残金がゼロに近づいていく日々。
お金がだいぶないとき、今の自分はなにか欠けているんでないかと取り憑かれたみたいにずっと考える。ここ数日もそう。「なにか」って、「お金」でしかないのに。なんなら生活できているなら「お金」だって大丈夫なのに、...。
自分の存在が不潔で不穏なような気がして、とにかく身を清めたくなる。こころの汚さが表面に出てるんではないかと怖くなる。とりあえず髪の毛とか切りたくなる。服もかばんもイヤリングも、みんな汚してしまったような気がして、新しいものが欲しくなる。しかし、そんな余裕はない。だからもやもやだけ残る。
でも、わかっている。いつも、金欠が終わると同時に何もほしくなくなるから。毎回、超足りていることを思い出している。
こころが汚かったら死ななければいけないのか。そんなこと思っていない、はず、というかそう思っていないとやってられないはず、なのに、その結果が物欲として目の前にあらわれ、はずかしい。
カバンのポケットからちいさな人形や小銭や飴がぽろぽろでてくるみたいに..、最近はよく、理屈ではわかっているのに太刀打ちできないことが、自分の身体から無限にでてくる。いくつかはあきらめられた。自分にとっての誠実さをもって、これからの選択を考えようと思った。自分にできることは、それしかない。✎
映画『悪は存在しない』 を観てから、どんな階段でも自信を持ってゆっくり降りることができるようになった。これまで、年に一回くらいは階段で転んで怪我をしてきたから。すごく混んでいる電車のホームでも、足元から目を離さないで、慎重に下る。今日新宿駅でそうっと降りているとき、目が回ってぐるぐるしていた視界が、一瞬だけクリアになった。
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デヴィット・ボウイの歌声は、人身事故が起きた駅を通りすぎるときでも、うつうつとして寝付けない夜でも、自分の欠陥を責めているときでも、いつもきらきらとしていた。不意に「愛してるぞー!!」と叫びたくなる。デヴィット・ボウイはスターとしてそこにいて、だから安心してそう思える。めずらしくたのもしい感情を持つ。それはとても幸せなことだと気づいた。ミーハーに無責任に、叫びたい!自分に対するいろいろな感情も、むしろたのもしく育ってくれたらいいのかもしれない。それでやっと闘えるかも。