暇沼

 



 
なんとなく見返したくなった画像を探すため、前使っていた携帯のsdカードを開いてみる。たかだか3年そこら前の写真。先日、2年前の出来事をずっとむかしかのように話す人に、ぜんぜん最近ですよ、と言ったというのに、あまりにも懐かしい。
このクッキーは、必死にはたらいて、だめになったとき、せめてもと思ってそこで働くみんなに焼いたクッキーだ、とか(振り返ると、なんて図々しいやつなんだとおもいます)、ふつうに生きてたから、ふつうの携帯のカメラで撮った、ほんとになんでもない表情の猫とか、夜に散歩でみかけた小さいばらとか。そのときは忘れたくないと思って撮ったのに、結局それが見たくて見返すことはなく、今の今まで忘れていたことたち。猫はわたしのなかで、居たときよりも大きくなっている。亡くなってからどれくらい経ったかもうわからない。実家に帰って撫でられていた日が、ほんとうにずっと昔のことのような気がしていたのに、全然最近までそこに居たのだった。生前、わたしは今のような事態になるのをとても恐れていて、そうなったときわたしは狂うか死ぬとおもっていた。今日ものうのうと生きている。ぜんぜん違うことで気が狂うんじゃないかとおもったりして、うまく寝れなくなったり心臓が痛くなったりしている。
結局探していた画像はみつけられず、記憶の断片がまた呼び起こされ、気づけば見事に沼に嵌っていた。わたしがもっているひまは、沼に嵌るためのものじゃない。もっとちゃんとした立派なひまがいいのだ。沼に嵌るときは、やることリストに「・沼」を入れなければいけない。今日やること、あと10個。そうじき、梱包、黒丸、お返事etc..。