蠍の火



今日は映画「銀河鉄道の夜」を観ながら絵を描いた。水彩は、乾くのを待つ時間が多いから、ちょうどよかった。この映画を観るのは4回目くらい。初めて見たのが、多分14歳くらいの頃。今は24歳。宮沢賢治を知ってから10年経つことに、驚いた。

映画「銀河鉄道の夜」ではエンディングの後、「春と修羅」が朗読される。
昔はわからない単語に線を引いて、ひたすら辞書を開いて意味をメモして、理解するために努力していた。(それでも全然わからなかった)今日はその言葉たちがすらすら耳に入ってきて、自分の心の奥の方に(彼の言葉を使うなら、静かに燃える炎のまわりに)くるくる、くるくるとまわりを龍のように漂いつづけた。美しさのことや、生きること、表現についてとか、いろんな話をした記憶がある気がするのに、私の好きな先生のひとりのような気がするのに、会ったこともなくて、私の生まれるはるか昔にはもう死んでいて、本当に、不思議。
「銀河鉄道の夜」という作品は、未完成で、そこに落としこめられたものは彼という人間の考えてきたことの一部でしかないのだとは思うけど、それでもあの世界にはもういっぱいで、多すぎるせいで綺麗な形におさまらず、決まらず、宇宙のように膨張し続ける。彼はいまでも、生きているなあ、と思わせられる。これはまさに蠍の火だと思う。今日ははじめて、空想の中、彼と手を繋げた。
昨日は廃墟みたいになった店を片付ける仕事をしていた。そのときに、その店のことを想って、悔しくて泣きそうになった。怒りたくてしょうがなくなったけど、ぶつける相手はいなかった。気持ち悪いまま、それを飲み込んで今日になって。ジョバンニの(賢治の)大きな深い心に触れたとき、行き場のない怒りや悲しみは浄化されて、自分の中で大切なものになった気がした。

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