17日の昨日、25歳の誕生日でした。
こんなにたくさんの人にお祝いのことばや贈り物を頂いたのははじめてな気がします。
どうもありがとうございました。
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天気予報通りのくもりの日の朝、晴れてもなく 雨降りでもない、普通の天気。多分一生忘れない日となった、2023年1月15日。
手術をしてから子猫のようにかわいく元気な姿であるいたりごはんを食べていた私たちの大切な猫が、天使になりました。
その日私は、夢の中で眠っていたから、なかなか目覚められなかった。夢の中でもたくさん起こされたのに、起きれなかった。
遅くに起きると枕元のケータイに不在着信が13件と、留守電が2件入っていた。
留守電からは落ち着いた父の声と、母のすすり泣く音がいっしょに聞こえた。
術後の検査結果は数値的にも顔つき的にも、良好だった。
(猫の名はクリと云います)
昨晩はたくさんごはんを食べて、いつもの通りに歩き回ってトイレをして、おやすみってあいさつして眠って、
朝方に父に発見されてからは、家族が必死になりながら、病院に運ばれた。獣医さんは必死に心臓マッサージをしてくれたのだそう。
なんの予兆もなかった。
なんの予感も感じられなかった。
離れた家に住む私は、クリが死んでしまったことにも気付けず、ずっと眠っていた。
正月に会ったきりだった。
クリの調子が悪ければ私の調子も悪くなり、何にも食べれず横になって過ごすこともあった。クリの手術が決まって電車のなかでおろおろ泣いたこともあった。生きていて、元気なときから死んでしまった時の事を考えて何度も何度も不安でいっぱいになっていた。
いつも花を描くときに訪れる駅前の花屋で、クリのために花を選んで買った。
白っぽい猫なので白い花を選ぼうかと思ったけれど、記憶のクリに似合う花は白じゃなくて、やさしい桃色だった。
家から実家まで鈍行の電車で向かう。一刻も早く会いたい気持ちと、現実を受け入れたくないちぐはぐな気持ちでいっぱいで、道中はとてつもなく短くとてつもなく長く感じられた。
なきがらは眠ってるのと変わらない穏やかな顔つきで、この世でいちばん愛らしく可愛かった。
寒かろうと家族に毛布をかけられ、造花や大好きだったおもちゃが眠るクリの横にそっとおかれていた。家族みんな私と同じくらいクリを大切に想っていた。あたたかさに何故だかほっとする。あんまりにも自分勝手だけれど、よかったね、良かったよ、と思う。
私は花を、そっと、そばに置く。
曇っていたけれど、つんと厳しい白い空ではなく、少し日差しがあった。夕暮れ時にはやさしいひかりがふりそそいだ。
その景色が夢みたいに美しかった。いつまでも、ずっとこうしていたかった。
幸福そのものという感じがした。
生きてるころから天使みたいに美しくてやさしかった。
今朝も、クリの目やにをとって それから たくさん撫でさせてもらったことを思い出し(起きてすぐに)、寂しくて泣いてしまいました。
その景色は当時からあんまりうつくしくて、幻のようだと思っていて。幻みたいなのに現実だから彼女をただの猫だと思えてたのに、思い出すともっと幻みたいな情景になってしまってあれが猫だったのか天使だったのかわからないです。
一緒にいた13年間という時間は短すぎるけれど、与えられたものはきっと私たち家族の一生分をはるかにうわまわるほどで、本当はもうなにも求めることなどなく、
きっと何百年一緒にいたとしても同じくもっと一緒にいたかったと感じるだろうから。
家族みんなでたくさん泣いて、みんなでなきがらを囲んで泣いて、撫でてお腹にうずくまってにおいを嗅いだりキスをして泣いて、かわいいね、かわいいねと話した。
二度目の腎臓の手術の跡、まだお腹の毛が生えていなかった。
私たちはクリと少しでも一緒にいるために、過酷な手術も受けさせた。
精一杯頑張らせてくれた。もう出来る事は多分なかった。ああ、ほんとうにやさしい。
クリはけづくろいを丁寧にして、暗い部屋でも日の当たるところを自分で見つけて日向ぼっこするから、いつも体から太陽みたいないいにおいがする。
なきがらになっても同じだった。
嗅ぐと安心する、いちばん好きなにおいがした。
体の中に大きな滝が出来たみたいに寂しさと悲しさがザーーーーーーと流れる。
失って、欠けるものなどやはりなかった。心に大きな傷ができたけれど、そのいちばん痛いところはすでにクリのやさしさで回復させられていた。
存在と心配と愛情のかわりに大きな大きな喪失感が私の背中に乗っかった。
今は悲しみを排除するのではなくて、そこに頭まで浸ってみる事にしています。
家族全員ものすごい泣いたけれど、妹があんなに泣いているのをはじめて見た。
母は、クリのことを1日でもかわいいと言わなかった日はないなあ、と呟いた。
本当にそうだった。子猫のときからなきがらとなってもなお、かわいい。落ちた毛も影も足音もごはん食べる音もかわいく愛しく汚いところなんてなかった。
今日まで生きてこれたのは、大げさではなくクリが居たからだった。何度も人生をあきらめようと思って、死んでしまおうかと考えた事もあった。そんなとき、気付いたら横に佇んでいて。私が不在の部屋の前で、待っていてくれて。清掃員としてはたらいていた時は、早朝私が身支度をするのを洗面台にすっぽりはいって見守ってくれてた。
寂しいなあ、と思ってあふれだす涙と震えの底のほう、あたたかくて安心するふわふわがいる。クリに関するどんな感情でも愛しくて、本当に、本当に寂しいけれど、触れられなくたって良いんだ。
今はすごい早さで動いてく時間が怖くて、あのだいすきなにおいやなでた感触を忘れるのが怖くて仕方ないけれど、忘れてしまっても大丈夫な気がする。自分次第で、いつでも撫でに帰れる。
そこに在ったということ、それだけで私はもうずっと大丈夫のはずなんだった。
クリを失うことがずっと怖くて、もう何億回心配したかわからなくて、クリが死んでしまう悪夢も数えきれないほど見て、そのたび嘆いて。
これまでの全ての不安と心配は、今日という日にすばらしいさよならをするための予行練習だったのかもしれない、と思った。無駄なことなど何もなかったし、愚かでもなかった。はじめてこんな自分のことを褒めたくなった。
今だったら過去の自分を抱きしめられる。それに今、未来の自分に抱きしめられているのを感じる。もうなんもかんも大丈夫なんだ。幸せになる事も恐れない。
ほんとうの最期は想像してた景色より穏やかで美しく幸せなものだった。
また会いたい、また撫でたい、また心配させてくれと、これからずっと思うだろう。けれども悔いることは、何にもない。もう後ろを向く必要はない。全部、身体が覚えてる。
私もクリのようにやさしい心を持って元気に暮らすと決めた。
想う為に今日も明日も元気に生きると決めた。
別れがつらいからって出会わなければよかったなどと思わない。生まれてから最期まで見れたこと、撫でられたこと、それがいちばんの幸福。
やさしいやさしいさみしさで、私はずっと満たされていられる。
こんなに幸せなさよならができてよかった。
また明日もあさっても、とめどなく涙が溢れる時間はあるでしょうが、それも贈り物と思って、噛み締めて暮らします。
もう私はこんなうつくしい涙のほかは、流さないんだ。
今日まで生きてて良かったです。この美しい星で、世界で暮らせて本当に良かったです。
1月16日 実家にて、朝の会話。
母、「思い出しちゃうなあ」すすり泣きながら
父、「思い出して良いんだよ、いっぱい思い出してやろうよ」
父「悲しい時には、いっぱい泣いた方がいいんだ」
私、「いなくなっちゃったなあ」
父、「いないんじゃないよ、そのへんに、いるんだよ」
父のことを、私はこの日とても尊敬した。
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昨日の今日で、文章におこすか迷っていたのですが今の気持ちを残しておきたいと思い、殴り書きですがアップしてみました。
泣いちゃうので、しばらく読み直す事もしないと思います。
写真をつけようと思って見返してたらまたうるうるしてしまいました。
なんかもう、笑えますね。
昨日の誕生日には、色んな人から祝ってもらって、本当に嬉しくて。(泣いたり笑ったり喜んだり、いそがしい人です)
メチャメチャな文章だったらすいません。
そして、つらい気持ちにさせてしまったらすみません。
でも、みなさんに何でも大丈夫なんだって伝えたいと思って投稿した文章でもあります。
とにかく、とにかく。読んでいただいてありがとうございます。
すべてのひとにやさしいひかりがふりますように。
私は元気です。みなさんも元気でありますように。
また、愛するものと、最期には、すばらしいさよならができますように。
2022.01.18.
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P.S.
身近な方へ
しばらく、急に泣き出したりして驚かせてしまったらすみません。
なるべく泣かないようにつとめます。
もし泣いてしまっても、何かを求めているわけではないのでそっとしておいていただけますと、幸いです。(10分ぐらいメソメソするとだいたい1、2時間復活します。ほんとにスミマセン)