名前

 

 

今月に描いた3つの絵。
スケッチのように描いていたけれど、スケッチと呼ぶのがしっくりこなくなってきた。
とりあえず、絵、と呼ぶことにする。描いたこれらの絵を眺めていたら、名前をつけてみたいと思った。
 
泣いているひとをみて泣けるか、という話を友人としていたとき、友人は「絶対に泣かない」 と言った。「ゆめさんはたぶん泣いちゃう」とも言われた。わたしはたしかに、泣いているひとをみて涙が出てきてしまう。身勝手だと感じるから、それについて後ろめたさがある。実際の日常生活では人の気持ちがわからないということで、他者を苦しめたり自分も苦しんだりしている。日ごろこんなにわからないひとが、なぜそんな急に相手の気持ちをわかったようになれるのか。願望の裏返しか。感情の共感性とはどういう経路で発生するものなのだろう。
友人は、(友人自身が)泣いているひとをみて泣くことについて「嘘でしょそんなの」と思うから、絶対に泣かないという。泣いても泣かなくても、どちらがよい作用を及ぼすかは人によるものだが、そのような場面に出くわしたとき、人によった行為をできないから、嫌だなと思う、という。彼女の、「絶対に泣かない」ところに、わたしはとても助けられている。いやだなと思わなくていいのにとわたしは思うけれど、彼女はそうなのだなあ。

瓶は、実体がないわけでない。透明だけれど、質量がある。そこにちゃんと在ることは、おちる影や、周囲の色の反射や、ふれることで、すぐに分かる。
同じ要因から、瓶は環境によって特に印象が変わる。表情が変わったみたいにも見える。身勝手な意識から、それが生きているように思えてくる。ふしぎで、怪奇な現象だ。
わたしがわたしから出ることは、できないのに。