くらやみを見つめて

 
 
電車に乗っているとき、時々息苦しくなる。数日前にも、少しだけ息苦しくなった。何回もそんな感じになっていたから動揺はしなかった。息苦しくなっている時の自分のことを観察してみようと思った。それで、視野がとても狭まっていることに気づいた。

広島で展示がはじまって、会いにきてくれた人たちや、絵を見にきてくれた人たち、お話した人たち、関わってくださっている人たちは、もう全員がすばらしい方々だった。うまくやれるだろうかと不安で泣きそうになりながら新幹線に乗ったときの気持ちなんかはるか遠くに、帰路はあたたかさや幸福感に包まれるようだった。広島に限った話ではなく、思い返せばいつだってだいたいそんな感じで。
 
電車の中にはたくさんの人がいて、みんながみんな、すばらしいと思うような人たちであるとは考えないが、(自分の皿の、深度が足りないと思う)ただ、もしかしたら私が脅威だと感じているものは、視野の外の暗黒なのかもしれない。
 
絵に没頭しているとき、同じように視野が極端に狭くなっていることに気づいた。こうなったとき、だいたいいつも上手くいかなかったように思う。水で色をぼかそうとすると、境界に余計な色が入り、ムラになる。これは水が淀んでいるのと、筆の根本に絵の具が残っているのと、筆を拭うティッシュが汚れているのが原因だ。原因が分かっているのに、解決しようとしない。部屋は真っ暗なのに、真っ暗なことにも夕方のチャイムが鳴るまで気づけなかった。今日は花を前に置いて描いたが、花を見た時間は数分だった。焦りと慢心だ。