軽やかなものを見て、ふっとため息が出て、素敵だなあと思う。ああなれたらいいのにとか、なぜそうできないんだとおもう。なぜ自分からはみ出るものはすべてが重いのだろうとおもう。頭の中にごめんごめんが浮かんだり、あの人はこの人は何を思っているだろうとか傷つけたかも知れないとか内省をよそおって、嘘っぱちの安心を生成する。なぜなぜと考えればその理由は数秒で判明してしまうから、それがどんなにどうでもいいことなのか、仕方のないことなのか、「ないものねだり」ただそれだけの事実ばかり突きつけられる。
素敵なものは本当に素敵だ。
少し前、ポストに本が届いていた。嬉しい、けど絵本のことはよくわからないので、ただ開く。本の内と外に長い時間を感じる。焦って近道しても辿り着けない場所にその人はいて、青い私は立ち止まる。久しぶりに好きな絵を見ようと思った。知らない国の知らない人の絵の中の、花をいけたグラスの水の中に、その頃のその人の悲しみとか幸せとか怒りとか、全部が入ってるように思うのだ。私はこの絵を一年に一回くらい、どこかから保存した低画質のデータで見る。ひどい勘違いの中で、たくさんのプレゼントをいただいて。