途中の人

 
 
ここ最近、悪夢を見なくなった。
数年前までは、毎日のように見て、一日引きずって過ごしていたのに。
関わる人たちが気持ちの良い人ばかりで、それも支えになっていると思う。
人間なんてほとんどはいい人で悪い人を探す方がむずかしい(接してきた社会がぬるま湯なのか、頭がお花畑なのか、とにかくごく一部しか知らない自分が語っていいことではないのかもしれないが)。いい悪いではない部分で他者のことを思い浮かべたとき、そう受け取れるのが一番だ。自分が社会と関わるとき、どういう姿でありたいかと考えるならばそういう方々を思い浮かべる。気持ちの良い人とはどんな人なのか考える。
楽しかったり、楽しいだけではなかったり。ほどよい深度と、ほどよい約束?拘束?後腐れないこととか。 
  
少し前の途中の花。
茎のみどりを黒で塗りつぶさずにとっておいたが、最終的に塗りつぶした。こうしてトリミングして眺めると途中段階のこれはこれで悪くないと感じるが、今でもこれを完成とすることは許せない。花の、生きている感じとか。ポジティブな感じとか。わかりやすすぎるくらいにわかりやすく感じる。そういうことを表現したいために花を描いているわけではないんだと思う(いつからか自分でもよくわからなくなって描いている)。黒に塗りつぶす以外に選択肢がないくらい。未完のままに止まったような絵に憧れるが、自分が描くには完成させないと気が済まなくなる。だからか少しコンプレックスだ。いつかそれも変わるのか。

日々滅裂

 

 
少し前。スキマだらけのお弁当と、かわいいチョコレートケーキ。
このぼんやりは春由来なのか、まあまあいろんなことがまとまらない。  
開かないだろうと思ってた蕾がどんどん開く。 
棚から自転車のカゴが脚に落ちてきて激痛・苛立ち。
無事を祈りながら10枚の絵を広島に送る。
帰り、大きな肉を買う。
夢で行った沖縄の海は空を反射して青紫。
カメラには映らない色。自転車でぽこぽこ思い出す。 

 
(2026-1-23)
 
(2026-1-30)
 
(2026-1-31)
 
 (2026-2-4)
 
花屋で、茎のうねりや蕾がかわいい、絵になりそうな花を選んだ。「絵になりそうだから」という理由でモチーフを決めるのはまったく悪いことでないが、自分の制作においてはどうしてか後ろめたさがあり、結局、後日選び直した花を描いた。描かなかった花は、静かに窓辺で咲いている。かわいい蕾は開かない。葉は少し縮れてきた。もう数日したら枯れるんだと思う。血がたれるみたいに花びらが散る。