メロン / 余地 / 会話

 

少し前、メロン。
近所の八百屋さんにはお店の入り口付近にに安いようまいよコールを中くらいの声でしているおじちゃんが立っていて、その日は眺めていたメロン(380円)を手渡され、買った。その前の週もそんなふうにして買った。甘くて、ごちそうで、こんなにたべてもいいくだものだったっけ、と訳が分からなくなる。
 
昨日。デパートに入っている好きだった服屋が閉店するしらせを見て愕然として、意を決して大都会へ向かった。迷った挙句、持っていない、鮮やかな青い色の服を買った。ちゃんと着るし、大事にしようと思った。画材屋さんにも寄って、数種類の青い絵の具と、新しい筆を一本買う。絵の具のメーカーは冒険しないことに決めている。ありふれたメーカーだから、だいたい、どこでも買える。黒やその他の色の絵の具は固定化されてきたが、青だけは変動する。揃えていればどんな気持ちの時にも安心。この小さな自由に助けられているように思う。
帰りの電車、窓から空を見たらきれいな水色。反対側は桃色。電車の左右の窓で、こんなに違う景色になるのがふしぎだった。歩いていたらあっというまに日が暮れて、水色も桃色も集結されて真っ黒に。空にはまるまるした月がうろこ雲の向こうに見えた。
 
最近、会話の本を読んでいる。けれど、相変わらずうまく喋れやしない。言いすぎたり、言わなすぎたり、気になったり、後悔したりと、会話が苦手だ。会いたい人にせっかく会えても、話したかったのことのほとんどを思い出せなくなる。脳が遮断されたように何も出てこなくなることがよくある。存在の迫力にいつも敗北しているのだと思う。でもここ数日は、じつに身勝手だが、なんも喋れていないとしても、喋りすぎていたとしても、ただ嬉しい日々だった。会いたい人に会えたことを素直によろこべるのはうれしい。
関わらせていただいたお仕事では、全員の視線の先にあるのが人やその他でなくそのもの・その周りに漂うもの、であろうこともうれしかった。そこに会話は必要だが、大事なことはその先にあった。そのもののことを大事にしていれば、きっと満たされる。