ずっとあるもの

 

 

古い絵本に落書きや記名、メッセージの跡。
時代を見る。私が生まれる何十年も昔に(百年くらい昔もある)発行されている。装丁、挿絵、表紙絵、著者、編者、出版社、印刷会社、...などなどに関わった人たちの名前が、誇らしげに、ずらっと書き連ねられている。(会社単位であるので、関わったけれどそこに実名で記されていない人もたくさんいるけど)
古い本のクレジットは、ほとんどその中のひとりも知らない。本ってこんなに大勢で作ってたのかーと、いまごろ知る。

本は、死んだ人のように何も喋らなかった。
では、それが完成するまでいったいどんな会議やひらめきや葛藤やあきらめや賭けがあったんだろうと、考える。じゃあ、一冊の本が誰かの手に渡るまでの月日と労力と必要なお金はどれくらい?と、考える。そして、今、こんなにきれいな状態で残っていること、について考える。誰かの宝物だったのかなと空想する。

素朴で静かな、だけど少し変わった、引っかかる本があった。その本にはペンでメッセージが書かれていた。
その本の事を教えてもらうと、使われている紙や、大きさ、比率、それらの多くが規格外であったり、あまり使われない素材を使用していることなどを知った。その本は、ある特定の年代の子に、とても大切にされるような特別なものだった。きっと大人になったら本棚のすみにおかれてしまうような、小さくて、主張のないシンプルなデザインの本だけど、その特定の年代の子のため、言い換えると人生のうちとても大切な時間を、ちゃんと大切だと大人達が認識して、こぞってお金や努力をふりしぼって作られたものだと思うと、読む手がちょっとふるえる。

でもやはり本は、死んだ人のように何も喋らない。
みんなの、超、超がんばって出てきた汗をふいたタオルは家に持ち帰って洗濯してまた干した。だから、残るのは、そのものだけ。
とっくに死んでいった、顔も時代も知らない本を作ってくれた人たちのことを考えるとき、その感傷は、滅亡した恐竜たちに思いを馳せるときの心と近いなーと思った。
けれど人間は滅亡していないので、個体は消滅してゆくが、こうして大切に作ったものを守ることができる。
その本のメッセージは異国のことばで読めなかったけれど、きっと大切な人にプレゼントしたんだろう。誰かが誰かの為にこの本を選んで、月日が経って選んだ人ももらった人もみんな死んでしまった。でも本だけは、きれいな形でのこされた。
今目の前にある。
大切な事が、はっきりと分かる。
「良いものを作る」という事だけを考えるのって、むつかしい事だと最近感じる事があった。本当は簡単な筈なのに、大人になるとそれがやりにくくなったりする。 
 
自分の感受性のせいでときどき仕事がのろのろになる。もう少しメカニックになりたい。