最近はひとり、ラジオを聞きながら、よくわからない風景を没頭して描くのがすごく楽しい。だいたい2時間のラジオを2回終わったころ疲れて片付けるので、4時間くらいずっと描いていたみたい。写真の絵は何も見ずに描いているけれど、これが空想だというつもりはなく、多分、自分の信じるあの世みたいな場所なんだと思う。
最近の私はなにかに導かれるみたいに、はじめて絵の中で「私」として、外に出た。記憶の情景や私が現実で見たものの写生ではなくて、絵の中の扉を開いた先の風景だ。もっと外へ、もっと遠くへ、と思うほど、自分の中の奥底へ潜っている。自分の輪郭もわすれ、知らない風景の中にいる。
そこには不安も安心もなく、過ぎていく時間もなく、でも風が吹いていて、花が咲いていて、蝶が舞う。私の会いたいたましいの気配がある。これが自分の奥のほうから発生した風景なのか、とすこしびっくりした。
最近、不安がつよく、気を紛らわすみたいに暮らしていた。
でも 本当はすでに必要なものは揃っていて、もう、ずっと、満ちているんだろう。
だから描きたいものが描けるんだろう。
小さく満ちている。
いつのまにか欠けていたとしたらそれは多分進化ということで…
わかってもどうにもならないことだって積み重ねですこしはなんとかなるんじゃないかと、そうポジティヴにとらえていないとやってられない。