胡麻をすった。夜中の静かな台所で、胡麻をする音だけ響いた。ぷちぷちつぶれる感触が手に伝わる。だんだんと香り立つ。めん棒についた衣を味見。甘くてしょっぱくて香ばしい。

2026CALENDAR

 

打たれ弱くしょっちゅう寝込む「ダイヤの兄弟」というキャラクターの12コマ漫画をもとにして(もう1月も終わりかけですが)2026年のミニミニカレンダーを作りました。
遊ぶように作れて、楽しかったです。
よかったらのぞいてみてください📅

お店はこちら→ ✩  





🎈
ネットショップでは、すなば書房さんの『砂粒集』も入荷しています。ぜひぜひ。 

大縄跳び

 

ルーティンが途切れることへの恐怖。
真っ白な部屋へ憧れ、一瞬で矛盾を発見。 
進まない絵・満開の花。
初期設定の不備にも気づいてる。
愚かな私の日常は、大縄跳びのようだ。

今日はお弁当を作れなかった。けど、パン屋さんのパンが美味しかったし、新発売のグミも買えたし、いいのだ。三ヶ月分の漢方は紙袋にギチギチで、ハコのようになっている。数値化するとやはりタンパク質が足りなく、ついにプロテインに着手!ハコのような漢方や幅のあるプロテインをどこに収納するかを考えなければいけないが、崩壊した優先順位はもう意味が消え、絵が完成しないと立て直すのもムリそうで、でも今描き始めてもうたた寝てしまいそうだし、収納する余白なんかないわけだし、全部ほっぽりなげてカブのポタージュと鶏団子を仕込むことにする。
解散!

心を祀る

 

きのう1月15日は荒れた祭壇の片付けで終わってしまった。
祭壇には一応猫の骨を祀っているが、ここで眠っているんだという気配は全くない。縁もないしこの家には幽霊としてでもあらわれないと思う。じゃあこの祭壇は何?
猫は、こんなところじゃなくて、もっとあたたかくて安心する場所で、つやつやした毛並みで、眠っているのだろう。想えば、あたたかくなる。
想像を巡らしても不在は不在で、心には大きな穴があいている。穴をさけるようにして、いろんな場所にいろんな形で、同時に居るように思う。現実での不在とは、いまだに全貌が見えないほど大きく、さびしい。焦らないことにした。自分のリズムで歩く。
 
2026年1月15日、の翌日

たのしいおしらせ / upendo 1月号

 
 
長崎は大村にあります「upendo」というお店に、花の絵を1枚かざっていただいています。
前回から2ヶ月だったので、あたらしい絵をお送りしました。
今年1枚目は、蝶のようなくらげのような花です🪼
upendoさんにお越しの際は、ゆったりしつつふと見ていただけたら嬉しいです。

ちなみに絵は通販も可能です。
upendoさんにご連絡ください。

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upendo
長崎県大村市田下町406
*営業日・営業時間はSNSをチェックしてください

企画:熊谷麻那さん

まぼろしの解体



数日の時差で、ようやくわたしも(精神的に)年を越せ、正月休みまで終えたようなのだが、頭も体もはたらかない。そろそろ描き始めたいところだが、花を買いに出る勇気がない。ここ数日は壊れたパソコンみたいな動きをしている。昨日は中くらいの西瓜半玉を一人で食べ切った。 
 
今日もぼんやりのなか、ほしいものについて考えていたらなんにも出てこなく、ある日急に異常な物欲がわくことはよくあるのになんでだろうと考えていて、それは多分、ほしいものがほしいというわけでなく、足りない気がしてほしくてたまらなくなっているだけの、ある種のまぼろしなんだろうなと思った、ところで、年末にこっそり注文していた料理のレシピ本が届く。一ページごとに大事にめくってみたら、久しぶりに文字が読めた。食べるように読めるのは料理家の言葉だからか。
 
去年の暮れに、何度も本屋の料理本コーナーに立っては絶望して何も買えず帰っていた時があった。ぺらっと開いたページに載っていたレシピは、丁寧さもラフさも、その人の日常そのものに見えた。いつでも脱したい自分の生活を思い出すと、誰かの生活は眩しく、自分の生活が心底嫌になる。気持はちゃんとホンモノだが、この眩しさについては、同じ種類のまぼろしである、と思う。レシピ本をみるたび消耗していたのは、ひとつひとつのレシピを、矯正的に捉えていたからだ。これを作りたいなと思ったら作ったらいいだけなのに、自分はそれを作れるような心持ちの人間ではないというところに着地していた。そこで、足りないという気持ちを心に足して、眩しいまぼろしを見る。実際に足りないのはレシピに載っている材料や道具だけで、心持ちとか土壌とかはあまり重要でなくて、多分もうすこし、軽率でいい。ということ。
 
本の中の一ページで、しばらく分のまぼろしを解体できた。よかった。
 
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料理って、そういうものだと思います。
床に新聞紙をしいて絹さやの筋を取っていたり、カレーを作ろうと大量の玉ねぎの皮をむいていたり、にんじんの皮を、できるだけ薄くむこうとしていたり。明日のために豆を水に浸けていたり、だめになる前に、 きゅうりを漬物にしようとしていたり。
それをしている自分のことを想像してみて、もしも嫌いだなと思ったら、そういう時はべつに料理なんかすることはありません。 
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(『新装 高山なおみの料理』引用 ) 



大晦日に地下鉄に乗った。みんな厚着をしていて、肩がふれる。身体がこわばる。音楽が耳に届かなくなって目をとじる。思い出すとまだ喉の奥がぎゅっとする記憶が、はらはら雪のようになって訪れる。
 
あの日、電車に乗る前に、駅の花屋で白い花を買った。耳たぶのやわらかさを思い出して。いそいだところであまり変わらないのに焦っていた。電車は遅く、遠く、辿りつかない。目に力を込めないと涙が溢れそうで、ぎゅっと目を瞑っていた。目の奥に涙がいっぱいになってしまって、開いたら結局溢れた。その後のことがもうよく思い出せない。バスで家まで向かったんだか、歩いたんだか走ったんだか、記憶から抜けている。亡骸の硬さと耳のももいろ、毛並みの感触、は覚えている。でも、もう断片的にしか。
 
寂しさはずっと変わらないかたちで心に刻まれていて、会えると言われたらすぐに走って行ってしまいたい気持ちだ。でも振り返らない。前を見る、何回でも思い出す。
忘れてしまうだろうか。正しいだろうか。わからない。わからないが、歩かなきゃ、どうしようもない。