逃避と忘却

 
 
今日は午前中の内に夕飯の準備と荷物の発送を済ませた。明るいうちに料理ができるのはすごく気分がいい。それでも夜まで筆を持たないでいると、今日という日を捨てたような気分になる。これはよくないことだ。ここ数日、絵を描かないことに決めている。
本屋さんで立ち読みした『逃避の名言集』に「何もしていないときこそが芸術活動だ」的なことが書いてあった。その通りだと思う。もっと自信を持って日常を暮らしたい。
(なぜかその本は買わず『忘却の整理学』という本を購入しました)
 
そういえば、「自分見つめ直しノート」を作ってから、もう一ヶ月経っていた。<3月の懺悔のコーナー>を振り返って見てみると、今月の罪(大きな意味で、心の自傷行為のようなもの)がだいぶ少なくなっている。すごい。 自分の中でまだ罪認定されていない罪予備軍も、来月あたりから罪認定してみたらいいのかもしれない。
 
うまく生きるにはどうしたらいいだろうの切実な悩みから、ノートを書いたり料理を時々とても丁寧にやる、のほかに、肌のケアをはじめてみた。と言ってもお金がないので、ただ化粧水とビタミンCを丁寧に塗ってみるだけだけど。これだけでもおおいに効果がある感じがする。数日で肌がもちもちになって(気がするだけかな)、自分へのいたわりが応答されている感じが楽しい。
未だに学校生活の殺伐とした夢ばかりみるわたしは、現実で外にでたとき人の目<しか>気にしていないのだろうと思う。化粧も然り、洋服も然り。絵だけは自分のためだけに描けていた。だからそれがなくなるのが、最近とても怖いのだった。
いつか全部自分のためにできたとき、その恐怖心は少しまぎれているだろうか。そして少しは今より生きやすくなっているだろうか、と想像する。
 
遠くに住む、勝手に人生の先輩だと思っている方と長電話。ややこしさやままならなさと共に生きること。そしてそれを大道芸人のように捉えていくこと。どうしてもここに書いておきたくなった。きっと読み返すであろう自分のために。
(勝手に載せちゃってごめんなさい!)