2023-12-10

変化の観測

 


数ヶ月ぶりに実家に帰って、母と妹に誕生日プレゼントを渡してきた。
 
気配はあるもののやっぱりねこはいなかった。
…というか、もはや当たり前に不在だけど、気配は常にあった。
今の私には後者の言い方のほうがしっくりくる。
私は、ずいぶん変わった。
あまりさみしくない。いつでも会いたいけれど。
 
最近かばんに黄色い猫のストラップをつけた。
文房具屋さんのおばあさんががんばってつくったの、と言っていたのですぐに買ったもの。
黄色い猫にはいい音の鳴る鈴がついていて、それは生前のねこを思い出させるような音色。
実家にも、そのかばんで向かった。
しゃんしゃん鳴らしながら歩くと、実家にいる妹ねこ(血は繋がっていないけれど、姉妹のようだったから)が変な顔して寄ってきて、すぐ逃げた。
なにかを探している様子。はっとする。
死んだねこが帰ってきたと勘違いしたみたいだった。

共有できるおもいでに包まれていること、それは頑丈な安心だ。
けれどこれがなくなっても、悪いことはなんにもないような気もしている。
安心とは、めくらましのようなものなんじゃないか。
それはとても好きだけれど、なくてもだいじょうぶなもの。
 
別れの日から、自分の内側の時間の流れと感情の変化を、道からすこし外れた場所からみつめる。
上がって下がって、ぐるぐる回って、ようやくその幅がちいさくなってきたような。
最近、描けるものが増えてきた。
枯れ始めた花を描けたのも、はじめてのこと。