2023-09-04

いったりきたりの日


ベランダに、アゲハチョウのきれいな羽の一部が落ちていた。不吉だと思った。しばらくしてからまたのぞくと、もう無くなっていた。強い風に飛ばされたのかもしれない。

ネットで注文していた桃色のブラウスが届く。
着てみると、どうもしっくりこなかった。似合っていないわけでもないような、わからない。それに、嫌いでもない。画面で見ていたよりも女性らしいデザインで、私は自分のことを女だと思っていたけれど、なんだか性別を強調されたようで、恥ずかしい。恥ずかしい?私は今まで自分の性別に特に疑いは持たずに生きてきた。しかしそう思うことに、少し驚く。

私は自分のことだってよく分からないのだった。振り返れば、いつだって自分の内部で起こる化学変化に驚かされてきた。私はどこにいるのだろうか。
 
ブラウスをタンスにしまって、台所に立つ。手を洗う。戸棚から型を出し、ケーキの材料を並べる。ビスケットを砕き、敷き詰める。クリームチーズ・砂糖・生クリーム・水切りヨーグルト・ゼラチンを混ぜ合わせ、型に流す。それをそっと冷蔵庫に移す。
 
冷やしている間、途中の絵を描き進めた。
絵が重く感じ、冴えない。完成が分からず、スケッチブックから剥がさずに、そのまま片付けた。

再び台所に立つ。冷蔵庫から、ナスとピーマンを取り出す。ナスは乱切りにして水にさらし、ピーマンは食べやすいサイズに切る。さっと油で揚げ、めんつゆやおろし生姜などをあわせたタレに漬ける。粗熱がとれたら茗荷と大葉を刻んで散らし、冷蔵庫へ。
料理は身軽で、良いなと思う。冴えない日は、料理をすると、だいたい楽しい。

なんとなく掃除をしたり、なんとなく漫画を読んでみたりする。窓をのぞくと、もう日が暮れていた。最近、夜はあまり好きじゃない。何もしないと、この黒い空のように底のない考え事で頭がいっぱいになる。らくがきをしようと、Gペンをにぎってみるも、今の私に描けるものが全然ない。からっぽ。
ひまだなと思った。しかし心はざわざわと、何かを喋り続ける。米を研ごうと、立ち上がる。

こんな1日は、とても絵には出来ないだろう。台所と机のいったりきたりの1日。
こんなふうに言葉にして、私は何を記録したいのか。アゲハチョウの羽の一部が飛ばされていたことも、桃色のブラウスが似合わないでも嫌いでもなくしっくりこなかった自分の心のことも、料理に対して最近思うことも、多分、さっぱりわすれていいことなのに。
 
でも私は、こんな1日が、こんな1日だとずっと言えるような暮らしが良いなと思う。これを幸福でないと、どうして言える?動きたいときに動かせる手、歩ける足、助けてと言える口、悲しさをそのままの形で咀嚼できる心のゆとり。いつかの自分が涙が出るほど取り戻したい今日かもしれないなと、今の私はおぼえている。時間は私を容赦なく取り残して流れていく。
そろそろ地震が来そうだな、そろそろ病気が発覚しそうだな、そろそろ終わりかもしれないな。

虚無にひたれるだけひたって、潜れるだけ潜って、その先に本質があるんではないのでしょうか。偉そうに「本質」なんていう言葉を使える身ではないとは思いつつも、そんなくだらないことを片隅で、あるいはど真ん中で、最近よく考える。