妙にリアルな夢だったと思ったけれど、夢なんていつもそんな感じかもしれない。
夢の中の私は未だに団地住まいで、日暮れに町から帰る。デパートのエレベーターに乗ると、心を見透かす芸を売るあやしいおじさんが各階にいる。追いかけてくる。多分不正をしている。うさんくさいが当たっているのが怖い。どこで流出したんだか、経路がまったく不明。逃げるようにして帰る。
夜なのに昼みたいに、実家の窓から不穏に明るいひかり。「ただいま」と言ったら大好きな猫がぬるっとこっちへ来てくれた。死んだことを覚えていながらだきしめて撫でた。誰にも言わず撫でた。私はこうして幻想とわかっていながら毎日猫を撫でていて良いのだろうかと、ふとよぎる。
横を見ると母が震えて書類を書いていた。医者から大病を告げられ泣いていた。可哀想でたまらないと思ってしまった。
そんな、次は母か、
だめだ。
逃げたい。
もういやだ、
と強く思ったら夢から逃げられて
安心風な現実があった。
安心風、であって、私のどの悪夢よりきっと現実の方がよっぽどむごい。
飛び起きたらまだ、朝の四時。途方に暮れる。穏やかに眠りたい。でも多分大事な夢を見たと思い、記録してみてる。
心臓が破裂しそうで、ああそうか、私はまだまだ全然、全然だったんだ、と気づく。そりゃそうか、と思う。そりゃそうだ。消えたと思った不安は全く消えてなかった。いつまでも消えないのか。いつか消えるだろうか。凌ぐんじゃなくて脱皮みたいなのを経てあたらしい私になって歩くことができる日は来るだろうか。
死んだじいじ、ばあば、ばあちゃんの事が、思い出すなんてことをしなくても覚えているんだ、って話を寝る直前にしたばかりだった。じいじなんて亡くなって15年くらいになるのに声なんて当たり前に覚えているし、脳内で気配を再現できる。全部ないけれど、猛烈に普通に頭のなかにある。だから楽になっていい。楽になった方が絶対いい。全部わかってるのに心は苦いほうにいこうとする。老いることも死ぬことも愛しいと思いたい。そこに寂しさを感じたくない。苦しいのと悲しいのは嫌なのにどうしてそっちにいこうとするのか。
私がそうなだけなのか、人類全般そんなもんなのか、
もうわかりません。
人類全般、だとしたら、なんて幸せな動物だろう、って思います。
人類、いやかも。
眠らねば。