2022-12-07

太陽と月


実家の猫の検査結果が悪く、数値がこのまま変わらなければ手術だというメールが母から届く。その日から息するたびに喉にボールが入ってるみたいな違和感がある。
心配で、体がうまく動けなくなる事もある。情けない。死ぬことが怖い。大切な人や大好きな猫が、私が今生きてるこの世から居なくなってしまうことが怖い。なんて強欲なんだろう。自分だけ大丈夫になるように、最悪の事態を妄想して耐性をつけようとしている。悪夢で何度も皆が死んだ。起きて夢でよかったと安心して、結局耐性なんかつけられない。怖いことから、逃げれない。だれかの痛みに寄り添うこと、当然のように出来ない。
その日見た夢では、私は大好きな猫を抱いて町へ繰り出していた。そのまま電車にのった。だっこされるのが嫌いだから、何度も腕から逃げようとされた。私は絶対離すまいと、強く抱いて移動していた。

この前聞いていたラジオで高山なおみさんが語っていた死生観が、こうしてダメになっているとき度々頭によぎる。穏やかに澄んだ声で大切に言葉が紡がれた。ひどく安直に、私もああなりたい、と思った。死ぬことや老いることが悪いことだとは限らないという事。美しいことかもしれないということ。忘れること、失うことは、もしかしたら本当はネガティヴな事ではないのかもしれないと、一瞬だけだけど感じられて、その時本当に、本当に救われた。
私が今、こんな絵を描くのは今世に未練がたくさんたくさんあるからかもしれない。こんな絵というのは、自分さえも救えないような絵の事である。最近ひどく実感する。社会のためだとか鑑賞者のためだとか思い込みながら描いている時があるけれど、実際のところその時の自分の為だけにできた絵のような気がする。その時の自分はもう二度といないから、確認して安心するためだけに生まれてるかもしれない。
私から嘘を全部取っ払ったら泥だけが残る。私から発せられる綺麗なものは所詮すべて綺麗事だ。悔しい。憎らしい。

いや、いやいや、こんなことを吐き出したけれど、全然まだ堕落してない。するつもりない。綺麗な人になりたいとずっと思ってたい。変わりたいと思い続ける。猫だって、何があっても大丈夫だと、思ってる。
最近事あるごとに、誰か助けてくれと思ってしまう自分がよわっちくてとても嫌だ。日が暮れると悲しくなってくるのも嫌だ。最近すごく弱くなって嫌だ。直したい。