2024-09-06

花の本をまた開いてみるコーナー⑥

 
 
スケジュール管理能力がすごくないと、忙しいことに気づかずに「暇だ暇だ」と言えるわけですね。腑に落ちました。焦ってきて目が冴えたので、久しぶりに花の本を開きます。第6弾。
第5弾はこちら。

今回の文章は、本を読むというよりも、本をきっかけに記憶を呼び起こして考察する、というような内容になってしまいました。
たくさん削って完成させたものにゴミを投げつけるみたいな行為な気がしてきましたが、この本に載ってる絵とか文を描いた記憶がおぼろげにあるだけの人の戯れ言と思って、軽く読んでいただけたら幸いです。
 
画像の絵を描いていた時期は、花の絵のほかに空想の窓辺の絵を描いていました。現実にある花や静物ばかりを描いていたから、その反動から空想の世界に惹かれていったという経緯だった気がします。
空想の世界ではすべてがわたしのために存在していて、花はわたしのために咲いてくれ、窓からはわたしが見たい空がひろがっています。
ずっと怯えていますが、とくにそのころは死ぬことが怖くてたまらなく、生きるも死ぬもないような空間に引きこもっていたいと願ったのが、そのようなかたちで絵になってあらわれたのだなと分析しています。2022年の夏〜12月頃まで、そんなテーマの絵を描いていました。
この花の絵には、あの空想の窓辺の空気が漂っているように見えます。美しくて気に入っている絵だけど、どんな花を見ながら描いたのか全然すこしも思い出せません。ぽんぽんした白い丸がなんの植物なのか、そしてどこで入手したのか…。ミステリーです。でもなんらかの花を見ながら描いていたことは思い出せるから、観察はそのときなりにしていたはずです。

2022年12月ごろのブログにこんな一文がありました。
「私から嘘を全部取っ払ったら泥だけが残る。私から発せられる綺麗なものは所詮すべて綺麗ごとだ。悔しい。」
しばらく浸っていたらそんなふうに思えてきて、それで空想の窓辺から旅立って(ちゃんとお別れして)、また現実の花の絵を描き始めたのでした。