2023-01-08

あたたかいひかり

 
 
昨日は久しぶりに、からあげ屋でアルバイト。バックヤードに入ると同時に大好きなおじさん・Mさんから無言で袋を渡される。中には小麦の香ばしいにおいのする、パンが入っている。
仕込みで、Mさんは卵焼きを何本も焼く。Mさんの焼く卵焼きは、焦げ目ひとつなく、ふかふかで、黄金色。美しい。
作業しつつ、おしゃべりした。Mさんは主に人の悪口を話す。
お客さんがいらっしゃって、レジをすませ振り返ると、Mさんが別の人の焼いた卵焼きを指差して爆笑していた。(>_<)←ちょうどこんな目になって、ひーひー笑っている。
(なんで)

Mさんは自分の事を不死身であると語り、少し体調を崩すと死ぬかもしれないとぼやく。
理不尽な事でよく怒り、従業員と喧嘩をして揉め、異動になったりする。
私が個展を開くと、飾りきれないくらい大きな花束を持って来てくれる。
花のポストカードは別の職場の人にまで売り込んでくれた。
Mさんは親より年上で私は娘より年下なのに容赦なく昔の歌手の話なんかをされる。
私の事を舎弟だと呼び、誰かから「作家さん」なんて呼ばれるんです、と話すと大笑いされた。
考えている事を話すと、「お前は面倒くさい奴だからなー!」。
貧乏を嘆けば、「お前はそれでいい、芸術家は短命なんだ!野たれ死ね!」。
落ち込んでいたら、「お前が元気ないとつまんないんだよ!」「またおいしいパン買って来てやるからな」。

色んな言葉を遣って構築してきた現時点での結論のようなものがぶち壊され、(そうか、それでいいんだ…)となる。繊細とか多様性とか、大切にしましょうと語られる多くの物事たちからかけ離れた人なのに、どうしてこんなに落ちつくんだろう。
 フライヤーの熱気を帯びたためかもしれないけれど、来る前より寒くない体で店を出る。
 
防御のための気遣いってやさしさでもなんでもない。
欲望からわいた愛は、すぐ裏返るから信用しない。
だから、計算上は何も欲しくない。
でも本当は、こんなやわらかい愛情はいくらあったって嬉しい。
それ以外はいらない。だからただ佇んでいるだけで良いと言う。
四捨五入してはならないことが世の中にはありふれているらしい。
「赤」「青」「黄」みたいに有名な色彩なんかより、名の知らぬ中間色がたくさんあるように。 
どっちつかずの底に貯まったあたたかいひかりを信じたい。
 

久しぶりに花の絵を描き始め、また様々な気付きがある。気付きというより、教えに近い。花を描く時、できるだけ欲を排除しなければいけない。
「花を描く」ってのは、花と向き合う事でも、絵と向き合う事でもなく、また自分と向き合う事でもなく、目の前にあるまっさらの紙に花をモチーフに絵を作るという、ただそれだけの行為。勘違い、甚だしかった。排除してもしきれない欲というもの、それを無理に捨てる事はない。向き直して、向き合う事にする。
そして戦うべきもの(一点、意識するもの)とは、時間。
あらがえない、さからえないものを求めていたって仕方ない。
描(えが)くより、呼吸。そこに居なくても触れられなくても、問題ない。
そんな事を言い聞かせて、動きにくい手に油をさしてもらったみたいに、少し動き易くなる。
きっとまた忘れるだろうから、また思い出せるよう、書き記す。
(忘れる、じゃなくて、切らす、と表現した方がしっくりくるかも)
 
私はいつからか、伝える事や言葉にする事ばかりを重視して、大切なものから遠のいていたかもしれない。(あるいは今も。それでも、これも必要な作業だと思ってる)
 先日もらった宿題 「嘘のない文章を書いてください」 これがずっと頭にあって、試み続けている。今日こそは少しだけ正直になれただろうか、などと。全然まだ固いと思うけど。 
 
最近、カフカちゃんの「結論、出ちゃってるんじゃないですか?」が脳内でよく再生される。
 
 
♦︎
卵焼きを作るときは、卵はよく泡立てて・強火で・フライパンを火から離し・油はほどほどに・焼くと良いらしいです。