ここ数日、自分の外にあるものから元気をもらうことがたくさんあって、とても元気だった。(その勢いに任せ、今日はとても久しぶりに髪を切りに行く)
会ったことのない、でもとても大事だと思っている人から電話で教えてもらって出会った、ある言葉(とその裏側にあるその人の存在)。友人が描いた漫画の本が刊行され、その漫画に添えられたあとがきの言葉。実家で部屋を掃除しているときに出てきた、母方の祖母からの手紙に「大好きな柚芽ちゃんへ」。友だちとの長電話(私が延々「バトル・ロワイアル」のことを話していた)、時々訪れるお店にて長話(「モテ」のことを延々話していた)。ぜんぜん切実なんだけど、切実だと大声で言えないみたいな、そういう話題の数々。
家で引きこもっていただけでは絶対に出会わないであろう、まぶしい体験や記憶たちに回復させられる。
外はいいもんかもしれない、と思いかけたとき、いい気分で古着屋街の古着屋さん(オシャレ)に入ってみた。
するとさっきまでHPマンタンだったのが、三撃くらいでゼエハアしだす。せっかく古着屋さん(オシャレ)に入れたのだから、普段絶対着ないような色の服を一着ぐらいは買おうと思っていたのに、逃げるように店を離れてしまった。そのとき着ていた服だって普段の自分からすると「色がある」服だった。派手なんじゃないか?かわいすぎる色じゃないか?と思っていたその服は、ここに並ぶ数々のカラフルな服と比べるとすごく地味なので、もはや無彩色に分類させられるような気すらした。その古着屋さんは色味ごと陳列しているから、ギリギリ「ピンク」の棚にはおさまらない色だったかもしれないと思う。お店が混雑してきて、ギラギラファッションをしている人に包囲されているとき、自分は部屋着でパーティーに来てしまったような気分になり、それで逃げるように店を出た。
商店街を早歩きで逃げているとき、数日前に見て回復させられた言葉をおもいだし、また読み返す。わたしはこれらの詩と親友だとおもう。勝手に。
勝手にこの詩との出会いを持ち帰ること、そしてこれからの人生でこの詩と何回もおしゃべりして作者のことをよく知らないままに仲良くなることを許してくれるのなら「芸術」とはすばらしいものじゃないかと、人生で初めて思った。
友人、大横山飴さんの漫画の内側では、昔大横さん含む同世代の友人たちと歩いたりドライブしたり(彼がとても長い時間運転してくれたのだった)動物園に行ったりしたときに見た景色が当たり前の顔をして存在していた。わたしはそれで思い出した。時間は流れていた。ああ生きていてくれてありがとうと思った。