カンニング / こわい絵

 
 
午後3時。
雨降ったりおさまったりの窓辺で、ほとんど花びらが落ちてしまった花をおもいだそうとして全然おもいだせず、Googleの画像検索でどうにか名前をしらべあげ、その名で検索して出てきた写真を見て、おもいだしたことにして(カンニング)線を引く。

線を引くことと言葉を発することは似ていると思う。過程で落っこちていくものがたくさんあるというところが。だから慎重にならねばならないと思っていた。ところがさっきカンニングしながら花の線を決めているとき、罪悪感も相まってとてもしょぼくれた花になった。慎重さはそのままにでももうすこし投げやりでもいいのかもねと思った。罪悪感なんて捨ててしまえとも思った。するなら堂々としたい。でも度胸が足りない。いつか自分の白黒思考がやわらかくなったらいいなと願う。
 
珈琲を飲んだら色を塗りたい。どんどん散って花びらあと4枚しかない。紙の上には花びらが20枚あった、大嘘つきである、いや少し前まではそれくらい咲いていた。しかしだいぶ空想めいた花を、自分に塗れるのだろうか。

窓から見える木が近く遠くで揺れる。今日は湿度が高くてつらい。葉っぱと湿度は暑い日に見たこわい絵を思い出させた。思い出してもしっかりこわい。こわい。会場に置いてあったノートをもっと読んでいたらよかった。