On Melancholy Hill


 



今日も日記を。
 
ここ数日は、まるですこし前までの順調な日々がずっと前のことだったみたいに急にぐったりとして、様々な被害妄想に取り憑かれて頭をかかえていた。定期的にこうなって、そのあとはまた生まれ変わったように元気になって、今のような日々のことをさっぱりわすれて繰り返している。

とは言ったものの、やらねばいけないことはものすごいスピードで進められている。来月の展示の価格表などの作成も終わった。(本の形に。いままでつくってきた本のおこぼれのたくさんのいい紙たちを、好きに使っていいたのしさ、身軽さ。)今月末締切の漫画も描き終わり、あとはごみ取りやパソコンでの修正のみ。表面的に見ればだいぶ優等生なんじゃなかろうか。それでも心にゆとりはない。なぜ?
 
数日料理もろくにできていなかったので、のろのろと炊き込みごはんをセットしていた。醤油差しに醤油を注いだら、ボトルのほうの醤油が切れた。こんなにしょっぱくてこんなにおおきくても醤油ってすぐなくなるなと思った。日本で戦争がはじまったら、醤油も品薄になったりして困ったりするんだろうか。そのうち生活必需品、いろいろなものも品薄になって、貧しい暮らしになったりするんだろうか。テレビでは戦争のことしか映さなくなって、ミサイルや爆撃のアラームにも、遠い人が亡くなるニュースも知人が亡くなることにも慣れる日がくるんだろうか。いやだな。もう亡くなったじいじはわたしへの絵手紙に戦争の禍々しい炎の絵とともに「柚芽がこんな絵をかかなくてすむ世界を祈ります」と添えられていたこと、何回も思い出す。わたしもいつか、そんなことを誰かに話すのだろうか。話したくない。絶対にいやだ。ばかばかしい。
 
昨晩は4時まで眠れず、布団の中でイヤホンで(爆音で)『On Melancholy Hill』を聴いていた。その歌詞のうつくしいこと。洗われたようで清々しくて何度も聴いた。英語はほとんどわからないけど(すこしわかる箇所もある)、完全にはわからないまま…不完全な状態で、その余白にすっと入って、わたしだけのきれいな場所でまどろむのが心地いいんだ。
一瞬、ほんとに一瞬だけ、このバンドが活動している国のことを想像して、はっとした。わたしは差別をする人間なんだと思った。そりゃそうなんだった。また自分を過信していた。それでもこんなうつくしい歌を汚してはいけない。作品に、いや人間に、土地に、なんの罪があるというのか。自分の愚かしさと汚さが悲しい。そんな泥まみれの自分をも躊躇せず包み込んでくれるようなメロディに救われてしまう。ありがとう。虚無が日常のいたるところに入り込む。それは余白ではなく、わたしの隙なんだと思う。隙じゃなくて、余白を持たなければ。
 
Up on Melancholy Hill
There's a plastic tree
Are you here with me?