2022-03-24

 


最近あったうれしいことを、淡々と述べている人がいて、それがよかったので、自分も真似てみる。 うれしいこと、三つ。

 
一週間のうち八割くらい働いていたアルバイトは辞めたけれど、週に一度くらいしか入らない唐揚げ屋さんはながいこと働かせてもらっていて、最近は出勤するたび、お客さんに褒めてもらえる。昨日は、ほそい声で少し怒り気味で喋るおじさんに「あなただけだよ、こんなに優しく接客してもらえるのは」と言われた。その前は、「貴方は前から居るの?きもちのいい接客をしてくれてありがとうね」とか。あとは、どんな言葉だったっけ。嬉しかったことだけおぼえてる。そんなに親切な接客をしてないけど、毎回、八十人くらいにからあげぽこぽこ売ってる中、一回か二回くらい、なにかしら褒めてくれる。それがいつもうれしい。うれしいし、うれしいだろうと思う。私がお客さんであるときだって、よい接客はそういう気持ちになる。人と話すのは苦手だけど、こういうコミュニケーションはいいもんだなと思う。交わりがなければ人は風景に過ぎず、そこに自分が入る隙はなくて少し寂しい。閉め切ったひとごみは際立たせるだけだし、いざ「話をする」となると身構えてしまい疲れる。店や場所があるっていいね。もう二度と会う事はないかもしれないというところも好きだ。おまけくらいのやさしさの効果高い。そういうの感じるたび、風景にあたたかい色彩の絵具がおけるようになる。なんというか、地に足をつけて歩む事って、やっぱり好きだなー、なんて思う。(お客さん、ありがとう)

 
この間の地震で、住んでいる地域は長い間停電となった。 
停電はかまわないけど、なんとなくこれからまた揺れるのではないかと恐れて、怖くて震えた。うちのアパートには共用玄関があるので、下に住んでいる女の子と蜂会った。初対面だった。暗いですね、と言うと、玄関に、古いオイルランプを持って来て照らしてくれた。会話は、多分、あんまり成り立ってなかった。(私が流行りに疎すぎたからだと思う)うまく話せなくてぼやーっとしていたら、部屋から古いタイプライターを持って来てくれて、遊ばせてくれた。やさしい光の中で文字を打たせてもらったのがあったかかった。外は驚くほど真っ暗だった。
 
 
最近、私の絵を見たかった、初めて見れた、すごく嬉しかった、なんていう感想のメールを、何通かいただいた。私はつい、その感想文より長いメールで返信してしまう。自分のために自分の好きな絵を描いては自慢しているだけなのに、買ってくれたり、感想を伝えてくれたり見に来てくれたり、展覧会に誘ってくれたりする人がいつのまにかいる。幸せな言葉たちを120%くらいで受け取れる自分の身体も嬉しい。ありがとうございます。
 

 

真っ暗な場所で黒いものをまばたきをしないで見つめていると、その黒が視界全体にひろがっていく。その逆のようなことの積み重ねで、日々すごせたらいいな。決して目をつぶる訳ではなくて。