体感2年ぶりくらいの深夜走り。ヘロヘロですぐに息が上がってしまうので、聴いている歌の1番が終わったら歩いて、次の曲がはじまったら走っての繰り返し。B'zの歌はとても走りやすい。まだらに雲が流れていて、星が見えるかなと見上げたけれど、探していた星は見えず。雲の向こうで光ってるんかなあ。
走っていると気分がよくなる。色んな人への感謝の気持ちが浮上してくる。それから近ごろの不甲斐なさをどうしようもできないことのせいにしないでどうにかしたいと思えてくる。いいことだ。
今はお風呂が沸くのを待っている。一昨日の夜にハンバーグを作っていたときに感じたことを書いておきたくなった。
それはネットで流れていた、知らない作り方のハンバーグで、玉葱を炒めたり捏ねたりせずに、手軽かつおいしく出来るという。実際に作ってみるとたしかに簡単だったし、フランス料理みたいな(想像上の)新しい味のハンバーグで、自分で作ったものとは思えないような奥深さで、とにかくおいしかった。それなのに満たされない心があり、それは何だと考えていると、ハンバーグを作ったという実感ではないかと考えた。私はハンバーグを食べたいという気持ちよりも、ひき肉を塩で捏ね、玉葱を飴色に炒め、パン粉や卵を加えて捏ね、強火で焼き、上手にひっくり返して・ときどき失敗して嘆き、嘆きながらもなんとかやって、それから肉汁を生かしてソースを作って、ああケチャップが足りなかったとか、でも美味しくできたからいいかとか、みたいな、そういう行程が欲しくて、それでハンバーグを作りたいと思うに至っている、気がした。それは料理全般にも、他のいろんなことにも言えるかもしれない。
栄養素で治る怪我はあるのだろうが、調理の行程ひとつひとつで治っていく心もあるのだろうなと思う。振り返ってみれば日常の色んな場面にそんなようなことがちりばめられていて、白い紙の上にまず色を乗せるあの瞬間とか、好きな色の服を着たときとか、今晩のように心地よく走っていたときの、地面の蹴り上げる感触とか。何の脈絡のない様々な場面で少しずつ回復させられてきて、これからもそういうことの積み重ねできっと元気になれると思う。



